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2 ポスター譲渡 響視点
「なあ、葛城。お前、今夜予定とかないんだろ?」
黙々と昼飯を食べていた響は、先輩の盛岡に話しかけられて顔を上げた。
ここは響の会社の食堂だ。昼飯は同じ部署の先輩である楠田と盛岡のふたりと食べている。
楠田は響より四つ上で、温厚な性格だ。仕事もできるし、とても尊敬している。
一方盛岡の方は、一つ年上で見た目は少々チャラいのだが、実のところはかなりナイーブな性格だ。
彼は女の子たちをよくからかうのだが、つれなくされては影で落ち込んでいる。
「おい、聞いてんだろ、葛城! 人の面、じっと見てんじゃねぇ。返事をしろよ」
むっとして怒鳴られ、響は軽く肩を竦めた。
これ程度のことで、感情的になる盛岡がよくわからない。
しかし……返答に迷うな。
安易に予定がないと言ったら、合コンとかに無理やり引っ張って行かれる可能性が大だ。
ふたりに付き合うのは、女が絡まなければ仕事のことを聞けたりして、とても為になるんだが。
響の仕事はシステムエンジニアだ。そして上司の盛岡は、この社のホープでもある。そして、チャラい見た目の盛岡も、仕事となると人が変わる。
だが、ふたりとも独身で、もっか恋人大募集中と公言している。
勝手にやってくれればいいんだが、俺を巻き込もうとするから困るんだよな。
さて……今回の誘いは女絡みと見た。ならば断らせてもらうとしよう。
「予定あります」
響がさらりと答えると、盛岡は苦い顔をする。
「どんな予定だよ?」
吠えるように問いただされて、どう答えようかと思案していたら、楠田が笑いながら盛岡の肩を叩いた。
「お前、学ばなすぎだぞ。そんな誘いで葛城がうんと言うわけないだろ?」
「そんなぁ。なら、楠田さんがこいつ誘ってくれればよかったじゃないですかぁ」
「俺は、もうこいつを誘うのは無理だと諦めている」
「えーっ! だって超イケメンを連れてくって約束したんすよ。こいつが来ないんじゃ、相手の子たちになんて言われるか……」
「まったく、こいつを餌にする時点で間違ってるっつーの。こいつが一緒じゃ、俺たちが霞むばかりだぞ」
「でも、土俵に立てないんじゃ、相撲を取ろうにも取れないっすよ。こいつ、女子に超冷たいし、やさしい男になびく子もいると思うんすよ。だいたい今日の合コン相手は、白衣の天使ちゃんたちなんですよ」
盛岡は視線を宙に向け、瞳を煌かせる。
「そうなんだってさ? どうだ葛城、先輩のために一肌脱いではくれんか?」
楠田が両手を合わせて頼み込んでくる。まったく楠田先輩は口説きがうますぎる。そんな風に言われたら……
「それなら……」
了解の言葉を続けようとしたところで、響の携帯に電話がかかってきた。かけてきたのは親友の成道だった。
「ちょっと失礼します」
先輩たちに断ってから、電話に出る。
「おう、響。お前今夜暇だろ。俺様が遊びに行ってやるから、八時までに家に帰ってろよ」
居丈高に命じてくるが、成道はいつもこんなものだ。
「八時か?」
「おお、実はな、すんげぇお宝を手に入れたんだ。酒とつまみも大量に持ってくからよ」
すんげぇお宝ねぇ?
「もちろん今夜はお前のところに泊まるから、部屋は綺麗に片付けとけよ」
「はあっ? 何言ってる。部屋を片付け……あ」
まだこっちが話しているというのに、成道は言いたいだけ言って電話を切った。
この野郎……
だいたい、なにが部屋を綺麗に片付けとけだ。片付いてないのはお前の部屋の方だろうが。
すでに伝わらない文句をもどかしい思いで胸の内で呟き、響は携帯をポケットに戻した。
視線を先輩たちに向けると、ふたりして響をじっと見つめている。
「すみません。たったいま予定が入りました」
「なっ、なんじゃとぉ~っ!」
盛岡がブチ切れたように声を張り上げた。
「お前いま、いいって言おうとしてたよな?」
「ええ。すみません」
「すっ、すみませんだぁ! すみませんの一言で済まそうってか? なめんなよお!」
「盛岡落ち着け」
「落ち着いてなんていられませんよ。くそおっ、先輩の誘いより女を取るとは、お前は最低だっ!」
「ダチですよ」
そう事実を言っても、盛岡は疑わしげだ。
「嘘つくな。部屋を片付けに来るって言われたんだろ?」
「違いますよ。片付けておけと言われたんです」
「は? それって、お前の部屋が汚ねぇってことか? 意外だなぁ。お前の部屋って、超綺麗だろうって思ってたんだけどな。人はわかんないもんだな」
なぜか盛岡は、ひどく嬉しそうだ。
俺の部屋が汚いのが嬉しいのか?
いや汚くはないんだが……
「葛城君、部屋の片付けが苦手なの?」
「意外ねぇ」
すぐそばで昼飯を食べていた女性の先輩たちが、急に話に割って入ってきた。
「あっ、私、片付けてあげましょうか?」
「何言ってんのよ。葛城君、よかったら私が」
「お断りします」
響はそっけなく告げた。騒がしかった女性社員たちは一瞬にして黙り込む。
ちょうど食べ終わったところだった響は、「お先に」と口にし、さっさとその場を去った。
「ううっ、葛城君、いつものことながらクールすぎるぅ」
「けど、どこからどこまでもかっこいいわぁ」
「あーん、葛城君のお部屋をお片付けにいきたーい♪」
そんな興奮した彼女たちの言葉は、すでに立ち去った響の耳には届かなかった。
楠田と盛岡は、響のモテっぷりに苦笑いし、食事に戻ったのだった。
「ずいぶん充実したなぁ」
本棚を見てにやけ面で呟く成道を見て、響は苦笑した。
その本棚には、いわゆるアダルト系の代物がずらりと並んでいる。
特に多いのが、ゲームのソフトだ。
購入したアダルトゲームを、成道は響のアパートに持ち込んでくる。親の家で暮らしているから、部屋に置いておけないと言うのだ。
だがそれは、俺に対して表向きそう言っているに過ぎないんだが……
まあ、それはいいとして……
成道の部屋は、いつも母親が掃除をしているらしい。
しなくていいと言ってもやってしまうから、どうしようもないと成道はいつもぼやく。
響にすれば、そういう家族がいるというだけで羨ましい。
母親か……
「ほら、お前にこれやる。このソフトの特典だ」
成道が放ってきたものを、響は反射的にキャッチした。
「なんだこれ?」
「ポスターだ。お前にやる」
「いらない」
あっさり断わり、ポスターを投げ返す。
「なんだよぉ。もらってくれよ」
成道、なぜか頼み込むように言う。
「そんなにいらないものなら、もらわなきゃよかっただろ」
「しょうがないだろ。商品についてくるんだし、もらってからじゃないと、どのキャラかも確認できないんだからな」
渋い顔で言った成道は、手にしたポスターを広げながら、さらに響にはどうでもいい説明を続ける。
「この特典は五種類あってな、攻略対象の五人のうち、どれがついてくるのかわからないんだ。俺、このキャラだけはちょっとな……」
「そんなに好みじゃないのか?」
逆に興味を引かれ、響はポスターを覗き込んでみた。
「このキャラ、雰囲気が尚に似てんだよなぁ」
尚というのは成道の姉だ。そして、実は響の初恋の相手でもある。
さらに、いまだに彼女への思いを引きずっているわけで……。
「だから俺、この子だけは落とせねぇんだ。けど、全員攻略しないと隠しキャラを落とせなくなる。だからお前がやってくれな」
「別に似てないと思うけどな」
正直に感じたまま言ったが、成道は「そうか?」と、すでにどうでもよさそうに返事をし、ゲームを始めた。
響は、成道が持ってきてくれた缶ビールを手に、弁当や酒のつまみをいただきつつ、ゲームに付き合った。
成道は清純派を落としにかかったが、成道の姉に似たキャラもいたるところで登場する。
そのキャラを見ていると、どうにも落ち着かなくなってきた。
似ていないと思ったのだが……微妙に似ているかもしれない。
思い出したくない過去が蘇り、響は顔をしかめた。
尚さん、いまも俺のことを軽蔑しているんだろうな。
あれから八年が過ぎたというのに……俺は過去に囚われたままだ。
床に転がっているポスターが目に入り、響は我知らず手を伸ばして取り上げていた。
やっぱり似ていないよな。尚さんの目は、もっとこう……
ポスターのキャラの目尻にそっと触れた響は、視線を感じハッとして成道に向いた。
目が合った瞬間、成道は何も見なかったかのように視線を逸らし、またゲームに戻った。
こいつ……そんな態度を取られたら、気まずくてならないだろうが!
吠えつきたいがそうはできず、響はもどかしい気持ちを持て余し、顔を歪めた。
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