シュガーポットに恋をひと粒



第17話 乙女の不安



ああ、もおっ、どうしよう。

心臓が破裂しそうなんですけどぉ。

『泣く前に見つけられなくて、ごめん』だなんて……

泣きそうになっちゃったし。

「それじゃ、どこに行きたい?」

柊二が話しかけてきたが、自分の心臓の心配をしていた歩佳の意識には入ってこなかった。

「……歩佳さん?」

俯いていた歩佳は、その呼びかけに慌てて顔を上げた。

「は、はい」

「うん?」

少し戸惑いの含まれた柊二の表情に、歩佳は眉を寄せた。

な、なんだろ?

「え、えっと?」

「もしかして、俺の言葉、聞こえてなかった?」

「えっ? な、何か言いました?」

驚いて問い返すと、柊二の表情が心配そうになる。

「まだ動揺が収まらない?」

「あ……そ、そんなことは……」

焦ってしまって、思わずそう答えたものの、実際動揺しまくりだ。

けど、柊二の言っている動揺と、歩佳の動揺は別のもの。

「なら、もう少し座っていようか? 歩佳さんが落ち着いたら、どこか君の行ってみたいアトラクションに……」

柊二はそう言うと、手にしている遊園地のパンフレットを開いた。

じっとパンフレットに目を向けている柊二を、歩佳は彼に悟られない様にちらっと見る。

うわーっ、表情も仕草も大人っぽい。

やっぱり、美晴のほうが妹に思えるよ。

柊二さんが美晴の弟だなんて、何かの間違いなんじゃないだろうか?

……それにしても、睫毛がまっすぐで……涼しげな目をしてる。

彼のことが好き過ぎて、なかなか顔を直視できないでいるから……こんな風に隣に座って、横顔を拝見できるって、最高にしあわせかも。

もうアトラクションなんかいかなくたって、こうして柊二さんの横顔をずっと見つめていられたら……それだけで……

ぽおっと横顔に見惚れていたら、不意を突くように彼の目が歩佳に向いた。

「うん?」

彼と目が合ってしまい、そのまま固まる。

「歩佳さん?」

「あ」

呼びかけられて、呪縛が解けたかのように歩佳は視線を逸らした。

「は、はい。え、えっと……しゅ、柊二さんと美晴って、姉と弟というより、兄と妹みたいですよね、やっぱり……」

う、うわっ。こんなこと言うつもりじゃなかったのに……

焦ったせいで、いま考えてたことがそのまま口に出ちゃった。

「なんだ、そうか。いま俺の顔を見て、そんなこと考えてたんだ?」

苦笑しつつ問い返され、歩佳は気まずくなった。

「すみません」

「うん? どうして謝るの? 歩佳さんにそう思ってもらえるの、俺は……嫌じゃないし」

その言葉に歩佳はほっとした。

「まあ、美晴は怒るだろうけど」

柊二が笑いまじりに付け加え、歩佳も笑ってしまう。

「ですよね」

「ねぇ、歩佳さん」

「は、はい」

返事をして、柊二が話し出すのを待つが、彼は落ち着かなさそうに身体をもぞもぞと動かすばかりで話し出さない。

「あの……柊二さん?」

「あ、うん。……その……」

「はい」

口ごもっている柊二に、黙っているのも落ち着かず、歩佳は相槌を打った。

柊二さん、何か言いたいようなのに……

そんなに言いにくいことなのかな?

「恭嗣さんってひと……」

「えっ?」

「いや、その……美晴を」

「美晴?」

「ああ、うん。つまり……美晴を歩佳さんのアパートに住まわせて、ほんとにいいのかなと」

「今日にでも両親に話してみるつもりですけど……反対なんてされないと思います」

「歩佳さんもいいの。邪魔なんじゃ……」

「美晴が邪魔なんてことないです。いまから楽しみで。お正月も一緒に実家に行こうって誘って……あっ、あの」

「うん?」

「柊二さんは、お正月はどうするんですか? その……宮平君のところに住むんでしょう? 彼はお正月の間、実家に帰ったりしないの?」

あまり詮索すると、柊二に嫌がられるかもと不安に思いつつ、彼について知りたい気持ちを押さえられない。

「正月のことまで話してないな……」

「も、もしも、宮平君が実家に帰っちゃったら、柊二さん、ひとりきりでお正月を過ごすことになるんじゃ?」

「ああ、そうだね。ひとりでのんびり過ごすよ」

「で、でも……大晦日にひとりなんて寂しくないですか?」

彼がひとりぼっちで年明けを迎えることを思い、胸が締め付けられる。

「なんで、君が辛そうな顔するの?」

くすくす笑いながら柊二に言われ、決まりが悪くなる。

「だって……わたしだったら……寂しくて泣いちゃいそうだから」

「うん、そうだろうな。ねぇ、歩佳さん」

「はい?」

「いまひとり暮らしでしょう? 寂しくはないの?」

「……まあ、最初の頃は……。けど、いまは大丈夫です。だいたい、ひとり暮らししたがったのは自分だし……寂しがるのはおかしいですから」

「でも、最初の頃は寂しかったんだ」

からかうように言われ、相手は柊二だけど、歩佳はちょっとむっとした。

「ふふっ」

むっとしている歩佳の顔を見て、柊二が小さく笑う。

「わ、笑わないでください」

「いや……可愛いなと思って」

かっ、可愛い?

ぼぼぼっと、頬が熱を持つ。

「かっ、からかわないでください」

「……ってないよね?」

柊二がぼそぼそと何か言ったが、声が小さすぎて聞き取れなかった。

「はい?」

「恭嗣ってひと……歩佳さんの家によくやってくるの?」

うわわっ、これはなんて答えよう?

美晴の思い込みで、恭嗣さんとわたし、付き合っているってことになっちゃってるんだし……

ここはそれらしく答えておくべきかな?

でも、付き合っている風を装っていて、あとでバレたりしたら恥ずかし過ぎるし。わたしの信用もガタ落ちするよね。

それは避けたいかも。

「じ、実は……美晴は変に誤解しちゃってますけど……あのひとは恋人とかじゃないんです」

「……違うの?」

「はい。わたしのお目付け役というか……両親からわたしのことを頼まれてて、それでちょくちょく様子を見に来てくれるんです。……でも、変なひとなんですよ」

恭嗣を思い出し、つい常日頃思っているまま、付け加えてしまう。

「変なひと? どういう風に変なひとなのか、聞いてもいいかな?」

「うーん、説明するのは難しいですけど……ひたすら我が道を行くひとです」

遠慮はないし、こっちの都合など考えやしないんだから、困ったひとなんだよねぇ。

「付き合いは長いの?」

「ああ、それはもう。わたしが生まれた時からの付き合いですから」

「へーっ」

「実家が近いんですよ。昔から家族ぐるみで仲がいいんです」

「つまり、幼馴染ってこと」

「そうですね。年上なので近所のお兄ちゃんって感じでしたけど」

「兄……そうか」

納得したように柊二は口にする。

あーあ、本当のこと言っちゃった。

恭嗣さんはわたしの恋人だと思ってくれていたほうが、よかったんだけどなぁ。

「あっ、話が逸れちゃいましたけど……あの、も、もしもですね」

「うん? もしも、何?」

「は、はい。柊二さんがお正月をひとりで過ごすことになったら、美晴と一緒にわたしの実家に来ませんか?」

「……それは……さすがにできないよ」

「えっ? どうしてですか?」

「正月に、姉弟して、人の家にお世話になるなんて……」

「ああ、そういうことなら大丈夫ですよ。田舎だからなのか、お客さんが来てくれると喜ぶし、泊まってもらえる部屋もありますから」

「歩佳さんの気持ちは嬉しいけど……その気持ちだけ受け取っとくよ」

「……そう、ですか」

残念。でも、嫌なら無理強いできないな。

「歩佳さん、もう落ち着いた?」

「あっ、はい」

「それじゃ、アトラクション、行ってみるかい?」

「は、はい」

「どこに行く?」

柊二はそう問いかけながら、自分の持っているパンフレットを歩佳に見せてきた。

その仕種でふたりの距離がぐっと近づき、歩佳はドギマギしてしまう。

「これとか、これ、楽しそうだよ」

「ああ、それじゃ、そのどちらかで」

「俺がふたつに絞ったんだから、君がどっちかに決めて」

「えっ?」

選択を任され、歩佳は焦ってふたつのアトラクションの内容を確認する。

「えーっと、そ、それじゃ……ここから近いし、こっちで」

「了解。それじゃ、行こう」

さっと立ち上がった柊二が手を差し出してきた。

ええっ!

ま、まさか、手を繋ぐの?

「また、君が迷子になったりしたら困るし……君に付き合っている相手がいるわけではないなら、何も問題はないかと思うんだけど……」

「そ、それは……そ、それじゃ」

歩佳はおずおずと手を差し出した。

柊二は躊躇いなく、歩佳の手を握る。

きゃーーっ!

てっ、手を繋いじゃった!

そのとき、思い出した。そ、そうだった。ジェットコースターに乗ってて、わたし、彼の手を無意識に握っちゃってたんだった。

そのことについて、まだ謝ってない。

ど、どうしよう。やっぱり、謝るべき?

それとも、もう忘れたふりしてればいいのかな?

変な風には思われてないんだよね?

こうして、迷子にならないようにって理由で手を繋いでくれたし……

あれこれ悩みつつも、歩佳は柊二と手を繋ぎ、目的のアトラクションに向かって歩き出した。

あー、心臓が破裂しませんように。




つづく





   
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