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第18話 かもしれない
「あー、もう夕焼けだねぇ」
西の空を見て、美晴が言う。
歩佳もオレンジ色に染まった空を見つめる。
もう少しで日が落ちてしまいそうだ。
「そろそろ帰りますか?」
宮平が美晴に聞く。
「そうだね。もう充分堪能したし……どう歩佳、もう帰る?」
美晴は、歩佳に向き、意見を聞いてくる。
歩佳は美晴に向けて頷いたものの、強烈に寂しさが込み上げてしまう。
柊二さんと一緒で、今日一日緊張しっぱなしだったけど……一緒にいられて、とんでもなくしあわせだった。
……だけど、もうこんな機会、ないに違いない。
そう思うと泣きたくなる。
……でも、本当は美晴とふたりで遊ぶはずだったんだものね。
歩佳はそう思い直し、泣きたい気持ちを振り払った。
そうだよ。思いがけず、柊二さんと一緒に遊べたんだから、歩佳、ここは喜ばないと。
自分に言い聞かせた歩佳は、宮平にちらりと視線を向けた。
うん、宮平君に感謝だわ。
彼が遊園地の優待券を持っていなかったら、こんな現実はなかったんだもの。
考えてみたら……いっぱい思い出ができちゃったよね。
予想もできなかった素敵な思い出。
そう思ったら、今度はじわじわと喜びが込み上げてくる。
迷子になって、恥ずかしい思いもしちゃったけど……信じられないことに、わたしのことを柊二さんが見つけてくれて……
しかもそのあと、一時間くらい、ふたりきりでアトラクションを回ったのだ。
ふたりきりでいられた間、苦しいくらい胸はバクバクするし、もう舞い上がっちゃって、彼とどんなおしゃべりをしたのかすら、あんまり憶えていないんだけど……
でも……なんと、手を繋いじゃって……
ぽぽぽっと頬が熱を持つ。
「歩佳、帰る前にお手洗いに行かない?」
美晴が声をかけてきて、歩佳の腕を掴む。そして、歩佳の返事を聞く前に歩き出した。
「う、うん」
「それじゃあ、あんたたち、ちょっと待っててねぇ」
美晴は歩佳を引っ張って駆け出しつ、柊二と宮平に手を振る。
トイレをすませて手を洗っていると、美晴が「歩佳、ちょっと相談があるんだけど」と言う。
「相談?」
「うん。家に送る順番なんだけどさ。本来、ここから一番近いところに住んでる、歩佳が先ってことになるんだけど……宮平君と柊二を先に送ろうかなと思ってさ」
「それは構わないけど……でも、どうして?」
その理由も気になるけど……柊二さん、今夜は宮平君のところに泊まるのかな?
「なんとなく……ね。ほら、もしかしたらわたし、歩佳のところにお世話になるかもしれないじゃん?」
「う、うん」
「歩佳のアパート、宮平君のところから近すぎだし……あの子に、そのことを知られるのが……なーんか、癪というかさ……」
「癪?」
「そう。だからさ、あのふたりには秘密にしとかない? 宮平君の上をいってる感じして、気分がいいじゃん?」
にやついてそんなことを言った美晴は、肩を竦める。
「まあ、いくら秘密にしようとしたところで、いずれはバレるだろうと思うんだけどさ」
確かに、あんなに近かったら、ひょっこり顔を合せそうだ。
そう考えて、またドキドキしてくる。
柊二さん、わたしのご近所さんになること、すでに決定してるんだよね?
うわーっ、どっ、どうしよう?
「歩佳?」
「えっ、は、はい?」
「あんた、浮かれてんね?」
愉快そうに言われ、歩佳は慌てた。
「えっ? そっ、そんなことないよ」
「いいのいいの、隠さなくても。宮平君の上をいっていい気分だなぁと、あんたも思ったんでしょう?」
いや、そうじゃないんだけども。
ここは否定せず、肯定しとくほうがよさそうだな。
「う、うん。まあね」
歩佳はそう答え、赤らんだ頬をポリポリ掻く。
「ふふっ、やっぱりね。よーし。それじゃ、合意ということで、いいね?」
「うん。あっ、そうだ。美晴がわたしのところで暮らすこと、今日にでも両親に電話して了解取っとくからね」
「うん、お願いね。あっ、恭嗣さんにもだよ」
「わかった」
話が決まり、ふたりは柊二と宮平のところに戻った。
「おまたせ」
「それじゃ、帰ろうか」
柊二がみんなに声をかけ、みんな出口に向かって歩き出す。
「今日は楽しかったわ。宮平君、ありがとね」
「どういたしまして。僕のほうこそ、楽しかったですよ」
美晴が宮平と会話を始め、自然と歩佳は柊二と並んで歩くことになった。
もうお別れだし、柊二と話したいのだが、何を言えばいいのかわからない。
会話のないまま歩き続け、柊二のことが気になってならない歩佳は、勇気を出して彼の様子を窺った。
ちらりと視線を上げた途端、目が合ってしまい、ぎょっとして視線を逸らしてしまう。
うわっ、わ、わたしってば……馬鹿!
これじゃ、あなたのことを意識してますって、丸わかりじゃない。
「歩佳さん」
柊二が呼びかけてきて、歩佳は心臓が跳ねた。
「は、はい」
焦って返事をしたところで、携帯に電話がかかってきた。
柊二から呼び掛けられたところで困ったが、柊二は、どうぞと言うように手を振る。
歩佳は頷き、携帯を取り出して確認してみた。
なんだ、恭嗣さんからだ。
「はい」
「歩佳君、君はいま、どこにいるんだ?」
「遊園地ですけど」
「遊園地? ひとりでか?」
ひ、ひとり?
「そんなわけないです」
歩佳はむっとして返事をしてしまう。
まったく、ひとりで遊園地に行くひとがいるとすれば、恭嗣さんくらいのものだし。
「美晴たちと一緒ですよ。今週は美晴のところに泊まるって話したでしょう?」
「たち? ちっこいののほかにもいるのか?」
ちっこいのって……
もおっ、恭嗣さんときたら……
美晴には、絶対に聞かせられないよ。
「美晴の弟さんと弟さんの友達も一緒です」
「ふーむ。世話が大変だったんじゃないのか? 私が休みだったら、付き合ってやったのだが……」
歩佳は眉をひそめた。
世話が大変って?
「それで、君は何時にアパートに帰って来るんだ?」
言葉の意味を考えている途中で話しかけられ、恭嗣との会話に意識を戻す。
「これから帰ろうとしているところです」
「そうか。では、今夜なのだが」
「今夜?」
「ああ。君を実家に連れて帰るから、支度して待っていろ。九時には行く」
「九時?」
「仕事を終えてだと、その時間になる。君の父も母も、一晩くらい泊まってほしいだろうからな」
そう言われると、嫌だとも言えない。
あっ、でも、ちょうどいいかも。
両親に直接会って美晴のことを伝えられるし、恭嗣にも……
そのとき気づいたが、前を歩いている美晴と宮平が、歩佳をちらちら見ている。
ここは、さっさと会話を終わらせよう。
「わかりました。それじゃ、今夜九時に待ってます」
「ああ。気を付けて帰るのだぞ。あっ!」
恭嗣が何か思いついたように、急に叫び、歩佳は「どうしたんですか?」と問いかけた。
「いや、君は遊園地まで、ちびっこの運転で出掛けたのではないのか?」
「ああ、はい、そうですけど」
「うーむ」
恭嗣がなにやら唸っている。
「どうかしたんですか?」
「あのちびっこが、運転免許証を取得しているということが、いまだに信じられなくてな。危険なことはなかったのか?」
「まったくありませんよ」
きっぱり言ってやる。
やれやれ、恭嗣さんときたら、美晴のこと、依然として小学生扱いなんだから……
本人の美晴には、口が裂けても言えないけど……
「それじゃ恭嗣さん、これで失礼しますね」
長々と話していられないと、歩佳は丁寧に言い、恭嗣の返事を待たずに通話を切った。
「ごめんなさい」
三人に謝ると、美晴はくすくす笑い、宮平は意味ありげに歩佳を見つめる。
そして柊二はというと、まるで関心がなそうにそっぽを向いている。
柊二の反応に、ため息が出そうになる。
柊二さん、わたしになんて、まるで関心ないんだなぁ。
内心しょげ返っていると、美晴が歩佳の腕を取る。
「やっぱり、遊園地がどんなに楽しくても、歩佳の一番は恭嗣さんだよねぇ」
「えっ? そ、そんなことないし」
「ふふっ、恥かしいからって、否定しなくていいよぉ」
いやいや、誤解なんだけどなぁ。
いくら否定しても、美晴は信じてくれないし。
困って柊二と宮平を見ると、ふたりはなにやらこそこそと話しているところだった。
歩佳の視線に気づいたかのように宮平が振り返り、歩佳に向けてにこっと笑う。
な、なんなの? いまの表情と笑いは?
すべてお見通しといわんばかりだ。
よ、よくわからないけど……
やっぱり宮平君は、神っぽいのかもしれない。と、思った歩佳だった。
つづく
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