シュガーポットに恋をひと粒



第4話 ひ弱な決意



「はい、どうぞ。貧相な食べ物ですけど……」

たっぷりの嫌味を込めて、巡査殿に向け、奥ゆかしく昼食をお出しする。

「歩佳君、そう恐縮することはない」

慰めるように言われ、カッチーンとくる。

はあっ?

恐縮してんじゃないし。

嫌味だよっ!

なんで、それが、おぬしにはわからんのじゃ?

思わず右の拳を振り上げ、その頭をどつきそうになるのを堪える。

「無意識か? 君、顔が微妙に変形し続けているぞ」

そんな指摘はいらんわい!

と、腹の中で怒鳴り返しつつも、顔はにっこり微笑んで対応する。

「粗末な料理が、巡査殿のお口に合えばいいがと……心配しておりました」

「……」

超控えめに口にしたら、無言で見つめられる。

部屋が静まり返り、秒針は時を刻み続ける。

さすがに胡散臭かったか……

「あの?」

「そういえば……あのちっこいのは、どうしている?」

うん? それって、美晴のこと?

胡散臭いわたしの態度はスルーすることにしたわけね。まあ、いいけど。

美晴と恭嗣はすでに数回会っている。

そのときのことを思い出して、危うく噴き出しそうになる。

恭嗣は美晴のことを、最後まで小学生としか思えなかったらしい。

歩佳がいくら否定しても、その疑いは消えず……いまに至る。

幸いなことに、美晴はそのことを知らない。

だって、絶対言えないよ。

警官相手に殴りつけるとか……やらかしそうだもん。

あの負けん気の強い美晴なら。

自分の背が低いこと、普段は笑い飛ばしてるけど、実際はそうとう気にしてるっぽいからなぁ。

「美晴なら、元気にしていますよ」

メールばかりでやりとりしてたけど……いまはとっても仕事が忙しいようだ。

まあ、自分も似たようなものだけど……

入社して半年が経ち、仕事にもそれなりに慣れてきたいま、新入社員の扱いではない。

がっちり仕事を任されてしまっている。歩佳の場合、雑用関係が多いのだが。

雑用関係って、もうきりがないのよね。

急ぎを優先して処理するようにしてるけど……

「あれは、本当に小学生ではないのか?」

仕事のことに頭がいっていた歩佳は、恭嗣の問いかけに思考を中断して、顔を向けた。

自然と、顔は呆れ返ったものになる。

「だからぁ、何度も言ってるじゃないですか。彼女はわたしと同じ歳ですよ」

「……もう大きくはなれないんだろうな?」

ずいぶんと不憫そうに言う。

自分の図体がデカいからか、ちっこい美晴が心配なようだ。

恭嗣さん、猛獣だろうがなんだろうが、軽く倒せそうだもんね。

体育会系の体つきだけど、均整は取れている。

しかし、自分の知らぬところで、巡査殿に不憫に思われている美晴のことを考え、美晴には悪いが、笑いが込み上げてきてしまう。

「遺伝、ですかね」

悪乗りして、真剣に意見を述べてみる。

すると恭嗣は、真顔で受け取った。

「遺伝か……。うーむ、なかなか大変だろうな。あの身体で生活するというのは……」

いえ、そんなことはないでしょう、と心の中で突っ込んでおく。

それにしても恭嗣さん、突っ込み入れたくなるようなことばかり、よく言えるなぁ。感心しちゃうわ。

おかげで突っ込み体質でもないわたしが、いちいち突っ込んじゃうじゃないの。まったくぅ。

内心、ぷりぷりしつつ、美晴のために常識的な意見を述べておくことにする。

「でも、背の低い小学生だって普通に生活しているんですし、別に大変ではないと思いますよ。だいたい美晴は、わたしよりずっと行動力があるんですから」

「すばしっこいわけだな」

すばしっこい?

ま、まあ、そうかな……

「野山を駆け回るのもうまいのか?」

の、野山とな?

……そんなものを引き合いに出すのはおかしいと思うが……まあ、いいか。

「さあ、それはどうでしょうか。それより、巡査殿、チャーハンが冷める前に食べてくださいよ」

「おお、気を使わせたな。では、ありがたくいただくとしようか」

寺の住職さんのように両手を合わせて頭を下げ、恭嗣はスプーン山盛りのチャーハンを口に頬張る。

咀嚼している恭嗣を見て感想を待つが、コメントはなかった。

つまりこれは、まずいとも美味しいとも言えないということか?

味の感想はないまま、恭嗣がパクパク食べているところに、歩佳の携帯に電話がかかってきた。

あっ、美晴からだ。

「はいはい」

「歩佳、いまいい?」

「うん。全然大丈夫」

「誰からだ?」

重い声で尋問が飛んできた。お目付け役発動だ。

「友達の美晴ですよ」

そう伝えると、恭嗣の唇が、『ああ、ちっこいのか』と動く。

予想できていたので、唇の動きで読み取るのは簡単だ。

「誰かいるの? あっ、ああ、もしや、あの方?」

「うん。あの方」

笑いながら答える。

ついさっき、あの方は、美晴の心を配してずいぶん悩んでおいでだったよ。もう大きくなれないのかなって。

口にはできないことなので、心の中でのみ美晴に伝える。

彼の警察官の制服姿も一度見る機会があり、凛々しく美麗すぎると、ありえない高評価をしていた。

彼女の弟の柊二の方が、数百倍かっこいいのに……

美晴は美的センスがずれている。可哀想に……

ただ、美晴は恭嗣のことを、歩佳の彼氏だと思い込んでしまっているようなのだ。

全然そんなのじゃないって言ってるのに……

「それじゃ、お邪魔だね」

「お邪魔じゃないって。いま、餌を与えたばかりで、放置でオッケイだから」

「おい。餌と言うな。自分で自分を貶めてどうする?」

「はい? なんで自分を貶め……も、もう、いいから、恭嗣さんは黙って食べててください」

叱りつけた歩佳は、恭嗣のいる部屋から、ベランダに出た。

おおっ、今日は秋の風がずいぶんと心地よいじゃないか。

「あんなかっこいい人、そんな邪険にするもんじゃないわよ、歩佳」

「だからね、あのひとは別に」

「照れちゃってぇ」

「別に照れてなんて……だからね、あのひとは……」

「はいはい。ねぇ、歩佳さぁ。次の週末、泊まりに来ない?」

急にテンションを変えて、美晴はお願いするように言う。

「美晴が、うちに泊まりにおいでよ」

「そう言わないでさ。だってさぁ、歩佳、この最近ちっともうちに来ないんだもん。お母さんが、歩佳が来てくれないって、寂しがってるんですけどぉ」

美晴の母の顔を思い浮かべ、歩佳は笑みを浮かべた。

さばさばした性格でキップが良くて、歩佳を娘みたいに扱ってくれる美晴の母。

わたしだって会いたい。けど……どうしよう?

柊二と会うのが躊躇われる……

彼を前にすると、ひどく緊張してしまって……息をするのも忘れるくらいで……どんどん恋煩いの症状が重くなってるんだもんなぁ。

年下の柊二にとって、年上の歩佳なんか、恋の対象になどなりえないのに。

彼になんとも思われてないのに……わたしひとりで右往左往しちゃって、ほんと馬鹿みたいだ。

「実はさぁ、我が家、建て替えの話が進んでるんだよ」

その情報に、歩佳は眉を寄せた。

「えっ、そうなの?」

「うん。だから、なおさら来てほしいわけ。建て替えてる間、わたしは伯母さんとこにお世話になる予定でさ」

「えっ? みんなして伯母さんのところに行くの?」

「違うよぉ。伯母さんとこはわたしだけ。さすがにみんなして世話になれないよ。そんなに空部屋ないし」

「そ、そうなんだ」

ならば、柊二さんはどうするのだろう?

「両親は、父方の祖父母の家。父さん、そこからの方が会社が近いもんだからさ、朝もこれまでよりゆっくり寝られるって、単純に喜んでるよ」

「そうなの」

それで、柊二さんは?

「まあ、半年くらいだからさ、家族バラバラってのも、いい経験かってね」

「半年くらいなら、わたしのとこでもよかったのに、部屋は空いてるんだし」

「ええっ、ほんとに?」

「うん」

「えーっ、そっかぁ。歩佳と共同生活。そそられるねぇ。うん、もしかしたら甘えちゃうかもしれないけど……歩佳、ほんとにいいの?」

「もちろん」

美晴との暮らしを考えて、歩佳のテンションも上がる。

ひとりきりの暮らしは悪くないけど、やっぱり寂しくもある。

半年という期限付きだけど、美晴となら楽しくやれそうだ。

結局、次の金曜日、仕事を終わったその足で美晴の家に泊まりに行くことを約束させられた。

翌日は丸一日遊ぼうということになった。

映画を観るか、カラオケか、遊園地に遊ぶに行くのでもいいし、歩佳の好きに決めていいそうだ。

通話を終えた歩佳が、ベランダから部屋に戻ったら、待っていたかのように恭嗣が「お茶、お代わり」と言う。

この家のヌシのような態度の恭嗣に文句を言いたくなったが、やめておく。

彼に口で勝てたためしはない。

言い負かされて、胸のもやもやを膨らませるだけだ。

お茶を飲んだ恭嗣は、すぐに帰って行った。

なにやら、これから近くの公園に行くとのことだった。
少年野球のコーチをしているらしい。

小さな女の子の相手は苦手だったのに……少年は大丈夫ってことか。ふむふむ。

ひとりになり、恭嗣の持ってきてくれた巨峰と梨を冷蔵庫にしまう。

そうだ。お土産代わりに、逢坂家に持って行くとしよう。

冷蔵庫を閉め、来週逢坂家に行くことを考え、思わずため息が零れてしまう。

それでも、困っている半面、柊二に会えるかもしれないことに、ドキドキと胸が弾んでくる。

「なんなんだぁ、この矛盾!」

もやもやを吐き出すように大声を上げた歩佳は、どうしようもない自分にため息をつき、キッチンの床をじっと見つめる。

……会えるかな?

もしかして、彼女ができてて、週末はデートしたりとか……

もしそうだったら……わたしにとって、ずいぶんと悲惨な週末になるだろうな。

勝手な想像をして激しく落ち込んでいる自分に気づき、歩佳は疲れた笑いを漏らしてしまう。

やれやれ……

けど、もう……三ヶ月くらい、会っていないんだよね。

七月に入ってすぐのころ、逢坂家にお邪魔した。

柊二は友達のところに泊まるので、家にはいないって話だったから行ったのに、彼はいて……

柊二さん、さらに大人びてたな。

ぞくりとするほど男らしくて……首筋とか……肩の骨格とか……手の甲とかも……

あの手に触れられたいとか、望んでいる自分がいとわしくてならない。

疼く胸に泣きそうになりながら、切ない吐息をつく。

そのとき思い出した。

そういえば、柊二さんのこと、聞けないままだった。

家を建て替える間、彼がどこに身を寄せるのか、なにより聞きたいことだったのに……

美晴と一緒にここで……なんてね。

そんなわけにはいかないよね。

来週、逢坂家に行ったら、会えるのかな?

会えなかった三ヶ月の間、彼はどう過ごしたんだろう?

もう彼女はいるんだろうか?

もしそうなら、嫌がっていないで真実を知るべきかも。

もう手放さなきゃ……いつまでも叶わない恋を抱えていては、前に進めない。

歩佳はひ弱な決意を固めたのだった。





つづく




   
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