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2 持てない実感
「ところでさ、これから僕の家に来ないかい?」
ホームで電車を待っているところで、偕成から急にそんな誘いをもらった。
「急だな」
友人になって二ヶ月、和友も含めて互いの家に遊びに行ったことはまだない。
「けど、偕成の家って、遠いんだろ?」
電車で一時間半くらいかかるようだ。
「実はね、僕、昨日から一人暮らし始めたんだ」
「は?」
一人暮らし?
思ってもいない話に、目を見開いてしまう。
「一人暮らしさせてほしいって頼んでたんだ。このたび、ようやく許可が下りてね」
「そうなのか?」
「家事が一通りできないと、許可できないって言われてさ。入学時に間に合わなかったってわけ」
「家事、自分でやれるのか?」
驚いて尋ねてしまう。
「そこそこくらいならね。今日のお弁当も自分で作ったんだよ」
そう聞いて、今日の昼に偕成がどんな弁当を食べていたか思い出そうとしたが、思い出せなかった。
しかし、俺は料理なんて中学の調理実習くらいでしかやったことがないし、自分で弁当を作るだなんて考えたこともない。
「お前、凄いな」
思わず称賛の言葉が出てしまう。すると偕成はくすくす笑う。
「慣れればそうたいしたことでもないよ。一人分だし。で、来る?」
「ああ、行こうかな」
偕成がどんな所に住んでいるのか興味は湧く。
それにしても、一人暮らしか。
自由気ままに過ごせるわけで羨ましいような気もするが……自炊しなければならないことやら掃除洗濯と考えると、羨ましいとは言えないか。
偕成に連れられて電車に乗ったが、なんと一駅だった。
そして、偕成のアパートまで歩いたのだが……
「なあ偕成、この距離なら電車に乗る必要ないんじゃないか?」
自転車を使えば、学校まであっという間だろう。
「実はそうなんだ」
「なら、なんで電車乗ってんだ?」
「今日だけだよ。明日からは自転車で行く。そんなことはどうでもいいから、さあ、上がって」
偕成のアパートは、かなり広かった。なんと二階まであるのだ。しかも二部屋も。
「驚いたな」
できたばかりなのか、真新しいし、造りもモダンだ。
「家賃高いだろ?」
「そうなんだろうけど……実は親戚が大家なんだ」
「親戚の?」
そうか、そういうことなら家賃も少しサービスしてくれるのかもしれないな。
「空いてる部屋があるし、いつでも泊まりに来てくれていいからね」
そんな誘いをもらい、楽しみになった。
偕成のところで二時間ほど過ごし、自宅に戻ってきたのは六時を過ぎていた。
五月の末、梅雨時期で蒸し暑い中、自転車を漕いできたのでかなり汗を掻いてしまった。
戻ったら、まずシャワーだな。
自転車を止めて玄関に向かう。柊二の家はかなり古い。
あちこちガタが来ていて、建て替えが必要だなと両親は話し合っているようだ。
柊二としては、家が新しくなるのであれば嬉しい。
少しくらいは、俺の要望も聞いてもらえるんかな? この家を継ぐのは、長男である俺ってことになるんだろうし……
けど、この家から通えるところに勤めるとも限らない。
まあ、いまからそんな先のことを考える必要もないか。
玄関の鍵を開けて中に入ったら、階段を下りてくる足音が聞こえた。姉の美晴だろう。
三歳上の姉は、いま専門学校に通っている。
「おっ、柊二、お帰りぃ」
「ただいま」
見れば、美晴は着替えを手にしている。
「なんだ、これから風呂か? 俺もシャワー浴びたいんだけど」
「ちゃっちゃとシャワー浴びてくっから、待ってて」
「わかった」
そう答えて、ついつい美晴の頭に手を置いてしまう。
ちょうどいい位置なのだ。だが、邪険に払われた。
「そんな風にすんなっていってんでしょ。わたしはあんたの姉様なんだよ!」
姉様ねぇ。
小さな美晴は、プリプリした顔で仁王立ちになっている。
噴き出しそうになってしまい、なんとか我慢する。ここでまともに噴き出したりしたら、面倒な事態になる。
「もちろんわかってるさ。けど、美晴の頭、ちょうどいい位置にあるから、つい手が出る」
美晴の身長はかなり低い。柊二は百八十センチに手が届きそうなのに……
たぶん百五十センチないよな?
そんなことを考える柊二の手は、無意識に美晴の頭に伸びてしまう。
「だから、手を出すなっての」
再びパチンと手を叩き、唇を突き出している美晴を見て柊二は笑いを堪えた。
そんな風な態度を取るから、からかいたくなるってのに……
けど、どんなに小さくても姉は姉だ。
専門学校では、持ち前の元気と明るさで、色々とぶっとばしているんだろう。
常に俺の先を生きてるんだよな。俺にとっては未知の世界に、美晴は常に一足先に足を踏み入れていく。
羨ましいというより、なんかもどかしい感じがするんだよな。
夜も更け、ベッドに転がった柊二は、今日の占いのことふと思い出した。
そうだったな。すっかり忘れていたが……
天井を見つめて眉を寄せる。
俺が恋を知るって?
まったく偕成のやつ……何を言い出してくれるんだ。
柊二は顔を思い切り歪めた。
たかが占いと思えればいいんだが……偕成は普通じゃないところがあるからな。
それでも、この自分が恋をするなんて、まったく実感を持てない。
いったいどんな相手に?
そう真面目に考えてしまっている自分にふと気づき、柊二は笑いが込み上げた。
考えるだけ、バカバカしいな。
そう気にすることもないか……
軽く考えて答えを出し、柊二は読みかけの本を手に取って開いたのだった。
つづく
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