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第2話 そんなわけで
「俺、柊二です。貴女の名前は?」
うわーっ、貴女だって……
年上の男性に、こんな風に呼びかけてもらったのは、これが初めてかも……
子ども扱いされていないことに、嬉しくなる。
「わ、わたし、吉沢歩佳です。美晴さんには、とても仲良くしていただいています」
「そう。世話をしてるわけじゃなく?」
その冗談に、思わずくすくす笑ってしまう。
胸が弾んでならない。その一方で、彼を異性として意識しているのがバレバレじゃないかと、不安にもなった。
「お世話をしてもらっているのはわたしのほうです。美晴さんはとっても行動的で、わたしがあちこち遊びにつれてってもらっているんです」
そのとき、ガチャッと玄関のドアが開いた。
「たっだいまぁ」
元気よく美晴が入ってきた。
「あっ!」
柊二を見上げて、美晴が驚いた声を上げる。
見た感じで、百八十センチ以上は上背のありそうな彼と並ぶと、美晴は小学生のようだ。
ランドセルを背負ってても、しっくりくるかも。
せ、背負わせてみたい! と、本気で思ったことは美晴には内緒だ。
「なんだ、帰ってたの?」
「ああ、ここは俺の我が家だからな」
「友達のところに泊まるんじゃなかったの? そう言ってたよね?」
美晴ときたら、兄に対して、ずいぶん生意気な態度を取るものだ。
世の妹というのは、こんなものなのだろうか?
彼の方は、妹の生意気さを綺麗にスルーしている。さすがだ。と感心する。
わたしに、もし兄がいたら、こんな感じで接しちゃうのかな?
けど、このひとが兄だったりしたら、とても美晴のような態度はとれないな。
歩佳には妹がふたりいるが、男の兄弟はいない。
だから、異性の兄弟は想像がつかないのだ。
まあ、ひとり兄っぽいのがいないわけじゃないのだが……あれは番外……だな。
番外を頭から消し、歩佳は会話しているふたりに意識を戻した。
すると、いいタイミングで美晴が顔を向けてきた。
「……というか、歩佳、びっくりしたんじゃないの。こんなのがいて」
「み、美晴……そ、そんなふうに言うもんじゃないわ」
戒めるように言うと、彼が澄ました顔で「そうだぞ」と言う。
その態度に、歩佳は笑いが込み上げてしまった。
「そうだぞ、じゃないっ!」
美晴が強烈に噛みついたところで、キッチンの方から「美晴!」と声がかかった。
美春の声がキッチンまで届いたのだろう。
「ケチャップ、早くもってきて!」
姿を見せぬまま、美晴の母の叱責だけが飛んできた。
「ちょっと待ってよ、お母さん。いまこいつにさぁ」
美晴はなかなかケチャップを届けに行こうとしない。
そのことが気になる歩佳は、美晴からケチャップを取り上げ、キッチンに走った。
「あっ、歩佳ぁ〜」
焦った美晴の声と、楽しそうな柊二の笑い声。
耳に心地よい低音の声に、口元が緩んでしまう。
なんか……わたし、美晴のお兄さんに、一目惚れしちゃったみたいだ。
胸がくすぐったかった。
初めての恋に、歩佳は戸惑いながらも胸を膨らませた。
その夜の夕食は、美晴の部屋で、彼女とふたりでいただくことになった。
恋心を抱いてしまった柊二と一緒に食べるなんてハードルが高いと思っていたから、歩佳はほっとした。
「どう、歩佳。料理は口に合う?」
「もちろん。とっても美味しいわよ」
「そう、ならよかった!」
「片付けも手伝わせてもらえるかな?」
「手伝いたいなら、手伝えばいいよ」
「うん」
申し出をあっさりと受け入れてくれる美晴がありがたい。
そのぶん歩佳はくつろげる。
「それにしても、美晴に兄妹がいるなんて聞いてなかったから、びっくりしちゃった」
「だってさ、あんなむさ苦しい弟がいるってわかったら、歩佳が泊まるの嫌がるんじゃないかって思ってさぁ。内緒にしてた」
は、はい?
い、いま……美晴、お、弟って、言った?
しばし呆然とする。
「どうしたの、歩佳? 箸、止まっちゃってるよ。ほんとは、食べられないものでもあったんじゃないの?」
「ああ、ううん。大丈夫、全然」
歩佳は慌てて箸を口に運んだが、たったいま知った真実に、受けた衝撃はなかなか引かなかった。
そんなわけで、吉沢歩佳十八才。
初めての恋の相手は、なんと三歳も年下の、高校一年生ということになってしまったのである。
真実を知ったあとになっても、彼への思いが消えることはなかった。
そして、月日は巡り、歩佳は初恋からの片思いを抱えたまま二十歳になった。
社会人になった彼女の物語は、ここから始まるのであった。
つづく
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