シュガーポットに恋をひと粒



58 バタバタな朝



そしてついにやってきた土曜日。朝の五時である。

歩佳はほとんど眠れぬまま、朝を迎えていた。

わたし、寝たのかな? 少しは睡眠取れた?

自問自答するも、はっきりとはわからない。

昨夜は、寝る前に、今日来ていく服を選んだのだが、これがもうまったく決められず、迷いに迷っていたら、眠気がすっかりどこへやら行ってしまったのだ。

二時を回り、さすがにもう寝ないとまずいとベッドに潜り込んだのだが……

いなくなってしまった眠気は戻って来てくれなかった。

それでも、うつらうつらした気がする。

まだ早いんだし、なんとか後二時間くらい寝てみよう。

そう考えて、ぎゅっと瞼を閉じるが……

一分、二分、三分……と、ただ悪戯に時が過ぎるのみ。

「あー、ダメだ! もうぜんぜんダメだ!」

やけくそになって叫ぶ。

柊二さんとふたりきりでお買い物なのに。寝不足のせいでやつれた顔して柊二さんと会うとか、絶対いやだーっ‼

いやだいやだとごねてみるも、どうにもならない。

ごねるのに意味を見いだせなくなった歩佳は、もう抵抗するのをやめた。

わたしのための誕生日プレゼント、選ぶんだよね。

何がいいか、先に決めといたほうがいいのかな?

柊二さんと会ってから迷ったりしてたら、迷惑かけるよね。

無駄に時間を使わせるとか、柊二さんに申し訳ない。

何がいいだろう?

欲しいものって何かあったっけ?
金額によるよね?

わたしが上げたのと同じ値段というのは、なんか微妙だ。

多少お安く見積もって、三千円くらいのでいいのかな?

三千円かぁ……それだと……何が……いい…………


眠気に抵抗するのをやめてあれこれ考えていたら、いつの間にやら熟睡していた。


トントントンと、なにやら音がする。いや、ドンドンドンか……

耳障りな音に、歩佳は眉を寄せ、なんとか瞼をこじ開ける。

あれっ? わたし、寝てた?

三千円くらいで、何がいいかなぁって考えてたら……

「歩佳、ちょっとまだ起きないの!」

美晴の大声に、歩佳はぎょっとして起き上がった。

「な、何?」

「あ、起きたか。入るよぉ」

その言葉のあとドアが開き、美晴が姿を見せた。

「美晴、おはよう」

「いや、おはようじゃないよ。あんたさ、今日って柊二と買い物に行くんだったよね?」

「う、うん」

「約束の時間は何時なのよ?」

「じゅ、十時だけど」

「えーっ、それだと、もう一時間ないよ」

「うっ、嘘!」

慌ててベッドから出ようとして、毛布に足が絡み、歩佳は無様にベッド下に転げ落ちた。したたか鼻を打つ。

「ちょっ、な、何やってんのよ、歩佳」

「いったたぁ」

痛みに涙目になり、痛む鼻をさすりつつ、歩佳は身を起こした。だが、鼻の痛みごときに構ってはいられない。

「着替えないと! 顔洗ってお化粧して……」

「はいはい、ほら落ち着きな」

「で、でも、もう時間が!」

「落ち着くのが先。でないと、無駄に時間過ぎちゃうわよ。ほら、深呼吸」

そう言われるが、落ち着き払って呼吸などしている心の余裕はない。

「朝食用意したから、とにかく食べようよ」

「えっ、美晴用意してくれたの?」

「あんたがちっとも起きてこないから……夕べはずいぶん遅くまで起きてたようだし……」

意味深に言った美晴は、首を回し、「理由はあれだね?」と指さす。

そこには昨夜歩佳が作り上げた服の山がある。

答えようもなく、歩佳の顔は真っ赤に染まっていく。

は、恥ずかしいよぉ。

そんなことで、とにかく美晴の用意してくれた朝食を取ることにした。

しかし時間を確認しつつで、味わう余裕もない。

「ここの片付けはわたしがしとくから、ほら、歩佳は着替えて支度しなよ。十時まで残り三十分だよ」

歩佳が食べ終えたのを見て、美晴が急かしてくる。

「あ、ありがとう。それじゃお願いします」

頭を下げて立ち上がり、自室に向かおうとした歩佳だが、そこでいったん美晴を振り返った。

美晴はすでに、せっせとあと片付けに取り掛かっている。

「朝ご飯食べたら、ずいぶん気持ちが落ち着いたよ。美晴、ほんとありがと」

「どういたしまして。親友の初デートだからね。ほら、いいから支度。ほんとに時間なくなるよ」

「う、うん」

急いで洗面所に飛び込み、歯を磨いて部屋に戻り、薄めにお化粧をした。

そして、昨夜最終的に決めた服を着込む。

ここまでサクサク準備を進められ、逆に余裕がなくてよかったんじゃないかと思えた。

だって、時間がたっぷりあったら、きっとわたし、また延々と着る服に迷ったに違いないもの。

「うん、これでよさそうかな」

鏡で全身をチェックした歩佳は、そこでふと気づいた。

み、美晴、さっき初デートって言ったよね?

わたしったら、それを素直に受け入れちゃってぇ。

思い出して、いまさら顔がぼぼっと燃える。

初デートとかじゃないし。ただの買い物だし……

そんな風に訂正した歩佳だが、さらに顔が赤らんでしまった。

わたしってば、これだけの服の山をこしらえといて……ただの買い物?

「ぎゃはーっ!」

強烈に自分が恥ずかしくなり、おかしな悲鳴を上げた歩佳は、その場にしゃがみ込んで頭を抱えた。

だが、恥ずかしがってる余裕もないわけで、焦りつつ立ち上がる。

服をチェックし、髪形をチェックし、持っていくバッグの中身をチェックする。

そろそろ十時になる。

部屋を飛び出した歩佳は、すでに片づけを終え、のんびりとソファに座っている美晴に声をかけた。

「美晴、これでいいと思う? どこかおかしなところはない?」

早口に言って、美晴に全身をしっかり確認してもらえるようにと、焦りながらも、ゆっくりと一回転する。

「大丈夫。問題なんなんてどこにも見当たらないよぉ」

「ほんとに?」

「ほんとほんと。合格、百パーセントだよ!」

軽く言ってくれたのがよったのか、歩佳は不思議と気持ちが楽になった。

「そ、それじゃ、もう時間だし、行ってくる」

「どこで待ち合わせなの?」

「待ち合わせって……」

えっと、どういうことになってたっけ?

どこどこで待ち合わせましょうというようなことは言われていない気がする。けど、十時というのは聞いた。

場所って、決めてなかったっけ?

あのとき、柊二さんになんて言われた?

必死になって思い出そうとしているところに呼び鈴が鳴った。

あっ、しまった!
あれこれ考えてる間に、十時が過ぎたんじゃ⁉

「なんだ、ここまで迎えにきてくれたみたいじゃない。ほら、歩佳さん、何をジタバタしてんのよ。さっさとお行きなさいよ」

その通りだ。ジタバタしてる場合じゃない。

歩佳は玄関にすっ飛んで行った。

「は、はい! いますぐ」

慌ててドアを開けたら、そこには素敵すぎる柊二がいた。

うわっ、ファッション雑誌から抜け出てきた、メンズのモデルみたいなんですけど。

「今日も……その……いや……にあ……う」

顔を合わせた途端、柊二がためらうように何か言ったのだが、歩佳は聞き取れなかった。

思わず「えっ?」と聞き返してしまう。すると、柊二は顔をしかめ、また口を開いた。

「その服、よく似合う。とっても……素敵だと思う」

かなりぶっきら棒に言われたが、素敵と言われて驚き、歩佳は口をパクパクさせた。

いや、口をパクパクさせてる場合じゃない。褒めてもらったんだから、ちゃんとお礼を言わないと……

「あ……ありがとう」

「それじゃ、行こうか?」

「は、はい」

促され、歩佳は急いでアパートから出た。

柊二を見ると、彼は背を向け、どんどん歩いていってしまう。歩佳は慌てて彼の後を追った。

三メートルほど離れて、ひたすら柊二を追う。そうこうしていたら、駅に到着した。

改札口を前にして、ようやく柊二が振り返ってきた。

「歩佳さん。近くでもいいけど……せっかくだし、ちょっと足を延ばさない?」

「は、はい」

もう、いかようにもという感じだ。

「人手、けっこう多いね?」

改札を抜けてすぐ、柊二がそう口にする。

周りを見回してみたら、確かに休日の駅は混んでいた。

十時過ぎたところなので、このくらいの時間が、一番人が多いのかもしれない。

「はぐれたら困るから……遊園地の時みたいに」

そう言いつつ、柊二が手を差し出してきて、どきりとする。

こ、これって、もちろん手を繋ごうってことだよね?

うわーっ!

差し出された彼の手を見つめ、ドキドキが一気に加速を始める。

歩佳はおずおずと手を差し出した。すると柊二が彼女の手を握る。

また、手を繋いじゃった。

神様、こんな嬉しい現実をありがとうございますっ!

精一杯気持ちを込めて神様に感謝した歩佳は、柊二に手を引かれ、ドキドキと胸を高鳴らせながら電車に乗り込んだのだった。





つづく




   
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