シュガーポットに恋をひと粒



第1話 そんなことすら好ましく



はあっ、今日の授業も終わったぁ。

講義を終えて教室から講師が去り、ざわめく部屋で吉沢(よしざわ)歩佳(あゆか)はほっと一息つく。

歩佳はいま十八才で、情報ビジネス専門学校に通っている。

入学して二ヶ月くらい経ったところだ。

高校を卒業し、この専門学校に入ったわけだけど……最初はそれはもう緊張しっぱなしだった。

友達ができるだろうかとか、授業について行けなかったらどうしようとか。

それに、都心にある専門学校で、田舎者の自分は浮かないかとか……

そんな心配ばかりしていた。

けど、二ヶ月経ったいま、それなりに慣れて気持ちも落ち着いた。

気の合う友達にも恵まれて……

それが一番嬉しかったなぁ。

「歩佳」

ちょうど逢坂(おうさか)美晴(みはる)のことを考えていたところで、彼女がやってきた。

美晴は身長が低くて顔も童顔、中学生くらいにしか見えない。

はっきり教えてくれないが、たぶん百四十五センチくらいしかないんじゃないかと思う。

踵が五センチ以上ある靴を常に履いているのだが、それでも百六十センチの歩佳は見下ろす形になる。

いまも見下ろしていたら、美晴は、歩佳を見上げ、「やれやれ」と言う。

「なんなの、やれやれって?」

「そんな気分なの。大きな巨人に見下ろされてる気分よ」

「えーっ、わたしが巨人? わたしに言わせれば、小人さんに見上げられてる気分」

「こっ、こしゃくだね、歩佳っ!」

ぷりぷりしながら美晴が怒るが、振りをしているだけだ。

それが証拠に、美晴はケラケラ笑い出した。

歩佳も笑い、大きな鞄を肩にかけた。

ふたり肩を並べて、教室を出る。

最初会ったときは、美晴が自分と同じ歳だなんて、とても思えなかった。

だけど美晴は、その風貌を裏切る積極性と度胸を持つ。

美晴のおかげで、歩佳の行動範囲はとんでもなく広くなった。

美晴と友達にならなければ、家と専門学校をただ往復するだけの単調な毎日を送っていたと思う。

「歩佳、荷物、重くない?」

歩佳が抱えている大きめのバッグを見て、美晴が心配してくれる。

実は今日、美晴の家に泊まらせてもらうことになっているのだ。

「うん、大きさの割には重くないの。でも、ほんとに泊まりに行ってもいいの?」

「いいに決まってるじゃん。歩佳に、家に泊まりに来てって、しつこく誘ってたのはわたしだよ」

「でも……まずは泊まりの前に、遊びに行くだけの方が……」

「なにそれぇ。そんな手順踏まなきゃならないとか決まってないし、必要ないよ。我が家は、ここからけっこう遠いしさ、どうせ来るなら泊まってって欲しいじゃん」

「わたしの家も遠いわよ。とんでもなく田舎よ」

脅すように言ったが、美晴は期待を込めた笑みを浮かべる。

実は来週の週末は、美晴が歩佳の家に遊びにくる約束になっている。

「遊びに行くの楽しみだよぉ。来週が待ち遠しくって。わたしって、田舎ってあんまり縁がないからね。父も母も地元の人で、祖父母の家は両方とも近いんだよ」

「それはそれでいいと思うけど、両方の祖父母に気軽に会えるんだから」

「歩佳のところは、お母さんの実家は、かなり遠方なんだったね?」

「うん」

「さらにもっと田舎なんでしょう? いいなぁ」

心底に羨ましそうに言う美晴に、歩佳は笑った。

美晴にねだられるまま、祖父母の住む地域のド田舎っぷりを語って聞かせながら、彼女の家に向かうことになった。





「ここだよん。中に入って驚かないでね。古い家だからさ」

「そうなの? 新しい感じだけど……」

「まあ、外観はね。壁を塗り替えたり、補修したりしてるから……でも、家に入るとわかるよ。ほら、入って」

いまは誰も家にいないようで、美晴は自分で鍵を開けて、歩佳を中に入れてくれた。

玄関に入り、確かに古いようだけど、長年人が暮らしてきたからこその、好ましいぬくもりを感じる。

二階の美晴の部屋は、とても綺麗に片づいていた。

「綺麗にしてるね」

「当たり前じゃん。歩佳を泊まらせるのに、散らかったままなんてしてられないよ。昨日、必死に片づけたの」

「そうなんだ。お疲れ様でした」

「どういたしまして。ちょっと蒸し暑いね」

美晴は扇風機を回してくれ、「飲み物持ってくるねぇ」と部屋を出て行った。

飲み物をいただき、おしゃべりに花を咲かせていたら、美晴の母が帰宅した。

歩佳にとっては、緊張の一瞬だった。だが、美晴の母は美晴に性格がそっくりだった。背はそんなに低くなかったが。

とにかく気さくなひとで、不必要な緊張などすぐに解けた。

「まあまあ、綺麗なひとじゃないの。それにすらりと背が高くて……」

美晴の母は、歩佳をほれぼれと見上げてくる。

そんな風に大袈裟に褒められては、照れくさい。

それから夕食の準備を、美晴と一緒に手伝わせてもらった。

たいした手伝いではないが、手伝いをさせてもらえた方が嬉しい。

すると、ケチャップが足りないということで、急遽、美晴が近所のスーパーにお使いに行くことになった。

一緒にできれば歩佳もついて行きたかったが、ちょうどスパゲティを茹でる手伝いをしていたところで、歩佳は美晴を見送ることになった。

美晴の母とふたりきりになったけれど、美晴の母が冗談を言って笑わせてくれ、居心地の悪い思いはせずにすんだ。

「もおっ、美晴ったら遅いわねぇ。急いでくれないと、困るのにぃ」

美晴の母は困ったように繰り返す。

「わたし、ちょっと見てきますね」

「あら、悪いわね。それじゃ、お願い」

「はい」

歩佳は急いで玄関に向かった。

靴を履こうとしたところで、玄関がパッと開いた。

「あっ、美晴」

ほっとして呼びかけたが、入ってきたのは美晴ではなく、とても背の高い男のひとだった。

もちろん驚いたが、相手のほうも驚き、歩佳をじっと見つめてくる。

「あ、あの……」

家に普通に入ってくるということは、この家のひとだろう。

つまり、年齢的にいって、美晴の兄。

兄がいるなんて聞いていなかったけど……大学生だろうか?

社会人ではないようだ。

着用している服は、紺色のズボンに白いシャツだけ……そして肩かけ鞄を担いでいる。

「もしかして、美晴の友達?」

お互い固まってしまっていたが、彼のほうから尋ねてくれて、歩佳はぎこちなく頷いた。

「あっ、はい。そうです。お、お邪魔しています」

返事を口にしたものの、しどろもどろになってしまい、一気に狼狽える。

おまけに、そんな自分が恥ずかしくて、顔が発火しそうなほど熱を持つ。

「背が高いね」

苦笑しつつ言われ、わざと美晴に当て付けて言っているのだとわかり、歩佳は思わず笑ってしまった。

顔を真っ赤にしてしまっているわたしのことを、心の中では笑っているのかもしれないけど……

それにしても素敵なひとだなぁ。

爽やかな笑顔で……年上の男性の落ち着きがある。

なんだか急に鼓動が速まってきて、歩佳は焦りに囚われた。

い、いやだわたし、このひとのこと、凄く意識しちゃってるみたい。

こんなことは初めてだ。

美晴のお兄さんなのに……

少し赤らんだ顔を伏せていたら、そのひとが靴を脱いであがってきた。

するとスニーカーの片方が、コロンと横に転がる。

そんなことすら、好ましく感じている自分に、美晴はおおいに戸惑ったのだった。



つづく


プチあとがき

ひさしぶりに新連載のスタートです。

カウンターも、1500万ヒットを越え、さらに6/26が、サイト開設日で、9周年目に突入したので、記念に新連載をと思って。

でも、新連載をスタートさせるのって、なかなかどうして色々大変でした。

ある程度ストーリーを固め、ページを飾る花の画像をどれにしようだの、悩んでいたら、時が知らぬ間に過ぎ去っておりました。

まだバナーやら、できあがってなかったりしますが、ともかく第1話。
今夜中に、第2話を掲載したいなと思っています。

楽しんでいただけると嬉しいんですが。

第1話、読んでくださってありがとうございました。

第2話を掲載したら、次は他のお話の更新話に取りかかりますね。

fuu(2014/6/29)




  
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