|
6 叶わぬ願い
会いたいのに会いたくないという思いに翻弄され続け、新しい年になった。
そして学期末の試験をこなしてようやく春休みを迎えた。
自転車で家路を急いでいた柊二は、歩道を歩く女性に目が吸い付いた。
歩佳さんだ!
泊まりに来たんだな。
偶然に喜びが湧き上がり、そして同様に負の感情も湧く。
もどかしい思いに駆られたが、柊二は歩佳を見つめてひとつ大きく息を吸い、負の感情を払いのけた。
まだかなり遠いのに、彼女だとはっきりわかるってのがな……なんかなぁ……俺、もう終わってるな。
自暴自棄な気分に浸りつつ苦笑し、偶然会えた喜びのみを味わうことにする。
少しでも早く彼女に会いたいという気持ちに急かされ、柊二はペダルを思い切り漕いだ。
ちょっと驚かせてやろうという意地悪な気持ちになり、彼は歩佳のすぐそばで急ブレーキかけて止まった。
「きゃっ」
可愛い悲鳴に、にやけてしまう。
「ごめん。驚かせた?」
「しゅ、柊二さん?」
「向かってるのは、もちろん俺ん家だろ?」
「は、はい」
頬を赤く染めている彼女に、顔のしまりがなくなりそうだ。
「あっ、荷物貸して」
彼女が抱えているボストンバッグを取り上げ、柊二は自転車の荷台に置いた。
「あ、ありがとうございます」
「どういたしまして。それにしても暖かくなったね」
「そっ、そうですね。もう春ですね」
照れ臭そうに答える歩佳に胸がきゅんとしてたまらない。
なんか、しあわせだ。最高にしあわせだ。
付き合うとかどうでもいいから、こんなささやかな時間をふたりで過ごせたら、それだけでいい。
そうか。俺、なんか難しく考えすぎてたかもしれないな。
心に芽生えている気持ちに抗おうとしてきたけど、そんなことをしても意味はないと、俺はもうわかっているはずだ。
ならば、前向きに考えるべきだよな。けど、歩佳さんに付き合いを申し込むなんてのは、まだ時期尚早だ。
高校生の立場では、一人前の男として彼女の前に立てない。
けど、俺に心を向けてもらえるように努力をすべきなんだ。
そう決意した柊二は、黙々と歩いている歩佳を見つめる。
『付き合っている相手なんていませんよね?』
確かめたいが、確かめられるわけもなく、ため息が出た。
驚いたように歩佳が顔を上げてきた。
目が合い、歩佳は慌ててまた顔を伏せてしまった。
うん。俺を意識してくれてる。たぶんだけど。
「あ、あの、何かあったんですか?」
「うん?」
「た、ため息、ついたから……」
「なんとなく。春だから……ほっとしたのかな?」
「ほっとして、ため息?」
歩佳は、ちょっと腑に落ちないようで、問い返すように言う。
「ほっとしてため息」
彼女の言葉に胸が弾んで、そのまま繰り返したら、びっくりした顔をしてから、笑っていいのかわからない表情になる。
「笑っていいとこだよ」
そう言ってあげたら、彼女はまたびっくりした顔をして、くしゃりと顔をしかめるようにして笑みを浮かべた。そしてくすくす笑う。
まったく、可愛いよな。
なんでこんなに、ちょっとした仕草が可愛いんだろうな、歩佳さんって。
他の男がこんな彼女を見たら、好きになってアタックしようとするんじゃないのか?
専門学校にはいくらでも男がいるはずだ。
そんなことを考えて、無駄に不安に駆られる柊二だった。
その夜、自分のベッドに転がった柊二は、隣の姉の部屋から微かに聞こえてくる話し声に耳を傾けていた。
話している内容は聞き取れないのだが、歩佳の声を耳にしていられるだけで心が満ち足りる。
「柊二、風呂が空いたぞぉ」
父の声がし、柊二は「わかった」と叫び返した。
すぐさま着替えを準備をし、風呂を浴びる。
さっぱりして爽快な気分で階段を上がっていたら、美晴と歩佳の話し声がずいぶんと大きく聞こえた。
姉貴の部屋、また部屋のドアが開いちまってるみたいだな。
家が古くなり、美晴の部屋のドアも立て付けが悪くなってしまっている。
立ち聞きするのはマナー違反だからと、さっさと部屋の前を通り過ぎようとしたら、恭嗣という名が聞こえた。
柊二は思わず足を止めた。
「歩佳が羨ましいよ。あんな素敵な彼氏がいて」
か、彼氏だ?
衝撃が強すぎて、柊二はその場に立ち竦んでしまった。
「だから、恭嗣さんは彼氏とかじゃないってば」
「けど、すっごい仲が良いじゃん」
「仲が良いというより、義務感だよ」
「義務感ねぇ」
美晴が納得していない声で繰り返すと、歩佳が声を上げて笑う。
その笑い声に心がざわついた。
柊二の知らぬ、恭嗣という男と歩佳は相当親しいようだ。
くそっ‼
持って行き場のない憤りが、胸の中でぐるぐるとうねる。
「都合がつけば、学校まで乗せてくれるから、ありがたい存在ではあるね」
歩佳の言葉に顔が歪んだ。
恭嗣という男は、もちろん歩佳よりも年上で車の免許も取得していれば、車も持っているらしい。
社会人であれば、手にできるものだ。だが、高一の柊二の手にはない。
これまでだって、自分が歩佳よりも年下であることを意識させられていた。だが、そんなものじゃない強烈なショック。
「あんなに素敵なお方を、まるでアッシー君のように使役するとは……悪女だねぇ」
「もう、美晴ったら。使役なんてしてないし」
頬を膨らませて文句を言っている歩佳の顔が浮かび、イライラしてならない。
彼氏なのか? 違うのか? はっきりさせてくれよ!
噛みつきたい気持ちになりながら、柊二は美晴の部屋の前を通った。
「あっ、柊二」
美晴が口にした。
柊二に呼びかけてきたわけではない、彼がドアの前を通ったから思わず口にしただけだろう。
柊二はそのまま自分の部屋に戻り、ベッドに突っ伏した。
胸が苦しくて顔が歪んだ。
好きでいるのをやめたい。本気でそう思った。
つづく
|