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◇25 ティラ 〈色々面倒〉
翌朝ティラは、マカトの町に向かう前に家の近くのトードルの巣を見に行ってみた。
いまはもう空っぽかと思ったが、トードルの親はちゃんといた。やはり、子どものトードルより、ずいぶんと大きい。
この最近は、卵を頂戴しに来ることもなかったからなぁ。
よし、せっかく来たんだし、ちょっと挨拶しておこう。
ティラは空に浮かび、一直線に岸壁にある巣を目指す。
「はーい。ひっさしぶりぃ」
元気に声をかけたら、トードルはビクリとしてこちらに振り返ってきた。まじまじと見つめてくる。
「いやだなぁ、そんなに見つめて。元気だった?」
あれ? なんの反応もないんですけど……まあいいか。
「実はね、昨日あなたのおチビちゃんとたまたま再会したのよ。そしたら、卵を三つも分けてもらっちゃった。で、なんか懐かしくなっちゃったんで、こっちにも様子を見に来たの」
うん? どうしたんだろう? なんか顔色が悪くなったような……気のせいかな?
「もしや体調悪いの? 薬あげましょうか?」
良かれと思い申し出たのだが、トードルはぶんぶん首を横に振り、巣の後ろへと下がる。
すると、温めていたらしい卵が三個現われた。
やはりというか、親トードルの卵の方がでっかい。
これって、好きなだけ持っていってくださいってことかな?
別に、そんなつもりはなかったんだけどなぁ。
でも、せっかくの申し出だもんね。ひとついただいていくかな。
キルナさんとゴーラドさんは、トードルの卵を食べたことはなかったみたいだから、あの冒険者用の休憩所にある調理場を使わせてもらって、ふたりにふるまってあげよう。喜ぶといいなぁ。
ひとつ手に取り、それだけで引き上げるつもりだったが、ティラの脳裏に金貨のキラキラがちらつく。
も、もうひとついただいちゃうかな。ギルドで買い取ってもらえるかも。
「ありがとねぇ。また来るねぇ」
トードルにお礼を言い、ティラは颯爽と飛び去ったのだった。
そしてそのあとには、涙目のトードルが……
◇◇◇
あれ、なんの騒ぎだろう?
町の入り口辺りに、大勢の人が集まっている。
その時、血の匂いがかすめた。
これって、人間の血の匂いだ。つまり、あの人だかりの中で誰かが怪我をしているってことだ。
走り寄って行くと、「嬢ちゃん、ダメだ!」と怒鳴られた。太い腕がティラの行く手を遮る。
「誰か怪我をしてるんじゃないんですか?」
「ああ。その通りだ。……ひどい有様だ、あんたは見ない方がいい」
「もう治療を終えたんですか?」
「手の施しようがねぇんだよっ!」
怪我人を心配しての苛立ちから、怒鳴りつけられた。
ティラは眉を寄せ、それから男の人の腕から身をひねるようにして覗き込んでみた。
人垣の間からほんの少しだけ、横になっている人が見えた。
背中が血だらけになっている男の人が、怪我人の名を呼びながら、むせび泣いている。
たぶんあの人、ここまで怪我人を担いできたんだろう。
「助けてあげないと」
知らぬ間に口にしていた。
昨夜の両親からの忠告が一瞬頭をかすめる。
ここで回復薬を使い、怪我人を助ければ、普通の冒険者という、ティラの望んでいる立ち位置から外れかねない。
ティラの持つ回復薬を欲しいと思う者も当然出てくるだろう。冒険者は常に危険と隣り合わせなのだから……
だからって……ここで助けない選択はないよね!
「はあ? それができるなら、やってるってんだ!」
大声で怒鳴りつけてくる男の腕を押しやり、ティラは壁になっている男たちの隙間に無理やり割り込んでいった。
「なんだこいつ!」
文句を言う男らに構わず進み、ティラは怪我人の側に辿り着いた。
「あらまぁ、ずいぶんとやられちゃいましたね」
思わず顔をしかめて口にしてしまう。
片手が千切れかけており、腹部も無残に噛み切られている。
「お、お前……こ、この野郎! なんて言い草だ! 誰かこいつをここから摘まみ出してくれっ!」
背中を血だらけにした人が凄い剣幕で叫ぶと、何人かがティラを捕縛しようとする。
ティラは伸びてくる手を交わし、ウエストポーチから回復薬を取り出すと、瓶丸ごと怪我人の身体にぶっかけた。それだけでは間に合いそうにないので、治癒魔法も合わせて施す。
全身が光に包まれたのを見届けてひとり頷く。
よし、完了。
「うっ、わーーーーっ! わーーーっ! ぐあーーーっ!」
虫の息だった男の人が、苦悶の表情で叫び始めた。
「な、な、な、なにしやがったあ!」
いえ、治療をしたんですけど……
しかし怪我人は、もんどりうって苦しがってるわけで……
「こ、この野郎、瀕死の人間にこともあろうに毒をぶっかけやがったな!」
それは大きな誤解です。ぶっかけたのは回復薬なのですが。
これは怪我治癒の回復時に起きる当然の症状でありまして……なんて説明など、聞いてくれそうな雰囲気ではない。
場が殺伐とした空気に染まったのを感じとったティラは、その場からとんずらかった。
「待ちやがれぇ」
うわーっ、怒涛のように追いかけてくるし。黒い粉塵まで巻き起こってるよ。
これはさっさと町に入り、人ごみに紛れるのが得策。
「どうしたティラ? お前が息を切らせてるなんて珍しいな」
ギルドに飛び込んだところで、キルナに声をかけられた。
「ああ、キルナさん。は、はい。思わぬ誤解を受け、全速力で逃げて……」
「は?」
「ああ、いえ、なんでもないのです」
もう終わったことだ。わざわざ話題にせずともよいだろう。
粉塵を巻き上げながら追ってきた男どもは途中でまけたし、これだけ大きな町なら、出くわす可能性も低いと思いたい。
しかし、キルナさんの顔を見て、なんかほっとしちゃったなぁ。
それに、昨日、弁当持ちの家から通いの冒険者だと知られてしまって、ちょっと呆れていたようだけど、普通に話しかけてもらえたなんて、嬉しいよぉ。
「ティラ、今日はどんな依頼を受ける? Fランクの依頼でもいいし、私の受けた依頼を一緒にってのでもいいぞ」
感激だ。キルナさんから誘ってもらえたよぉ。
「わたしはどっちでもいいですよ。あっ、そうそう、トードルの卵もらってきたんですよ。お昼にどうですか?」
「トードルの卵をもらってきたって、誰に?」
「うちの近くのトードルですよ。今朝こっちに来る前に、久しぶりに行ってみたら歓迎してくれたみたいで、快く卵をわけてくれたんです。昨日のおチビちゃんの親だけあって、ひとまわりでかい卵なんですよ。よかったら見てみます?」
そう尋ねたが、どうしたというのかキルナはティラをじーっと見つめてくるばかりだ。
「あの、キルナさん?」
「いや……色々と予想がついてな」
「予想、ですか?」
「ああ、いいんだ。気にするな。トードルの卵は、依頼を受けた後で見せてもらうとするよ」
キルナは苦笑して言う。
よくわからないけど……気にしなくていいらしい。
そのあとふたりで掲示板の依頼を物色していたら、どやどやと騒々しく人が入り込んできた。
「なんの騒ぎだ?」
キルナが目をやり、ティラも視線を向けてみたら、なんと先ほどの男たちだ。
ええーっ、ギルドにまで追いかけてくるんて。
そう思ったけど、彼らはみんな冒険者のようだ。つまり、ギルドに来るのは当たり前ってことだ。
うわーっ、そうだよねぇ。
この町のギルドはここだけ、顔を合わせなくて済むなんてこと、あるわけなかったんだ。
でも、あの人はすでに回復していて、誤解は解けているはず。と思ったら、男たちは、怪我人に毒をぶっかけて逃げた小娘の話を始めた。
ええーっ! 誤解、まったく解けてませんが! な、なんでぇ?
「いましも息を引き取ろうって怪我人にだぜ」
「毒をぶっかけられた途端、そりゃあもう苦しみだして、見られたもんじゃなかったぜ」
口々に言う。
いえ、だから誤解なんですってば。
おかしいなぁ? 回復してるはずなんだけど。
「ニルバのやつが気の毒でよ。あの大きな図体でワーワー泣きやがって」
「ミーティーとは、いい仲間だったからなぁ」
しんみりとした会話になり、ティラは眉をひそめた。
なんか、死んでることになってない? なんで?
あれっ? まさか、マジで毒の瓶と間違えた?
こっ、これはまずい!
ドギマギしつつ掲示板の陰に隠れようとしたら、キルナから肩を掴まれた。びくーんと肩を震わせてしまう。
「何をしたティラ? 聞かせてもらうぞ」
振り返ると、キルナの目が怖い。
「え、えーと、そのぉ。わたしとしては人助けと言いましょうか……そのはずだったんですけど。もしかすると、毒と回復薬の瓶を間違えたのかも……」
そんなはずはないんだけどなぁ……物凄く自信がなくなってきた。
「ティラ、私があの男たちの注意を引く。その間に、お前はこの場から逃げろ。できるだけ遠くに」
そう言うと、キルナは男どもの方へと歩いていく。
「いったい、どうしたんだ?」
「おおっ、あんたはSSランクのキルナさんだな。聞いてくれよ」
会話を耳にしつつ、ギルドからこそこそと出る。
キルナのおかげで逃げられたものの、ティラはこれ以上ないほど落ち込んだ。
わざとではないにしても、人を殺めてしまったとは……両親になんて言えばいいのだ。
わ、わたし、牢とかに入れられちゃうの?
お先真っ暗だっっっ!!!
ギルドから遠ざかりつつ自分の未来を暗い気持ちで儚んでいたら、「ああ、あんた!」と前方から声をかけられた。
見ると、先ほどの背中血だらけさんだ。
反射的に逃げようとしたティラだが、血だらけさんの隣にいる人を見て動きを止めた。
あれれ、なーんだ、あの人ちゃんと回復してるじゃない!
盛大にほっとした。
いまはピンピンしていらっしゃる。
「ミーティー、この娘っ子だ。お前を助けてくれたのは」
「そうなのか? あんた、ありがとうな」
「いくらお礼を言っても足りねぇよ。なのに俺ときたら、毒をぶっかけたと思っちまって、ほんと悪かったな」
血だらけさんは、巨体を小さくし、顔をしかめて謝罪してくる。
「いえいえ、誤解だとわかってもらえたなら、それで十分です。ただ、いまギルドにいる人たちの誤解を解いてくださると、物凄くありがたいです。毒を盛ったと信じ込んでいらっしゃったので」
「お、おう、それで俺たちもギルドに向かってたんだ。すぐに誤解を解くよ」
よかったあ。犯罪者にならずにすんだよぉ。
「助かります。よろしくお願いします。それではこれで」
「あっ、ちょっと待ってくれよ!」
走り出そうとしたら、血だらけさんが焦って止めてきた。
「あんなすっげえ回復薬だ。とんでもない値段なんだろう?」
「わたしが勝手にやったことです。そんなこと気にしないでください」
「そんなわけには……」
「おい、あそこにいやがったぞ!」
ギルドの方から突然声が上がり、見ると男たちが殺気立った様子でこちらに走ってくる。ドドドドドッと地響きまで伝わってくる。
うひゃー、おっかない! いくら誤解でも、あの形相は怖すぎるから!
その集団の中にはキルナの姿もあった。彼女は誰より先にティラのもとに来た。
「なんで、さっさと逃げない!」
「毒じゃなかったんですよ」
「えっ?」
ティラはミーティーを指さす。
「この方なんです。ちゃんと回復されてました」
ティラは血だらけさんに向き、「あとの説明、よろしくお願いします」と早口に告げると、キルナの手をがっちり掴んだ。
「もう色々面倒なんで、キルナさん行きましょう」
ティラはキルナを引っ張り、一目散にその場から逃げ出したのだった。
つづく
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