シュガーポットに恋をひと粒



第13話 か細い呟き



「……歩佳さんでも、ひとをからかったりするんだな」

えっ?

「そ、そんなつもりは……」

柊二の勘違いに驚いて、思わず否定してしまう。

「……からかったんじゃなかったの?」

あらためて問い返され、歩佳は顔をしかめた。

こ、これって、墓穴を掘ったんじゃないか?

「どんなデザインだったんだろうって、興味もあって……見てみたかった……です。はい」

「見せてやろうか?」

「えっ? 着替えてくるんですか?」

「いや……今度……」

「おい、こらっ!」

大きな声が飛んできて、玄関先で立ち止まって話をしていたふたりは、驚いて顔を向けた。

「ふたりともいつまで待たせる。早く来ーい!」

玄関前に車が横付けされ、運転席にいる美晴がこっちを見て怒鳴り、しかめっ面をする。

「忘れてた」

柊二が思わずと言うように呟き、歩佳と目を合わせてくすっと笑う。

その笑みにぽおっとなってしまい顔が赤らんだ歩佳は、そそくさと美晴の車に歩み寄った。

歩佳が助手席に座り、柊二は後部座席に乗り込む。

「それじゃ、出発だーっ」

美晴が大声で言い、車を発進させようとしたが、なぜか急に動きを止めた。

「どうしたの?」

「美晴、どうした?」

歩佳と柊二、ふたりして同時に声をかける。

「忘れてたぁ!」

「忘れ物したの?」

「早く取って来いよ」

「ちーがーう! そうじゃなくて……朝食の時、お父さんとお母さんに話して了解取っとくつもりが」

「了解って?」

「悪いけど、ちょっと行ってくるから、ふたりとも待っててよ」

美晴はエンジンを切り、ドアを開けて急いで降りようとする。

「お、おい、美晴。いったいなんの話だ? 気になるだろ、俺たちにわかるように説明してからいけよ」

「ああ。建て替えている間、わたし、歩佳のところにお世話になることにしたんだ。ねっ、歩佳」

「う、うん」

頷いたものの、よくわからず歩佳は首を傾げた。

なんでいま、その話?

「それで、父と母に了解を取っとこうと思って」

「そんなことなら、今夜でいいじゃないか」

「だって、今日一日、どっちに転ぶかわからなくて気になっちゃうじゃん。父と母が了解してくれなかったら、決定ってことにならないんだからさ……遊園地でだって、その話をするときの会話が全然違ってくるんだよ」

「別にいいだろ」

「ぜんぜんよくないよ。急いで父と母に了解もらってくるから、待ってて!」

美晴は疾風の如く車から飛び出ていなくなった。

「まったく……」

「すみません」

「歩佳さんが謝ることは……それより、ほんとにいいの?」

いいのとは、もちろん美晴が同居することだろう。

「はい。半年だけでも、一緒に暮らせたら嬉しいです」

「そう……なら、もし両親が渋るようなら、俺も口添えするよ」

「柊二さん、ありがとう」

「でも、あんな小うるさいのと同居して、後悔するんじゃないかと思うけど……」

考え直せと言わんばかりの柊二に、歩佳はくすくす笑ってしまう。

「そんなことないですよ。美晴とはもう長い付き合いですから。あ、あの……柊二さんは、友達の家にお世話になるって聞きましたけど……」

知りたかった問いを口にしてドキドキしたけど、この機会を得られて美晴に感謝してしまう。

「ああ、これから行く宮平偕成のところ。そいつアパートで独り暮らしなんだ」

「そのかた、ご実家が遠いんですか?」

「まあ……それもあるんだけど……変わった奴だから」

変わった奴?

そういえば、美晴もそう言ってたっけ……

「その方のこと、美晴からも少し聞きましたけど……」

「そう。美晴、なんて?」

「神っぽいって」

柊二が小さく噴いた。

「本当に神様みたいなひとなんですか?」

「まあ……当たらずとも遠からずかな……」

「えーっ、いったいどんなところが神様みたいなんですか?」

「うーん、そうだな。俺たちが……」

「お待たせーっ」

運転席のドアが勢いよく開けられ、美晴が飛び込んできた。

「あ、ああ。それでどうだったんだ?」

「うん、たぶん、大丈夫そうだった」

「曖昧だな」

「歩佳の両親に了解取れたらって言われた」

「ああ、それはそうだよな」

「歩佳、どう? お父さんたち了解くれそう?」

「う、うん。たぶん……」

「たぶんかぁ。……ねぇ、歩佳、思ったんだけどさ……恭嗣さんもダメって言いそうじゃない?」

「恭嗣さん?」

そんな権限は恭嗣にはないと言いたいところだが……

実のところ、あのお方はわたしのアパートの独り暮らしに対して、かなりの権限を持っているようなもので……

残念だがおろそかにはできぬ。けど……

「美晴だもの、大丈夫だと思うよ」

「なんかさ、考えたらわたし、恋人たちのお邪魔になりそうだよねぇ」

「そ、そういうことはないから」

恭嗣は恋人なんかじゃないとはっきり否定しておきたいが、ここには柊二がいる。

柊二さんには、わたしには恋人がいると思ってくれた方がいいもんね。

わたしの気持ちを悟られずに済む。

ただ、美晴に誤解をさせておくのも不安なんだけど……

美晴がアパートで暮らすことになれば、その間、恭嗣さんと接触する回数も増える。そうなったら、美晴の誤解はきれいさっぱり消えてしまうだろう。

わたしとの仲を誤解されているとわかったら、ばっさりと綺麗に否定なさるだろうからなぁ。

そうなったら美晴に対して、きまりが悪い。

……誤解をそのままにしておくのは、やっぱりまずいかな。

「美晴、あのね」

「うんうんわかってるって、恭嗣さんに反対されたら、わたしも身を引くよ」

「身を引く必要なんてないから」

「柊二、宮平君とこって、まだまっすぐでいいの?」

「二つ目の交差点を左」

「ふーん、そっちか……」

二つ目の交差点を左って……わたしのアパートの方向なんだ。まあ、まだまだ先だけど……

考えたら、柊二さんの高校って、わたしのアパートから車でなら二十分くらいの距離にあるんだよね。

もちろん、そっち方面はまったく用事がないので、美晴は行ったことはない。

二つ目の交差点を曲がり、柊二の道案内で車は進んでいく。

歩佳は進行方向を見て眉を寄せた。

思わず美晴を見てしまう。美晴もちらりと歩佳を見てくる。

なんか、どんどんわたしのアパートに近づいて行くんですけど……

「あっ、あそこ」

柊二が座席の間から腕を伸ばし、前方を指をさす。

「ええっ、あそこなの?」

「そうだけど……美晴、なんで驚いてんだ?」

「いや、だってさ……」

車はアパートの駐車場に入った。

ひょろりとした男の子がいて、こっちに向かって手を振っている。

もしや、あれが柊二さんの友達の、宮平君なのかな?

柊二さんと同じ歳に見えないんだけど……

それにしても……

わたしのアパート、ここから目と鼻の先に……って、ここから建物が見えてるし……

どっ、どんな偶然?

柊二は、歩佳のアパートが目と鼻の先とは知らず、友達が歩み寄って来るのを見て、車を降りた。

「びっくりだぁ! 絶対、あいつのしわざだよ」

美晴は、宮平を見て、まるで責めるように言う。

「美晴、しわざとか……」

「絶対そうだって! そういう人知の及ばぬことをしでかすやつなんだって。けど……あいつの近所に住むなんて……物凄ーく嫌な予感……や、やっぱ、歩佳のところでお世話になるの、やめようかな」

「ええっ、なんでよぉ」

「だってぇ……」

「どうも、おひさしぶりです。美晴お姉様」

窓の外から声がかけられた。

美晴がビクッとして窓に向く。

「美晴、このひとに、お姉様って呼ばれてるの?」

こそこそと質問した歩佳は、窓越しに宮平からじっと見つめられて、心臓が跳ねた。

う、うわーっ……な、なんなの、このひと……目が怖い……

「これはこれは、あなたが歩佳さんですね? お……げほっ!」

愛想よく、歩佳に話しかけてきていた宮平の脇腹を、なぜか柊二が思い切り突いた。

「ふ、不覚……」

宮平は、わき腹を押さえて痛そうに呻いている。

だ、大丈夫なのだろうか?

さっきは目が怖いと思ったけど、こうしてるところは普通の少年って感じ……うーん、青年かな?

「姉貴、もう行って。送ってくれてありがと」

柊二が早口に言い、美晴を急かす。

「そうするよ」

「お姉様たち、どこに行くんですかぁ? あっ、わかったぞ。遊園地でしょう?」

ずばり当てられて驚いてしまい、歩佳は目を丸くした。

するとその反応を見て、宮平がしたり顔をする。

「やっぱりか。ねぇ、僕らも乗せてってくれませんか?」

「こ、こら、偕成! 何を勝手なことを言ってる」

「だって行くことになってんだもん。なら、一緒に連れていってもらったほうが、楽チンじゃん」

そういうと、宮平はシャツのポケットから何やら取り出して見せる。

「ほーら、なんとタダ券が四枚あるんだぞぉ」

こ、このひと、なんで遊園地の券を四枚持ってるの?

美晴も驚き、ヒラヒラさせている券を見ている。

「入場料&乗り放題のフリーチケット、おまけにスペシャルランチつきのプレミアム券なんですよぉ」

いましもスタートしようとしていた美晴は、その密のような言葉に動きを止めた。

宮平に向き、彼が手にしている券を凝視する。

「スペシャルランチつきプレミアム券? そ、それって、いくらのランチが食べられるのよ?」

「おひとり様、三千円でーす」

「乗るがよい」

美晴は凛々しく申し渡したのだった。

「姉貴、馬鹿……」

額を押さえた柊二の、か細く呟く声が聞こえた。





つづく




   
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