Snow Song

EPOCH AISLE』柏田華蓮様より








気がつけば少し硬い「雪」が降っていた。

 それは冷たくなくて、私の目の前をただヒラヒラ舞っていた。

 その「雪」をよく見ると、それには何かが描かれていて、私は思わずそれを掴んでみた。

 「雪」は素手で触ったら溶けてしまうはずなのに、それは溶けもせずガサリと音を立てて私の手の中に納まった。

 恐る恐る手の中を覗いてみればそれは、




  私の心に触れて溶けてしまう「雪」だった。







 その「雪」に触れるまでの私はただのロボットだった。

 毎日学校に行って、毎日授業を受けて、毎日会う友達と話して、食べて、寝て・・・・の繰り返し。

 私の人生はこれの連続なんじゃないかってくらいに、本当につまらない日常がただ単に流れていた。

 けれどその日は偶然、いつもまじめにしてくる宿題をするのを忘れちゃって、放課後に居残り勉強をしていたら、何だか勉強に疲れて校内の散歩に行こうと足が勝手に動き出した。

 私の学校って結構特殊で、小学校から高校までが同じ敷地内にあるって言う、いわゆる付属の私立高校でレベルもそこそこ高いから、受験シーズンは「この学校を受験するの!!」っていう子を中学校の時にはよく耳にした。

 私はこの付属校が高校からの編入組みで、クラスの中にはもちろんのこと、小学校、中学校からエスカレーターでこの高校に来たって子は過半数を占めていた。

 その中のちょっとした異色の編入してきた私は、「友達と馴れ合うんじゃなくて、勉強しに来たのよ」みたいに、その子達を冷ややかな目で見ていた時期もあった。



 そうだから、いつもがつまらない日常。



 だったのに・・・・・。






 校内は本当にこれでもか!!ってくらいにやたらと大きい。

 高校に入学してから、校内見学がもちろんあったにも関わらず、私はまだ敷地内にどこに何があるのかをまだ把握しきっていない。

 自分が授業を受けるための理科実験室や家庭科室、芸術棟はいまはよく知っている。

 だから、迷わないように気分転換の散歩は、芸術棟周辺を選んだ。芸術棟は小学生や中学生が使うから、教室の数もそれなりに多くて、3階建ての校舎より1階分高い建物になっている。

 芸術棟の裏には、体育で使う運動場があって、運動場のそのまた向こうには、野球グラウンドやサッカーグラウンド、テニスコートなどが整備されている。

 私の場合「○○くんのファンだから!!」とか、熱狂的じゃないから特に放課後のグラウンドに興味は惹かれなかった。

 芸術棟と運動場の間辺りに来たときに、急に私の目の前に何かが落ちてきた。

 私は落ちてきた方向を見上げると、次々と何かが振ってくるのが見えた。


「雪・・・・?」


 私の呟いた声はさして響きはしなかったけど、ヒラヒラと舞ってくる白い物体に手を伸ばして掴んでみた。

 掴んでみると、それは雪じゃなくて、しかもクシャリと音を立てて手の中に納まって、溶けることはなかった。

 まぁ、確かに夏のギンギンとした肌を刺す日差しからやんわりと柔らかくなった秋の日差しに変わりつつはあるけれど、雪が降るにはまだ早かった。

 私は手の中をそろそろと開いてみて、よく見てみるとそれは楽譜の一片だった。


「ド・・・ファー・・・ミ、ファ、ラ、ド・・・・これって『トロイメライ』???」


 私はピアノが得意って言うわけじゃないけれど、小学生のときにピアノ教室に通っていたから、高校生になった今でも音符は読めた。

 そして、空から降ってきた「雪」の正体は・・・・ピアノを習っていたときにずっと好きだったシューマンの「子どもの情景」の中にある、『トロイメライ』の曲だった。


「どうして・・・?」

 これが落ちてきたんだろう。という私の言葉はこのとき続いて出てくることはなくて、ただ何となくその辺に落ちた楽譜のかけらを、無意識に拾っては落ちてきた場所に足が勝手に向いていた。

 4階の音楽室の前に着くまでは、どうして自分がこんなことをして、今ここに居るのかなんて思わずに居たけど、いざドアをノックしかけたときに私は我に返った。


「何してんの、私・・・。」

 ドアを見つめたまま、私はドアに向かって呟くと踵を返して教室に帰ろうとした。

 けれど、『バーン』と急にピアノの音が聞こえて、今まで静かだったこの辺りが音楽に溢れた。

 響き渡る曲はショパンの『幻想即興曲』の変ハ長調。

 私はその奏でられる音楽に圧倒して、踏み出した足をそこで止めた。

 力強い音楽。綺麗に奏でられる音楽。

 優雅に奏でられているけれど、音はどこか棘棘しかった。


『コンコン』

 演奏者はきっとピアノの音でノックの音は聞こえないだろうけど、私は控えめにドアをノックしていた。

 誰が弾いているのか、どうしてこんなに棘のある音なのか、なぜだか知らないけれど、それが急に知りたくなった。

 ノックをしたとたん、ピアノの綺麗な旋律が止まった。
 ガラッと音を立てて開いたドアには、よく見知った顔があって私はそこで思考が停止した。


「は、・・・波多野??」
「古森・・・・・え、何でここに居んの??」


 波多野は私と同じ中学出身で、中3のときに同じクラスになって、高校でも同じクラスのクラスメイトだ。

 私は初めて彼を近くで見るかもしれないけれど、彼はよく見れば整った顔をしているし、158cmの私の身長より頭1つ分くらい上のほうに彼の顔があるから、身長が高めだったことに気がついた。

 クラスでは、あまり目立つほうではなくて、休み時間に教室に居ることがあまりない。
 その波多野が・・・・ピアノ??


「波多野こそ、何で居るの??」


 私は彼の聞いてきた問いを彼を見つめたまま、そのまま返すようにして聞くと、彼はそっぽを向いて「別に・・・」とちょっと不機嫌そうな顔をして言った。

「古森は??」

 さっきの質問に答えろと言われんばかりに、私は波多野の視線を感じて、私は素直に「雪」が降ってきたから、とアホらしい答えを返してしまった。


「は??雪??この季節にか??」
「あ、ゴメン。違う、楽譜・・・が降って来て・・・。それで、気になって。」


 今思い返してみれば、自分はいったい何してるんだろうと、私は思うようになってきた。それを波多野に言ってしまう自分がどんなに恥ずかしいことか。

 私が一人赤面していると、波多野はドアに寄りかかって「ふーん。」と言った。私は俯いたまま目線だけを波多野のほうに向けると、波多野はじっと私のほうを見て、目が合うと何かまずそうに顔をゆがめた。

 私がそれを疑問に思っていると、「一曲聴いてくか??」と聞かれたから、素直に頷いた。


「そうか・・・。んじゃ、その辺に座っといて。」


 波多野が指し示した方向は、ピアノとだいぶん距離がある場所だった。

 私は何の疑問もなくそっちの方向へ向かうと、波多野は何だか落ち着いたように溜め息をつき、「リクエストは・・・??」と私に尋ねた。

 私はすかさず「トロイメライが良い」と言うと、波多野は「あっそ」と言って、ベートーベンの『月光』を弾き始めた。

「暗っ!!」

 思わず私は叫んで、波多野をにらんだ。
 暗く、重低音を含む音調がどこか夕日に照らされた教室に合っていた。

 オレンジ色に輝く音楽室を見渡しながら、私はポツリと浮かんだ疑問を波多野にぶつけた。


「ねぇ、何で『トロイメライ』の楽譜破いたの??」


 私の質問はまっすぐに波多野に届いて、彼は隠すことなく顔をゆがめた。

「・・・似合わねぇ・・・って思ったから。」

「似合わない??誰に??」

「・・・――お前。」


 彼は確かに呟いたけれど、彼の声はむなしくもピアノの音に消されてしまった。


「え??誰、もう一回言って??」
「言わない。」

 すっぱりと切った波多野は『月光』からがらりと曲調を変えて、『トロイメライ』を弾き始めた。

 私は、座っていた椅子から腰を上げて、波多野が弾くピアノの近くに寄ると、彼は私をじっと見つめた。

 私がピアノに近づくと、私はここに来る前のピアノの音と今の音の違いに気がついた。
でも、何だか勘違いな気もしてきた。

 だけど、柔らかい音になったような気がした。


「波多野って何歳からピアノしてるの??」
「小・・・2」
「じゃ、私も一緒くらいかな。中2ときにやめちゃったんだけどね。」
「知ってる。」
「エ?何で??」
「・・・・」

 波多野がピアノを弾くのをやめると、教室にはただ沈黙が流れた。

 波多野は私から目線を外して、とてもまずそうな顔をしている。

 私はただ、波多野を見つめて答えを待っている。

 時計の進む音が聞こえて、時間は流れているんだなぁと思ったとき、波多野が急に立ち上がって私の腕を掴んで引き寄せた。


「そんな風に見つめないでくれる??」


 波多野が言った言葉の意味が、全く分からずに抱き寄せられた私の脳はパニックを起こしていた。

 けれど、抱き寄せられた私は分からなかったけど、心はなぜか嫌じゃなかった。

 目をぱちくりして驚いている私に波多野は、途切れ途切れに言った。

「古森は、俺と同じ・・・教室に通ってた、って知ってた??」
「エ!!うそっ!!」
「マジで。俺はずっとそのときから知ってた。『トロイメライ』が好きだってことも自分で言ってた。でも、大人すぎるだろ、あの曲は。」
「・・・・そう、かなぁ??」


 それから、と波多野は言葉を続けて、今度は私の肩を押して距離を取ると、顔を覗きこんできて、




「俺が、古森に一目ぼれしたってのも、知ってるか??」



 
 遠慮がちに言われた言葉が、急に私を恥ずかしくさせ、
突然の告白の後に奏でられた『愛の挨拶』はどことなく軽快で、




 私は嬉しくなった。






【Copyright (c) 柏田華蓮 all rights reserved】
頂き記念日 2007/11/8
柏田華蓮さんより、相互記念にいただきました。
リクエストはないですかと聞いていただけて、リクエストなど初体験なので、嬉しくって、
考えに考えた末に、「落としもの」というキーワードでお願いしました。
素敵なお話いただけて、感激です!!

華蓮さん、ありがとうございました(o^∇^o)/♪ fuu
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