シュガーポットに恋をひと粒


柊二編



4 強烈に不安



「まったく、泊りの約束がなしになるとか……」

泊りの荷物を詰め込んでいるために、いつもより膨らんでいる肩掛けカバンを恨めしく見つめ、柊二はぶつくさ言いながら我が家を目指す。

今日は偕成のところに泊まるはずだった。なのに、放課後になり偕成の家に向かっている途中で偕成に電話が掛かってきて、偕成の親がくることになってしまったのだ。

もちろん、親が来るのでは泊まるわけにはいかず、申し訳ながる偕成とその場で別れた。

しかし、蒸し暑いな。

暑さにげんなりしつつ、柊二は玄関のドアを開けた。

「あっ、美晴」

聞き覚えのない声がして戸惑いつつ前を見たら、見知らぬ女性が靴を履こうとしていた。

目が合った瞬間、なぜか『しまった』と思った。

「あ、あの……」

じっと見つめてしまっていたら、相手が戸惑いを露わに声をかけてきた。

「もしかして、美晴の友達?」

相手はぎこちなく頷く。

「あっ、はい。そうです。お、お邪魔しています」

緊張しているのが丸わかりで、可愛いと思ってしまう。

そしてそんな自分に、柊二は苛立ちを感じてもいた。

この人を、妙に意識するな!

自分を諫め、意識的に冷静に戻る。

なのに、その彼女は真っ赤に頬を染めるのだ……

くそーっ、なんなんだ。なんで頬を赤く染めんだよ。

そんな文句を言いつつ、柊二は妙にテンパってしまっている自分を頭の中でぶちのめした。

改めて彼女を見つめる。そして出た言葉が、「背が高いね」だった。

美晴が笑ってしまうくらい背が低いもんだから、どうしてもこの話題を振ってしまうな。

苦笑していると、彼女の方も和んだように笑った。

頬を赤らめている笑顔に、胸が甘くきゅんとしてしまい、そんな自分の反応にぎょっとする。

なんか俺、マジでまずくないか?

不安を煽られ、柊二は靴を脱いで家に上がった。

まだ名前も知らない姉の友達は、最初に抱いた印象より背が低かった。

柊二は名を名乗り、彼女の名を尋ねた。

「わ、わたし、吉沢歩佳です」

吉沢歩佳……歩佳か、可愛い名前だな。

「美晴さんには、とても仲良くしていただいています」

「そう。世話をしてるわけじゃなく?」

冗談めかして言ったら、彼女がくすくす笑ってくれる。

こちらが期待するだけ好意を返してもらえたようで、嬉しくなった。

「お世話をしてもらっているのはわたしのほうです。美晴さんはとっても行動的で、わたしがあちこち遊びにつれてってもらっているんです」

ふーん。言葉遣いが丁寧な人だな。それも好印象だ。

すると、玄関のドアが開き、「ただいまぁ」と美晴が入ってきた。

そうだったな。
玄関を開けたとき、『美晴』と声を掛けて来たんだっけ。

友達が来てるのに、美晴ときたらほったらかしにしてどこに行ってたんだ?

その問いの答えは、美晴が手にしているレジ袋の中身を確認して納得した。
どうやら、ケチャップを買いに行っていたらしい。

今夜の夕飯は、ケチャップを使うものってことだな。
スパゲティーとか、オムライス。
エビチリなら最高だけど……

そんなことを考えていたら、美晴は柊二を見て、「あっ!」と声を上げた。

「なんだ、帰ってたの?」

「ああ、ここは俺の我が家だからな」

「友達のところに泊まるんじゃなかったの? そう言ってたよね?」

このことについて説明しようとしたが、美晴はそんな答えなどどうでもよかったようで、歩佳に向く。

「というか、歩佳、びっくりしたんじゃないの。こんなのがいて」

こんなの?

「み、美晴……そ、そんな風に言うもんじゃないわ」

歩佳が叱るように言ってくれる。彼女に味方してもらえ、柊二としては気分がいい。

「そうだぞ」

美晴に向けて澄まして言ってやる。

案の定……

「そうだぞ、じゃないっ!」

美晴が噛みついてきた。

それが愉快で笑っていたら、「美晴!」とキッチンの方から母が怒鳴ってきた。

「ケチャップ、早くもってきて!」

「ちょっと待ってよ、お母さん。いまこいつにさぁ」

美晴がそう返事をしたところで、歩佳が美晴からケチャップを取り上げた。そしてキッチンに走っていく。

「あっ、歩佳ぁ~」

柊二は声を上げて笑った。

困るほどにウキウキした。そしてそんな己の反応を必死にセーブしようとする自分がいた。





やはりこれは恋なのか?

そう自問自答する。

姉の友達である吉沢歩佳と出会い、一週間が過ぎていた。

そしていま、偕成のアパートに泊まる予定でやって来ている。

確かに俺は、彼女にまた会いたいと思っている。
あの人の笑顔が見たいと思うし、声が聞きたいと思うし、彼女の顔を思い浮かべると妙にそわそわする。

俺が恋を知ることになるという偕成の占い。あれは歩佳さんのことだったのか?

けど、この気持ちを恋と断定できるのか?

まだそれほどのものじゃないと思うんだが……

だいたいあの人は俺より年上なんだぞ。

俺は彼女にとって年下の高校生……しかも、友達の弟なんて、相手にされるわけが……

「柊二君、僕の話聞いてる?」

あれこれ悩んでいる頭に、偕成の声が入りこんできて、柊二は友人に意識を向けた。

「なんだ?」

「何があったのさ?」

興味深げな眼差しをもらう。

「いまは和友の話だったろ?」

「聞いてなかったくせにぃ」

確かに。

「半分聞いてた。失恋して苛立ってるって……」

「そういうこと。で、その相手が、ラブレターのあの子だったってわけさ」

「は?」

和友の奴、あの子が好きだったってのか?

その時思い出した。

和友が偕成に占いをしてもらったあとのことだ、毎朝通学途中で目の合う子がいて、和友のことを意識しているのが……

「和友の話だと、自分のことを意識しているのがバレバレだとかってことだったぞ」

「それは、和友君を見てたわけじゃなくて、あの子は君を見てたんだよ」

言われた言葉を受け入れたくなくて、柊二は顔を歪めた。

和友、今回は自信があるって、すっげぇ嬉しそうに言ってたのに……

和友との友情はいまや風前の灯火状態だ。
復旧の見込みはなく、和友は他の奴らとばかりつるんでいる。

誘う余裕すら与えてもらえない。

「どうすりゃいいんだ?」

唐突な言葉になってしまったけど、偕成はすべてを見通したようにうんうんと頷く。

「ほんとにわかって頷いてるのか?」

「わかってるつもりだけど。君が何をすることもないよ。和友君は君が許せないようだけど、それは理不尽なことだ」

「俺だってそう思う。けど……これで終わりかと思うとな」

「そうなっても仕方ないよ。ひとの繋がりって、思うようにはならないもんさ」

思うようにはならないか……

歩佳さんのことは、これからどうなるんだろうな?

それを考えると、どうにも途方に暮れてしまう。

あの人のことを好きだとはっきり感じてるわけじゃない。今の俺はそう断言できる。

……なのに、強烈な不安を感じた。





つづく



   
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