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1 愛想のない部下
「あー、もう俺死ぬ。絶対死ぬ。過労死で死ぬ。死ぬ前に彼女欲しいーっ」
後輩の盛岡が興奮して叫び、楠田は眉間を寄せつつも、仕事の手は止めなかった。
死ぬとかさすがに大袈裟だし、さらには彼女が欲しいってなんだっ⁉
こっちだって疲れがたまってるんだ!
興奮して叫ばれたら、さすがに温厚な俺も苛立ちに駆られるってのに……
でも、叫びたい気持ちは理解できた。
もうすぐ勤務時間は終わりだが、今夜も定時では帰れない。
しかも、半月もこの状況が続いている。
これまでで、いっちばん最悪な状況だな。
俺たち、今日はいつになったら楽になれるんだ。予想すらつけられない……
実は、数週間前に後輩が唐突に会社を辞めてしまったのだ。
確かにハードな職場だ。無理をさせすぎたという自覚もある。
だが、あいつより、俺や盛岡のほうがもっと無理をしていたのだ。
まったく、辛抱が足りないよな。
けど、もう少し頑張ってくれれば、仕事にも慣れて……なんて、考えてる時間がもったいないか?
そう考え直し、楠田は仕事に意識を向けた。
叫んでいた盛岡もすでにおとなしくなり、仕事に戻っている。
こいつも、入社当時はいつ辞めるかとハラハラしたんだったよな。
盛岡が補佐としてそこそこものになってきたところで、昨年の四月に新人が入り、これで安泰と思っていたってのに……
まさか、年が明けて後輩が辞めてしまうとは……
他のチームから助けをもらえるような状況でもなく……だからといって仕事は減らない。
上司に、泣き言は言いたくないしな。
つまりは、頑張るしかないのだ。
「楠田君」
上司が声を掛けてきて、ディスプレーを見つめてキーボードを叩いていた楠田は、顔を上げて上司の方に首を回した。
「はい」
「ちょっと来てくれ」
呼ばれてイラっとしたが、上司に逆らうわけにもいかず、楠田は立ち上がって上司の机に歩みよった。
この上司も、俺たちのいまの状況は把握してるはずなのだが。
「なにか?」
「苛立ってるな?」
からかうように言われて、楠田は顔をしかめた。
「そんなお前に朗報だ」
ろ、朗報?
マジか?
きっと応援だ! 応援をもらえるのに違いない!!
気が逸り、どうにも笑みを浮かべそうになるも、ここはぐっと堪えて慎重に切り出す。
「応援をもらえるんですか?」
「まあ、そういうことだ」
「本当ですか? 助かります」
「新入社員の葛城響が、研修という名目で明日からきてくれることになった」
「新人?」
なんだよ。そんなものじゃ、焼け石に水どころか、かえって邪魔になる。
欲しいのは即戦力だってのに。
いまの俺たちに、新人に仕事を教える余裕などないぞ。
「申し訳ありませんが……」
断ろうとしたら、上司は「雑用をやらせればいい」と先回りして言う。
「雑用……ですか?」
「ああ。どうせ四月には入って来るんだ。ならば、仕事に触れる機会が早いのはいいことだと思うぞ」
そうだろうか?
「入社前に辞めたりしませんかね?」
「後ろ向きだな」
「後ろ向きにもなりますよ」
すでに一人辞めているのだ。
「とにかく、そういうことだから」
上司はそう言って話を締め括った。
嬉しがるより、不安を抱えた気分だが……
不安に気を向けている余裕すらないんだし、とにかくいま抱えている仕事を始末するか。
明日からやってくるという葛城のことを頭から消し、楠田は仕事に戻ったのだった。
翌日になり、たまりにたまった疲れを引きずって職場にやってきた楠田は、椅子に座り込んだところで、上司に呼ばれた。
顔を向けたら、上司の机のところに、すらりとした背の高い若い男がいた。
なんだ? 今日から来ることになった葛城ってのは、あいつか?
立ち上がったら、葛城がこちらに振り返ってきた。
思わず動きを止めてしまう。
な、なんだ? こいつが後輩?
なんだよ、見た目、良すぎだろ⁉
思わず鋭くぼやく。
「楠田君、彼が昨日言っていた葛城君だ。葛城君、彼が君の上司だ」
「初めまして。葛城響です」
「あ、ああ。楠田だ。よろしく」
「よろしくお願いします」
葛城はにこりともしなかった。不愛想で、テンションが低そうだ。
なんかなぁ~。
上司に頼まれて、渋々来たんじゃないのか?
こんなんじゃ、今日辞めちまってもおかしかないぞ。
こいつなら、こんなハードな職場で働かなくても、タレント事務所とかから、引く手あまたに違いない。
それが正直な気持ちだったが、とにかく雑用をさせることにした。
だが……
仕事が終わり、楠田は、新人の葛城が「お疲れ様でした。失礼します」と礼儀正しく挨拶し、スマートに去っていく姿を、茫然として見つめた。
「なんなんだ、あいつ?」
盛岡が呆けたように言い、楠田は盛岡に顔を向けた。
「正直、盛岡……奴はお前より仕事できるぞ」
つい口にしてしまったら盛岡は仏頂面になった。
さすがに口にすべきではなかったかと楠田はすぐに後悔したのだが……
「俺もそう思います」
盛岡の言いぐさに、楠田は思い切り噴いてしまった。
そうだった。
こいつはこういうやつだったな。
単純で素直……
だが、内面かなりナイーブだったりもする。
「けど、お前の良さ、俺はちゃんとわかってるからな。盛岡」
「くっ、楠田さーん」
激しく感動したかのような表情になり、盛岡はがばっと楠田に抱き着いてきた。
「お、おいっ」
「俺っ、楠田先輩にどこまでもついてゆきますからね。あーんな澄ましかえった可愛くない野郎なんかに、俺は絶対負けませんからねっっ!」
盛岡は唾飛ばす勢いで喚く。
いや、別に負けてもいいんだぞ。そう言いたくてならなかったが……ナイーブな盛岡のハートを思ってやめておいた。
そして彼は、できそこないだが愛嬌のある部下と、愛想はないが完全無欠な部下を持つことになったのであった。
プチあとがき
刊行記念の番外編、読んでくださってありがとうございます。
楠田視点でしたが、いかがでしたでしょうか?
きっと、楠田って誰(・・? な、感じではあったでしょうけれども。笑
響視点を書こうと思って、こちらを思いついたので、先に書きました。
次はたぶん、響視点になるかと思います。
もう少し続きますので、楽しみにしていただけたら嬉しいです♪
fuu(2016/11/29)
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