シュガーポットに恋をひと粒



第5話 雨の中で



逢坂家に行くことになった金曜日、間の悪いことに一日中雨が降り続いた。

仕事が終わってすぐ退社した歩佳は、電車で逢坂家に向かう。

美晴は車を持っていて、車で通勤しているのだが、彼女の勤め先は反対側。歩佳が電車で行った方が早いのだ。

ホームで電車を待っていたら、美晴からメールが届いた。

最寄りの駅まで車で迎えに来てくれるはずだったのだが、この雨のせいで仕事が押してしまって、迎えに間に合いそうにないという。

そんなに遠くないし、歩いて行くからいいよ、と返信した。

仕事中なのに無理にメールをしてくれていたらしく、それきりメールはこなかった。

最寄りの駅に着き、改札口を出て雨の様子を眺める。

やはり、美晴の車はないようだ。

メールも仕事の邪魔だろうし、このまま逢坂家に向かうことにした。

ゆっくり歩いても、十分はかからないものね。

荷物はそんなにないんだけど、例のブドウと梨がある。

梨は五個分で、どれも大粒のものなので、けっこうな重量があるのだ。

傘を差しているので荷物が重くてならない。

もちろん、やっかいなのはこの梨。

晴れてれば楽だったんだけどなぁ……

恨めしく空を見上げたところで、前方から背の高い男性がやって来るのに気づいた。

ずいぶん遠いのだが、それが誰だか歩佳にはすぐわかった。

しゅ、柊二さんだ!

こ、こっちに向かってくる。

このまま行けば鉢合わせしちゃうよぉ。

ど、ど、どうしよう?

突然のことに、盛大に狼狽してしまう。

どうしようも何も、この一本道で逃げるという選択はない。

まだ彼は、歩佳に気づいていないだろうけど……

思わず、柊二をやり過ごせるような隠れ場所はないかと、必死になって探してしまう。

そんなことをしていたら、突然彼が走り出した。

もちろん、歩佳に向かってくる。

あわわわっ!

動転したところで「歩佳さん」と大きな声で呼びかけられた。

まだ五十メートル以上距離がある。

わ、わたしだって、き、気づかれてたの?

しかも駆け寄ってきてるし……

その場に立ち竦んでしまい、心臓をバクバクさせて焦りまくっていたら、柊二が目の前までやってきた。

「あ、あの?」

「迎えに来た」

「えっ?」

「美晴から電話貰った。貴女を迎えに行けないから、代わりに迎えに行ってくれって」

ええっ!

み、美晴ときたら、そんな図々しいこと、勝手に頼むなんてぇ。

申し訳なくて、柊二さんと目を合わせられないよぉ。

「荷物」

「は、はい?」

柊二は片手を差し出している。

「い、いいです。自分で持ちます」

「遠慮?」

スパッと指摘され、目が泳ぐ。

「せっかく迎えに来たんだから、持たせてもらえないかな」

「で、でも……重いんです」

「重い」

ぼそりと呟くように言った柊二は、有無を言わさず、荷物を取り上げた。

「あっ」

「確かに重いな」

「ご、ごめんなさい。ブドウと梨をたくさんいただいたんで、持ってきたんです」

「どうして謝るの?」

無表情で問いかけられ、言う言葉が見つけられない。

気まずくて、またごめんなさいと言いそうになり、歩佳は唇をきゅっと噛みしめた。

「ブドウと梨か……俺、好きなんだ。早く食べたいな」

その言葉に、重くなっていた心がふわっと軽くなった。

好きなひとのちょっとした言葉次第で、こんな風に右往左往させられている自分が情けなくもあるけど……

「柊二さんが好きなのなら、持ってきてよかったです」

「うん。ありがとう」

「い、いえ」

顔を赤らめてしどろもどろに返事をしている自分が恥ずかしくてならない。

こっちは彼より三つも年を食っているというのに。

彼はわたしより三つも年下だとちゃんと認識できているのに、どうしても彼が年上のように対応してしまって。

あー、傘があってよかった。

真っ赤になった顔を、少しでも隠せる。

「美晴、もう家に向かってるってことだったから」

「そ、そうですか」

「俺たちが家に着くころには、帰りつくんじゃないかと思う」

「はい」

その情報にほっと胸を撫で下ろす。

逢坂の家に到着して、美晴がいなかったら、身の置き所がない。

「ねぇ、歩佳さん」

「は、はい」

「歩佳さんは車の免許は?」

「取ってないんです」

「取らないの?」

「運転するの、なんか怖くて……それにいまのところ、必要にも思わないから、なくてもいいかなって」

「そう」

「はい」

返事をしたら、会話は止まってしまったけど、これまでになく会話が弾んだことに舞い上がりそうになる。

緩みそうになる口元をなんとか引き締める。

「俺……もうすぐ誕生日で……」

「あっ、そうですか」

なんて返事をしたものの、実は知っているのだ。

一昨年、美晴から聞いた。

「誕生日のプレゼント、欲しいものとかあるんですか?」

「実は、免許を取らせてもらえることになったんだ」

「免許?」

「十八になるから……免許取れるんで」

「ああ。そうですね。柊二さんも美晴と同じで、行動力ありますね」

「いや、俺だけじゃないし……」

「えっ! あ、ああ、そうですよね。免許取れる年になったら、すぐにっていうひと多いですよね。特に男の人は……」

「もっと誕生日が早かったら……と思った」

「はい?」

「こんな場面でも、車で迎えに来れたわけだし……」

「そうですよね。あの、ほんとにごめんなさい。美晴ったら、わたしを迎えに行けだなんて……」

「謝ってほしくない」

少し気分を害したような声に、歩佳はどきんとした。

うわっ、どうしよう。

機嫌を悪くちゃったの?

「ねぇ、家に着いたら、歩佳さん、梨をむいてくれない?」

「あっ、はい。もちろんです」

うわーっ、わたし、柊二さんのために梨の皮をむいてあげられるの?

「免許取ったら、あちこちドライブしたいと思ってるんだ」

おおっ、今日の柊二さんいつもより饒舌だ。

すっごい嬉しいけど。

誕生日が来るので、もうすぐ免許を取れることになって、ご機嫌なのかも。

「いいですね、ドライブ」

「行きたいところがあるんだったら、どこでも乗せてってあげるけど」

社交辞令だろうけど、それでもこんな風に誘ってくれるなんて嬉しすぎ。

「それじゃ、お願いします」

「ああ。任せて」

軽い返事で、歩佳は思わず噴き出してしまった。

「うん?」

「あっ、ごめんなさい。柊二さんがすでに免許を持っているみたいなつもりで話をしているなって思ったら、笑えてきちゃって」

「……俺もそんな気分で話してた。免許取るくらい軽いって……こんな考え方してちゃ、足元すくわれちまうかな?」

「緊張するよりいいですよ。自信を持って向かった方が」

「そう?」

「はい。わたしはすごく緊張しちゃうから、自信を持てたらいいのにって、よく思うんです」

「緊張するんだ」

「はい? き、緊張しますよ。そう見えませんか?」

「うん、そんな風には見えないかな」

「へ、へーっ」

「何、その反応?」

「意外で」

「意外?」

そのとき、急に雨脚が強くなってきた。

バシャバシャと水が跳ね、足元にかかる。

けど、逢坂の家まであと少しだ。

「雨がひどくなってきたな。歩佳さん、大丈夫?」

「はい、大丈夫です」

わたしは全然大丈夫だ。それどころか、柊二さんに気遣ってもらえて、天にも昇る心地だし。

すでに、パンプスの中にも水が滲みてきていたが、彼とこうして一緒にいられる状況を与えてくれた雨には、感謝したいくらいだ。

ただ、柊二さんには申し訳ないけど……

彼は、貧乏くじを引いたようなものだろうな。

桃色に胸を膨らませて歩いていたら、もう逢坂家の近くまで来てしまった。

次の角を右へ曲がれば、着いてしまう。

あー、もう着いちゃったか。

「あっ、美晴も、戻って来たな」

柊二の言葉通り、美晴の車がバックで車庫に入るところだ。

雨のせいで視界が悪く、美晴本人はまだ確認できないけど……

それにしても、あの小さな美晴が運転免許証と自分の車を持ってるなんてね。

運転席でハンドルを握っている姿が、中学生くらいにしか見えなかったことを思い出してしまい、つい笑いが込み上げる。

「なんで笑ってるか、分るぞ」

冗談めかしたような声をかけられ、歩佳はびっくりして柊二に顔を向けた。

「あのちっこいのが、車を運転してる姿を、思い出したんじゃないのか?」

「あ、当たりです。柊二さん、凄い」

思わず称賛してしまう。

「別に凄くはないだろ。話の流れでだいたいわかる」

いえいえ、柊二さんは洞察力がある。勘もいいようだし……

そう考えて青くなる。

そ、そうなると、わたしの恋心も、すでに柊二さんにバレバレなんじゃ?

ザーザー降りの中、逢坂家に向かって彼と並んで歩きながら、身が竦んでくる。

そ、それでも……嫌な顔されたりしてないし……

もし、気づかれているとしても、彼なら大人の対応をしてくれそうだ。

そう考えた歩佳は、眉を寄せ、自分にげんなりした。

年下に、大人の対応してもらうとか……ないよぉ。





つづく




   
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