シュガーポットに恋をひと粒


柊二編



9 一発逆転



「なんか、この電車に乗ってると、遠足気分に浸れるなぁ」

電車に揺られながら窓の外を眺め、偕成は楽しそうに言う。柊二は友人に目を向けたが、どうやら独り言のようだ。

遠足気分ねぇ……

流れる景色は曇天のせいで薄暗く、遠足気分に浸れるようなものではないけどな。

高校の最寄りの駅から、柊二の家は電車で四十分ほど。いまは田畑が続いている。この景色も十分足らずのことなのだが。

逢坂家のある辺りは、それなりに町中だ。

「あっ、ほらあそこの道。道沿いにずっとアジサイが咲いてるよ」

そう聞いて視線を向けてみたら、確かにアジサイらしき花が、道沿いを紫色に彩っている。

ふーん。ほぼ毎日この電車に乗ってるのに、気づきもしなかったな。

「毎日この景色を眺められて、柊二君、ラッキーだね」

ラッキーなのか?

「そんな風には考えたことないな」

「なら、考えるべきだよ」

言い含めるように言うのでもない、さらりと言われて柊二は首を傾げた。

もし、言い含めように言われていたなら、『ありがたがれってか?』とでも返すところなのだが、さらりと言われたんじゃ、どう返していいかわからない。

ならば、何も考えずにラッキーと思うべきなのか?

そんな風に真剣に考えてしまい、柊二の口元に苦笑が漏れる。

こいつの言葉を、俺はいちいち重みを持って受け止め過ぎか?

そんなことを考えつつ、柊二は遠ざかる紫の花を見送った。

けど……俺、こいつとつるむようになってから、物事を深く掘り下げて考えられるようになったよな。

それは自分にいい影響を与えてくれていると思う。

雨が降りそうで降らないまま、家に帰り着いた。そして一分も経たないうちに土砂降りになった。

激しい雨音を耳にし、柊二は「僕ら運がいいねぇ」なんて能天気に言っている偕成をじっと見てしまう。

「偕成お前、なんかやったんじゃないのか?」

からかうように言ってしまう。

「僕は、そんな凄い能力は持ち合わせていないよ」

「お前の近くにいることで、こういうことがたえず起こるんじゃ、そう思いたくもなる」

「あのさぁ、そんなことより、この雨がさっさと止んでくれるように祈らないと。僕は、蛍を見たくて泊まりに来たんだからさ」

「そうだったな」

だが雨は止まぬまま、母と父が戻り夕食になった。

食卓には四人分しか並んでいない。

「あれっ、美晴の分は?」

すでに七時を回っているし、こんな時間まで美晴が戻らないのはおかしい。

「あの子なら、今夜は帰らないわよ。歩佳ちゃんの家に泊まりに行ったから」

今日は木曜日で平日なのにか?

「蛍を見に行ったのよ」

「えっ?」

「へっ?」

柊二と偕成は驚きの声を合わせた。

「歩佳ちゃんの家、蛍が凄いんですって。家にいながらにして蛍が見られるらしいのよ」

「家に居ながらか……見てみたいもんだな」

両親のそんな会話を聞きつつ、柊二は偕成と目を合わせた。偕成は微妙な眼差しを向けてくる。

「なんでも、先週からがピークで、もう徐々に数が減って来てるらしくて、見逃すまいって慌てて行ったってわけよ」

柊二はなんともむずがゆい気分に陥った。

蛍デートだと期待して浮かれていた自分が、強烈に恥ずかしい。

両親は知らない話だが、偕成はすべて知っている。

頬がぴくぴくと痙攣しそうで、柊二は誤魔化すようにさりげなく指で掻いた。

それにしても……なんなんだよ、姉貴の奴!

なんで、こんなことになってんだ?

そんなやるせないむしゃくしゃを、柊二は飯と一緒にかき込んだのだった。





「作戦通りにいかなかったね」

夕食を終え、自室に戻ってきたところで、偕成がおどけたように言う。

むしゃくしゃが晴れていない柊二は、神経を逆なでされてじろりと偕成を睨んだ。

しかし、そんな睨みにも偕成はひるまない。

「この話題はなしだ!」

警告を込めて言ったら、偕成は物言いたそうに見つめ返してくる。

その目を見つめ返し、柊二はため息をついてベッドに転がった。

「正直、お前と目が合わせられないくらい、俺は恥ずかしいんだぞ」

ふてくされて本音を言ったら、少々顔が火照ってしまった。

「けど、おかしいなぁ」

偕成は、唇を尖らせてそんなことを言う。

「おかしいって、何が?」

「うまくいかないという感覚を、まるで覚えなかったからさ」

そう言いつつ、偕成は首を何度も捻る。

「お前の冴えた感覚も、ついに衰えたか?」

「うーん」

そのあとふたりして黙り込む。偕成は床に座り込んで腕を組み、今回のことを思い返しているようだ。そんな偕成に触れず、柊二はベッドにうつ伏せた。

三十分もそんな感じでいたら、母親が今年の初物だとデザートに桃を持ってきてくれた。
桃は大好物だと、偕成は小学生並みの大はしゃぎで頂戴する。

母親が去り、桃をぱくついている偕成を見て、こいつほんとに小学生みたいだよな。なんて考えて笑っていた柊二は、焦ってベッドから降りた。

この様子だと、自分の分まで偕成に食われてしまいそうだ。

「おい偕成、俺も食うぞ」

「えーっ! 柊二君はいま落ち込んでるから、食欲ないんじゃないの?」

「いいから寄越せ」

入れ物を奪い取り、矢継ぎ早に口に頬張る。

「うん、甘くてみずみずしい。うまいな」

そんなことをやっていたら、柊二の携帯に電話がかかってきた。

こんな時間に俺に電話? 一体誰からだ?

桃を食べつつ確認してみたらば……

「美晴だ」

ちっ! 姉貴、今頃歩佳さんと蛍を愛でて楽しんでるんだろうな。

けど、歩佳さんが楽しんでるなら、いいか。

でも、向こうは雨は降っていないのかな?

こちらはまだ雨音がしている。

「あっ、柊二ぃ」

「蛍は見られたのか?」

さりげなーく嫌味を込めて聞く。
もちろんそんな嫌味など、美晴には届かない。

「見られたよ。夕方になって雨が降りだしてさ、無理かなぁと思って諦めてたんだけど、さっき雨が上がってくれてさ。もうびっくりだよ。すっごいの。蛍の大群。言葉に語れぬほど幻想的だよ」

「へーっ」

なんか、がっくりだ。
それほどの蛍を毎年見ているのでは、この辺りの蛍など見たところで……

「まさかこんなにとは思ってなかったから……あっ、それよりさ、我が家の近くの蛍はどうだったの? 今夜見に行ったんでしょう?」

「行ってない」

「えっ、なんで? 宮平君が泊まりに来て、一緒に行くんじゃなかったの?」

「こっちはいまも雨がザーザー降ってんだよ」

「なんだそうなの? これって、日頃の行いの違いかしらねぇ。むっふふぅ」

「はいはい」

姉の御託を適当に流す。

「それでね、あんたに頼みがあるんだけど」

「頼み? 何?」

「わたしたち、うちの家の近くで見られるという蛍も見に行ってみることにしたんだ。ここの蛍ほどではないにしても、やっぱ地元で蛍が見られるってんなら、わたしとしては押さえときたいし、歩佳も見てみたいって言うからさ」

えっ? マジか!

姉貴、ナイスだっ!

思わず声に出してしまいそうになる。

「女の子ふたりで夜出歩くのは不用心だから、頼むわ」

「わかった」

喜びを声に滲ませないように淡々と承諾し、電話を切って桃を食べている偕成に目をやる。

最後の一切れのようだが、まあいいだろう。

「あれっ? 柊二君、怒んないの?」

「ああ、いまの俺、寛大だから」

偕成は柊二の言葉に目を見張る。

「もしや、作戦通りになった?」

さすがだ。こいつ、寛大の一言ですべてを察したようだ。

「一発逆転だね」

「ああ」

ふたりは満面の笑みで、互いの手を思い切り打ち鳴らしたのだった。





つづく



   
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