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第8話 言いかけた言葉
「うまーっ♪」
巨峰を味わい、美晴が嬉しそうに叫ぶ。
そんな美晴を見て、こっちまで嬉しくなる。
「よかった。重いの頑張って持ってきた甲斐があったよ」
動揺を静めつつ口にし、切り終えた梨を盛った器を美晴に差し出す。
「はい、梨もどうぞ」
「サンキュー」
デザートの用のフォークを手に取り、美晴はさっそく梨を口に頬張る。
シャクシャクシャクといい咀嚼音がする。
正直、先ほどの発言に落ち着きが取り戻せない歩佳は、無意識に巨峰を摘まんで口に入れていた。
「歩佳、それ巨峰だよ。皮剥かなきゃ」
「あ、……そ、そうだよね」
一端口に入れた巨峰を慌てて取り出し、顔を赤らめて皮を剥く。
な、何やってんだ、わたし。
こんなことしてたんじゃ、美晴に気持ちを悟られちゃうよ。
それだけは絶対にダメ!
「お父さんはさ、同居してもらいたいと願ってるようなんだよ」
美晴は話しの続きのように口にする。だが、歩佳はなんのことやらわからない。
「同居って?」
「だから、柊二よ。やつが結婚したら、お嫁さんと一緒にここに住んで欲しいんだと思う」
「あ、ああ、そうだよね」
と答えるものの、内心、ガクーンと落ち込む。
柊二さんの結婚話とか……正直聞きたくない。
心が荒みそうだ。
「あの、柊二さんって、付き合っている子がいるんでしょ?」
歩佳は物凄ーく無理をして、軽い感じで問いかけた。
しかし、口にしながら後悔がわらわらと湧く。
柊二さんが誰かと付き合ってるだなんて、死んでも知りたくなーい!
付き合っていないという返事だけを期待して……
わたしってば、馬鹿だ……もう泣いちゃいそうだ。
「そんなのいないと思うけど」
そ、そうなの?
いや、待て待て歩佳、単純に喜ぶんじゃない。
美晴が知らないだけかもしれないんだから。
それでも、ほっとしたのと嬉しいのとで、口元が緩んでしまう。
「それにしてもこの梨、超甘くてみずみずしくて美味しいね。歩佳の実家から送ってきたの?」
「ううん。恭嗣さんが持ってきてくれたの」
「おおっ、あのお方が! これは、ありがたーくいただかないと」
「美晴、恭嗣さんに対して、あのお方とか……そんな風にへりくだる必要ないから」
「何を言ってんの。へりくだりたくなるような高貴な雰囲気を醸しておいでじゃんか」
こ、高貴って……
堅物で変な人なだけなのに……
どういう特殊なフィルターを通したら、そんな風に見えるんだか。
「あのねぇ、恭嗣さんって人はね、昼過ぎに人の家にやってきて、お昼ご飯を作るように強要したあげく、料理のレパートリーが貧相だとか言うような失礼なひとなのよ」
「でもそれ、事実なんでしょう?」
うっ!
「そ、そりゃあ……事実だけど……美晴だってそんなに料理できないくせに」
「わたしは彼氏持ちじゃないもの。でもあんたは彼氏持ちなんだから、もっと精進しなよ。お嫁にもらってもらえなくなるよ」
「あ、あのねぇ」
反論しようとするが、美晴は聞いちゃいない。
「しかし、いいなぁ。わたしもあんなハイレベルな彼氏がほしいよぉ」
「だから、あのひとはそんなのじゃ……」
「照れるなって。互いの親も認める許嫁ってやつでしょう?」
許嫁だ? まったく美晴ときたら、どこまで勝手な想像を……
でも……
考えたら、恭嗣さんがわたしの彼氏だと美晴が思い込んでるのなら、わたしが柊二さんに思いを寄せていることはバレずにすむよね。
なら、もうこのことは、否定せずに流しておくほうが利口かも。
歩佳は内心ため息をつきつつ、梨をフォークで刺す。
口元に持っていこうとしたら、突然に梨が消えた。
ぎょっとして上を見上げた歩佳は、息が止まった。
しゅ、柊二さん!
いつの間にか、柊二がやってきていた。
柊二は歩佳から取り上げた梨を口に入れる。
梨を食べながら、歩佳を見下ろしているのだが……むっとして機嫌が悪そうに見えるのは、わたしの思い違い?
「柊二。あんたときたら、どんな現れかたすんのよ。びっくりするじゃんか」
「別に驚かそうなんて思ってなかったけど……腹が減ってるところに、うまそうな匂いがしたから……」
「まったく、あんたはいつだって腹ペコなんだもんね」
美晴が呆れたように言うが、柊二はどこ吹く風だ。
「ここ、座っていい?」
そっけなく言った彼は、返事を待たずに歩佳の隣に座り込んできた。
距離の近さに、柊二の身体を意識し過ぎてしまい、とんでもなく緊張する。
微かに香るこの匂いは……もしや柊二さんの?
さ、爽やかで、な、な、なんとも言えず、いい匂いなんですけどぉ〜。
こんな至近距離にいられるなんて、天国だし!
緊張しつつも、夢心地で舞い上がっている歩佳と違い、柊二は梨を平然と食べている。
「こらっ、愚弟、少しは遠慮しろ! せっかく歩佳に剥いてもらった梨がなくなるじゃないか」
そんな美晴の言葉など、歩佳の耳には入ってこない。
彼女の耳に入ってくるのは、梨を食べている柊二の口から響いてくるシャリシャリという音だけ。
なんなんだろう?
なぜか、いたたまれないほど身体の芯に響いてくるんですけどぉ。
もじもじしていたら、柊二がテーブルの上に手を伸ばし、まだ剥いていない梨を手に取る。そしてその梨は、歩佳に差し出された。
「剥いて」
「は、はい」
思わず姿勢を正して返事をし、手のひらを上にして両手を差し出す。
梨が歩佳の手のひらに載せられたと同時に、美晴が「こりゃ、礼儀を知れ!」と怒鳴りながら、柊二の身体を強く押した。
「あ」
柊二が叫び、彼の身体が歩佳にぶつかってきた。
びっくりした歩佳は、床に倒れそうになったが、たくましい腕に支えられていた。
「ああっ、歩佳、ごめん」
歩佳を救ってくれた柊二の腕は、あっという間に離れた。
「う、ううん。大丈夫」
「もおっ、柊二が悪いんだからね!」
「俺?」
「あんたでしょう!」
「ああっ、ちょっと、ふたりとも。梨ならいくらでも剥いてあげるから、姉弟喧嘩しないで」
宥めるように言ったら、なぜかふたりから睨まれた。
「え?」
「このっ、子ども扱いするなぁ」
むっとしたように叫んだ美晴が立ち上がった。
柊二に殴りかかりでもするのかと驚いたが、美晴はそのままドアに向かっていく。
「ちょっとトイレ行ってくるわ。歩佳、わたしのぶんも剥いといてよ。こいつに全部食べられたりしないようにしてね」
ええっ?
歩佳が戸惑っている間に、美晴は部屋から消えてしまった。
柊二とふたりきり、そのとんでもない事実に固まってしまう。
「ねぇ、歩佳さん……俺の声、聞こえてる?」
耳元に、温かな息とともに、柊二の声が聞こえ、歩佳はぎょっとして彼に振り返った。
触れそうなほど近くに柊二の顔があり、卒倒しそうになる。
「梨は?」
そう冷静に繰り返され、時を止めていた歩佳は我に返った。
「あ……は、はい。すぐに」
年上だというのに、動転している自分が恥ずかしい。
歩佳は顔を伏せ、梨を剥き始めたが、真っ赤になってしまった顔は隠せそうもない。
いやだ、もおっ。
こんな真っ赤になった顔、柊二さんに見られてるなんて……
そう思うと、なおいっそう顔が赤らんでいく。
それにしても、柊二さん、なんでこんなにかっこいいんだろう。
年下なのに、やっぱり年下に思えないし……
皮を剥き終えてカットし、種の部分を切り取ったところで手首を掴まれた。
なっ?
状況を理解する前に、柊二は歩佳が手にしている梨を口に入れた。
歩佳があっけにとられている間に、彼は食べ終えてしまい、「うまかった」と言う。
「そ、そう……よかった……です」
他に返事を思いつけず、もごもご言うのが精一杯だ。
いま、いま……唇が触れたよね。わたしの指先に……柊二さんの唇が……
意識しすぎて、指先が甘くジンジンと疼くようだ。
「あのさ……」
柊二が何やら話を切り出そうとしたところで、美晴の足音が聞こえてきた。
彼はそのまま押し黙ってしまう。
美晴が戻り、ふたりきりでいることに緊張から息がつまりそうだった歩佳はほっとした。
そのあと、もう一つ梨を食べた柊二は、部屋から出て行ってしまった。
柊二さん……さっき、何を言いかけたんだろう?
だが、もう聞けそうになく、歩佳は気になってならなかった。
つづく
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