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44 失礼なのは
六時まで、あと三十分というところになった。
時計を見てそわそわしていたら、ぽんぽんと肩を叩かれた。
「な、何? 美晴」
「何じゃないよ。なんか落ち着かないようだけど、どうかしたの?」
美晴に問いかけられ、ちょっと顔が引きつりそうになる。
わたしってば、そわそわしちゃってる気持ちを、そのまま表に出しちゃってたとは!
「な、なんでも……それより、ピザ、好きなだけ頼めって、美晴太っ腹だね」
「あーあ。ああ言われたら、若人は嬉しいもんでしょ?」
若人って……
その表現に歩佳は苦笑しつつ話を続ける。
「でもさ、すっごくいっぱい頼んじゃうかもよ。あっ、わたしも払ってもいいからね」
「そんな心配いらないって。あいつらは、無鉄砲はしないよ」
そ、そうか、美晴、ちゃんとふたりのことをわかったうえでの発言だったんだ。
「確かに、そうだね」
「わたしの懐具合も、それなりにわかってるよ」
「それじゃ、もしもオーバーしたときは、わたしにも出させてね」
「うん、そのときはお願いするよ。さて、歩佳さん、そろそろ行こうかね?」
美晴は言い回しと同じに、まるでお年寄りのような仕草で立ち上がる。
「えっ? でも、もう少し時間あるよ」
「時間ぴったりに、行かなきゃならないってもんでもないっしょ。だいたいピザが届くときには、わたしの財布がなきゃいけないわけだし。早目に届くかもしれないからね」
「それはそうだね」
歩佳はちょっと恥ずかしく思いながら頷いた。そして、急いで立ち上がる。
美晴の言う通りだよ。
わたしってば、考えればわかることなのに……
もしかして、自分ではわからないけど、わたしいま、かなりテンパってるのかな?
アパートを出ると、美晴と肩を並べて宮平のアパートに向かう。
どうにもドキドキしてくる。
これから柊二さんが暮らすアパートに行けるんだぁ。
それにしても、柊二さん、段ボールから荷物を出さないとか……ほんと笑いが込み上げてきちゃう。
「さて、敵情視察といくわよぉ」
急に、美晴が声を張り上げた。
口にされた言葉の意味を理解しかね、歩佳は眉を寄せた。
「美晴、敵情視察って、なに?」
「宮平君の懐にあえて飛び込んで、奴の正体を暴くのさ」
「なにそれ?」
まったく理解できず聞き返したら、チッチッチと口にしつつ美晴は指を横に振ってみせる。
「前にも言ったじゃん。宮平君は人知の及ばぬことをしでかす奴なの。そんな奴の近所に住むことになるんだから、相手を知っておくことは大事だってことよ」
よくわからないけど……
確かに、美晴は宮平君のことを怖がってたっけ。
みんなで遊園地に行って、それから何回か顔を合わせて、すっかり頭から消えてたけど……
そういえば、わたしも最初に宮平君の目をみたとき、ちょっと怖いなって思ったんだっけ。
けど、いまの彼は年下の男の子って感じで、怖いなんてまるで思わないけど。
「このところ、奴は用心して自粛しているんじゃないかと思えてならないのよね」
「美晴ってば……」
くすくす笑ったら、そんな歩佳を見て美晴はやれやれと肩を竦める。
「奴がわかってないよねぇ。……でもま、おかしなことをしでかしさえしなければ、いいんだよ」
うーむ、やっぱりよくわかんないな。
「それよりさ、歩佳のアパートの場所、目の前に公園はあるし、本屋もコンビニもけっこう近いし、暮らすにはいいとこだよねぇ」
公園やら本屋やらに視線を向けながらそんなことを言う美晴は、ずいぶんウキウキしている。
これからしばらく、ここに住むことを喜んでくれてるのが伝わってきて、嬉しい。
「うん、便利だよ。駅も歩いて五分くらいだし、駅までの道は人通りが多いし外灯もあるし、女の子ひとりで夜出歩いても、かなり安全だよ」
恭嗣さんが探してくれただけあるのよね。
会社からもそう遠くなく、歩佳の家計を圧迫しない家賃だし。
もちろん、物件を探してくれた恭嗣には心から感謝している。
「けど、恭嗣さんから、夜八時以降は出歩かないように言われてるんだよね?」
「そうなのよ。だから、会社帰りに同僚とご飯を食べたりもなかなかできないんだよ。お酒も禁止だし」
お酒はどのみちたいして飲めないから、別に禁止でもいいんだけど……
居酒屋に行って、仲のいい子とやきとりとか食べながらおしゃべりするのは楽しいんだよね。
なのに、八時にはアパートに戻ってなきゃならないので、なかなか大変なのだ。
抜き打ち検査みたいに、恭嗣さんから八時ピッタリに電話がかかってくるし。
一度、門限に間に合わずにいるところに恭嗣さんから電話がかかってきたことがあって、ここはもう、なんとかしらばっくれようと電話に出たんだけど、警察官の鋭さというのか、外にいるってことがすぐにばれちゃって……
あのときの恭嗣さん、震え上がるほど怖かったなぁ。
けど、恭嗣さんは門限が守れなかったことより、わたしが誤魔化そうとしたことを怒ったんだよね。
あれ以降、恭嗣さんに対しては、常に正直に行こうと決めたのだ。
恭嗣さん相手に誤魔化そうなんて、わたしには百年経っても無理だろう。
「心配してくれてるんだよ、嬉しいことじゃないの」
嬉しいことねぇ。
「よかったね」
「よかった?」
歩佳の言葉に、美晴は首を傾げる。
「これからは、美晴もわたしと同じ運命だよ。恭嗣さんの管理下に置かれちゃったんだもん」
そう言ったら、なんと美晴は、感激したように顔を輝かせる。
「美晴、まさか嬉しいわけ?」
「まさかって……だって、あの恭嗣さんだよ」
その言葉だけで、充分だとでもいうように、美晴は言うが……
「あの恭嗣さんだから、何?」
「なにって……あの恭嗣さんが、このわたしを気にかけてくださるんだよ!」
「いや、そこで強調されても」
「もおっ。歩佳は、ありがたみなさすぎ!」
わたし、なんで叱られてるの?
それに、ありがたみって、何?
恭嗣さんは、けしてどこぞの神社で祭られている大明神とかじゃないし。
疑問や反論がぽこぽこ湧いてきたが……歩佳はもう突っ込むのをやめることにした。
このやりとりは、どこまでいっても平行線を辿るんだろう。
それにしても、どうして美晴は、こんなにも恭嗣さんをありがたがるのかな?
うーむ、よくわからない友だ。
そこで、歩佳は宮平のことを思い出した。
そういえば美晴、宮平君のこと、人知の及ばないことをしでかすとか言って、ずいぶん恐れてたはずだけど……
「ねぇ、美晴。美晴は恭嗣さんのこと、神様みたいにありがたがるけど……宮平君のほうが神様っぽいんじゃないの?」
「ぜーんぜん、ちがーうっ!!」
全力で否定された。
「もおっ、宮平君と一緒にしちゃ、恭嗣さんに超失礼だよ!」
美晴はぷんぷん怒る。
いや、失礼なのは美晴のほうではないか……と思う歩佳だった。
つづく
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