シュガーポットに恋をひと粒



59 なんで異常事態



電車の中はすでに満員に近かった。

当然座れるはずもなく、さらに乗り込んでくる乗客に押されるようにして、奥へと進む。

ぎゅうぎゅう詰めだなんてことに、正直構っていられる精神状態ではなかった。

歩佳の意識は、繋いでいる柊二の手と彼の動向にばかり向いていた。

乗客が全員乗り込み、ドアの閉まる音がし、数秒後電車は走り出した。

車内アナウンス、周囲にいる乗客の話し声……そんな中、柊二と触れ合いそうなほど近くにいる現実。

その時、柊二が車内を移動する客の邪魔にならないように身体を反転させた。

すると歩佳の目の前に柊二の胸が。

彼が少し前後に身を動かしたので、歩佳の顔は柊二の胸元に触れてしまった。

き、きゃーーっ。

もちろん何があろうとも、興奮した悲鳴をこんな場所で上げるわけにはいかないので、胸の内で叫ぶ。

ぎこちなく顔を上げてみたら、柊二と目が合った。

「あ、ご、ごめんなさい」

柊二にだけ聞こえるように小さな声で謝る。

すると柊二は口元に少し笑みを浮かべ、ほんの僅か首を横に振ってくれた。

それと同時に、繋いでいる手を軽く握り締める。

あ、あ、あ……

ドキドキが急激に加速し始め、ぽぽっと歩佳の頬に朱色がついていく。

頬の熱でそれがわかり、歩佳は慌てて顔を伏せた。だが、そのせいでおでこが柊二の胸に当たる。

も、もおっ!

何やってるのよ。わたしってばぁ。

顔は赤いし、汗は吹き出しそうだし、続けて謝ることもできず、歩佳はずっと顔を伏せていた。

「大丈夫?」

やさしい声が頭上から降ってきた。

歩佳はちょっと身を固め、それからこくんと頷いた。

「あ、ありがと」

気遣ってもらったお礼に、呟くように言ったら、その返事のように握っている手に軽く力が入った。

なんか、この状況って……

わたしの常識では……まるで恋人同士みたいなんだけど?

柊二さんは、そういう風には思わないのかな?

いや、思ってしまったら、手を繋ごうなんて言ってくれないのかな?

いっぱいいっぱいになりながら、なんとか気を反らそうとして、そんなことを悶々と考えていたら、ガタタンと電車が揺れた。

足元がおぼつかなくなり、後ろによろめきそうになった歩佳は、咄嗟に柊二の腕を掴んだ。

柊二の方も、歩佳の背中に手を当てて支えてくれる。

ドキーンと心臓が跳ね、破裂するかと思った。

お、おかしい。
なんでこんな風になるの?

だってわたし、満員電車は慣れてるのに。

でも、ひとりで乗ってる時、こんな風になったりしない。

よろめくことはあるけど、ちゃんと自分で踏ん張るし、それで困ったこともない。

なのに、柊二さんが一緒っていうだけで、なんでこんな異常事態みたいになっちゃってるの?

満員電車で好きな人に守られて、顔を真っ赤にしている自分を、周りの人がみんな笑っているんじゃないかと思えてくる。

もちろん、周囲を確認するような余裕などない。

そんな感じで、歩佳は狼狽したまま、永遠と思える時間を過ごし、ようやく目的の駅に到着した。

ドアが開き、たくさんの人が下りて行く。その波に乗り、歩佳も柊二とともにホームに降り立った。

なんともいえない安堵感に浸る。

ホームに吹く風を冷たく感じて、気持ちよかった。

「ほら、こっち」

柊二がつないでいる手を引っ張るようにして、歩佳を促す。

歩佳は思わず柊二を見上げた。

彼はいつもと同じだ。
歩佳みたいに顔を真っ赤にしていない。

そこでハッとし、歩佳は空いている手で顔を覆った。

「歩佳さん、どうしたの?」

「あ……か、顔が……」

「うん?」

「あ、暑くって……電車の中……」

「ああ。暖房効いてたし、満員だったから……歩佳さんの着てるコート、あったかそうだもんな」

そう言われ、自分の着ているコートに目をやる。

確かに、これ、かなり厚地のコートだ。

柊二の着ているコートを見ると、そんなに厚手のものじゃないようだ。

「さ、寒いかなって思って……」

実を言うと、これだと厚地過ぎるかなと思ったのだが、デザインが洒落ているからこれに決めたわけで……

嘘をついたことが後ろめたくなる。

「うん、そうだね。外に出たら、きっとかなり寒いよ」

「う、うん」

「ほら、行こう」

「は、はい」

柊二に促がされ、相変わらず真っ赤な顔でついて行きながら、ちょっと情けない気分になる。

なんかわたし、柊二さんより年上なのに、頼りないというか、情けないというか……ほんと色々恥ずかしい。

せめて、真っ赤になったこの顔だけでも、赤みが引いてほしい。

コートのボタンを外せば、身体の熱が下がるかもと思うけれど、なぜかボタンを外すという行為に及べない。

いまさらだけど、わたしそうとう緊張してる?

どうやらそのようだった。

まったくもおっ、自覚するの遅すぎるし。

自分に向けて文句を言いつつ、上りのエスカレーターに乗る。

改札を抜けて駅から出たら、ひんやりとした空気に触れられた。

わっ、ありがたい!

これで、顔の赤みはなんとかなりそう。

そこから歩いて行くうち、歩佳はだんだん冷静さを取り戻せた。

柊二と手を繋いでいる現状にも、少しだけ慣れてきた気がする。

駅前にあるショッピングセンターに入り、店内を歩きつつ辺りを見回しながら、柊二が歩佳に顔を向けてきた。

「で、欲しいものはある?」

柊二に見つめられ、なぜかようやく引いていた熱が一瞬にして戻った。

あわわ……も、戻っちゃダメぇ~っ。

「あ……え、えっと」

動揺した顔を柊二に向けたら、なぜか彼が小さく噴いた。

な、何? わたしの顔、そんなにおかしいの?

青ざめた歩佳は、その場に立ち止まり、バッと顔を伏せた。

「ご、ごめん」

柊二が謝ってくる。

謝られたことがいたたまれなくなった歩佳は、繋いでいる手を離そうとした。
だが、柊二は掴んだまま離してくれない。

「ごめん、怒った?」

柊二の問いかけに歩佳は首を横に振り、なんとか手を離そうとする。

けれど柊二はさらに強く掴んでくる。

「ごめん。絶対離したくない」

「えっ? な、なんで?」

思わず、戸惑って聞いてしまう。

「離したら、そのまま距離を置かれそうだから」

「きょ、距離?」

「……俺……いや……あのさ」

「は、はい」

「とにかく、今日の目的を果たさない?」

今日の目的というと、わたしの誕生日のプレゼント選びだ。

「その間、手は繋いだままってことで。オッケー?」

そんな問いをもらったこと自体驚きだが……
嫌だなんて言うはずなくて……

「お、オッケー……です」

「ありがとう」

ほっとしたようにお礼を言われ、歩佳は驚いて柊二を見上げた。

どうしてお礼を言うんですか?

その問いが喉元まで込み上げてきたが、口にすることはできなかった。





つづく




   
inserted by FC2 system