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第10話 自分に突っ込み
あー、どうしよう?
布団の上に座り込み、歩佳はもじもじと身を揺らす。
もおっ、美晴、まだ起きないのかなぁ?
思わずそんな文句を美晴に向けてしまったが、実はまだ朝の五時なのだ。
お手洗いに行きたくなって起きたものの、行けずにいる。
だって、寝起きで、いまの歩佳はパジャマ姿。
こんな姿で部屋の外に出て、逢坂家の誰と出くわしたりしたら恥ずかしい。
かといって、トイレのためだけに、きっちり着替えるというのも、なんか……あれだし。
行って戻るまで、誰にも会わなければいいんだけど、会わないという保証はない。
美晴の母が、ギリギリセーフだ。
美晴のお父さんとか……しゅ、柊二さんに会っちゃったら……
その状況が思い浮かんでしまい、それだけで顔が赤らむ。
あーん、やっぱりパジャマ姿は恥ずかし過ぎる。
こういうこともあって、逢坂家にお泊りするのは躊躇っちゃうんだよねぇ。
……うーん、もしものときのために、やっぱり着替えて行くとしよう。
そう決めた歩佳は、物音を立てないように自分のバッグに歩み寄り、チャックに手をかけた。
開けようとしたら、ジーッという音が室内に響き、ビクリとして手を止める。
いつもは気にもならない音なのに、早朝の静けさの中ではうるさいほど大きく耳に響く。
歩佳はベッドに寝ている美晴を窺い、なんの変化もないことにホッとし、もう一度チャックに手をかけた。
それにしても、さっきまで早く起きてくれないかなと思ってたのに、いまは息を潜めてるなんてね。
けど、服を着替えているのに気づかれたら、『何やってんの?』って、訝しがられてしまう。
理由を話したりしたら、呆れ返るだろう。
パジャマ姿で柊二さんと出くわしたりしたら、恥ずかしいから……だなんて。
まあ、そんなこと正直に言えないけど……
ジジ、ジ、ジジ……
音を立てないように、気を配りつつチャックを開けている自分を滑稽に思いつつ、なんとか中身を取り出せるくらい開けられた。
そーっと抜き出した服を、音を立てないように広げてみる。
あちゃーっ、ちょっと皺クチャになってる。
わたしってば、皺にならないような素材の服を選んでくればよかったのにぃ……
でも、これしか持ってきていないんだから、これに着替えるしかない。
思わずため息が零れる。
……パジャマ姿で顔を合わせるのと、皺くちゃの服を着て顔を合わせるのどっちがいいかっていえば、皺くちゃかな?
着替えるほうを選択し、パジャマを脱いで着替える。
そろそろと足音を忍ばせてドアに歩み寄り、十センチ開いたままのドアを開けたら、キキーと耳に鋭く刺さる音が響いた。
カチーンと全身が固まる。
う、嘘っ!
このドア、開けるたびにこんな音を出してた?
「うん、歩佳?」
背後から呼びかけられ、歩佳はぎょっとして振り返った。
「み、美晴……」
「もう起きたの?」
「そ、それが……お手洗いに」
まだ寝ているに違いないが、隣室にいるはずの柊二の耳を気にして、どうにも大きな声を出せない。
「なんだって?」
美晴ときたら、歩佳の気も知らず、大きな声で聞き返してくる。
もおっ!
そんな大声を出したら、柊二さんが起きちゃうよっ!
歩佳は美晴のところまで駆け戻り、顔をくっつけるようにして「トイレ」と小声で伝える。
「あ……なんだ、そう。行ってらっしゃ〜い」
まだ半分夢の中らしい美晴は、目を閉じたまま手を振る。
歩佳は眉を寄せ、急いで部屋を出た。
やれやれ、びっくりさせられたけど、着替えているのを気づかれずにすんで良かった。
音を立てないように極力注意をしつつ階段を下りるが、ここでも歩佳を阻むように、ギシギシと音が響く。
うわーん、やっぱり古い家だからか、あっちもこっちも軋む音が半端ない。
それでもやっとこトイレに辿り着き、歩佳は用を足した。
ほっとしてトイレを出て、来た時と同様に気を張りながら美晴の部屋を目指す。
階段を上がって行く間、歩佳の目はずっと柊二の部屋のドアに向けられていた。
そんな自分に、なんとも嫌な気持ちになる。
なんかストーカーみたいだ。
柊二さんにばかり注意が向いちゃって……
恋心って、ほんと、やっかいだなぁ。
美晴の部屋に戻り、また寝間着に着替えながら、歩佳は疲れた吐息をついたのだった。
「あーゆーか」
うつらうつらしていた歩佳は、額に弾かれたような小さな痛みが走り、顔をしかめた。
「起きた?」
その言葉に、歩佳はしかめっ面のまま目を薄く開けた。
目の前に美晴のドアップ。
「美晴……いま、おでこ弾いたよね?」
「だって、ちっとも起きないんだもん。強硬手段だよ。へへっ」
右手で歩佳の鼻先を弾く真似をして見せながら、美晴が笑う。
「いま何時なの?」
手で覆って鼻をかばい、美晴に聞く。
「八時だよ」
「ええっ? もう八時なの?」
驚きだ、トイレに行ったのが五時で、二度寝したら三時間も過ぎていたとは……
焦った歩佳は、ガバッと起き上った。
「歩佳、何もそんなに慌てなくてもいいよぉ」
「だって……びっくりしちゃって」
「それだけ疲れてたってことだよ。仕事の疲れは取れたかい? 今日は遊園地だかんね。遊ぶよー、エイエイオー!」
両手を上げて奇声を上げる美晴に、心が弾んでくる。
「うん。エイエイオー!」
美晴に負けじと叫んだら、美晴が「なあに?」とドアに向けて言う。
へっ?
慌ててドアに振り返った歩佳は、フリーズした。
開いたドアのところに、柊二が立っているではないか。
あわわわ……っ!
わ、わたし、寝起きだし、パジャマ姿だし……
どっ、どっ、どうしたらいいのっ?
いや、もうどうにもできないって!
パニック状態で、歩佳は自分に突っ込んだのだった。
つづく
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