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4 天を味方に
パソコンの専門誌を読んでいたら、成道から電話がかかってきた。
「お前に報告するべきだと思って電話した」
なにやら深刻そうだ。
「なんだ、どうし……」
そこまで言って、響はハッとする。
報告って……しかもこんなに深刻そうに……?
嫌な予感に、心臓がやにわに早まる。
まさか、尚さんに男が……?
「男を紹介してもらうんだそうだ。しかも、かなりハイレベルな男らしい」
頭をガツンと殴られた気がした。
冗談などではないと分かる。
響は、一瞬にして強烈な後悔に囚われた。
虚しさに侵食され数秒呆然としてしまったが、我に返り奥歯を食いしばる。
一歩も踏み出さずに終わるのか?
それだけは嫌だ!
「明日、仕事の後に会うんだと」
明日……
成道に返事をしようとしていったん口を閉じ、響は大きく息を吸い込んだ。
取り乱しても意味はないぞ。
それに、成道にいまの俺の心情を悟られたくないだろう? なら、冷静になれ!
「教えてもらってありがたい」
感情を交えず、響は淡々と答えた。
「まったく、よくわかんねぇな。慌てるかと思ったのに……まあ、お前らしいと言えばそうなんだけど……」
その言葉に苦笑してしまう。
実際のところ、心中大荒れ状態なのだが。
電話を切った響は、長いことぼおっとしてその場に突っ立っていたが、我に返って意味もなく自分の部屋を見回した。
身体の力が抜けたようになり、座り込んでベッドに凭れる。
紹介してもらったからといって、付き合うとは限らない。だが、付き合わないとも限らないのだ。
……紹介してもらう時点で、出会いを求めているということになる。
ならば、お前はどうする?
何もせずに、指をくわえて見ているつもりはないよな?
こうなったら、もう気まずいなんて言っていられない。紹介される前に彼女と会おう。
翌日、出社した響は、朝の挨拶もそこそこに、楠田に用件を切り出した。
「楠田先輩。今日は一時間早退させてください」
「早退?」
「はい。今日の分の仕事は、なんとしてもそれまでに終わらせますので」
休憩なしでやれば、なんとかなるだろう。
「いや、どれだけ頑張っても、さすがに終わらないと思うぞ。なんだ、よほどの用件か?」
「はい」
よほどどころか、俺の人生がかかっている。
「もし終わらなかったら、用件を終えたら戻ってきます」
「……わかった。いいぞ、仕事は気にせず抜けてくれ」
響の表情が深刻に見えたのか、楠田はそう言ってくれる。
響は感謝して深く頭を下げた。
「助かります。楠田さん、ありがとうございます」
「盛岡にはこのこと言うなよ」
楠田は苦笑しつつ釘を刺してきた。
「言わない方がいいですか?」
「ああ。あれこれ喚くだろうし、用件ってのがなんなのかしつこく聞くに決まってるぞ」
確かにそういうことになりそうだな。
「わかりました。楠田さん、お気遣いありがとうございます。感謝します」
「……まあ、俺も気になるけどな。話してはくれないんだろう?」
響はすまなそうに頷いた。
「それでは、すぐ仕事に取り掛かりますので」
「無理しなくていいぞ。それと、休憩もせずに仕事するなんてダメだからな」
その言葉に、思わず眉を上げてしまう。
参ったな。俺の考えは御見通しか。
響は苦笑し、頭を掻いた。
夕方になり、会社を後にした響は、カーナビの指示に従い、尚の勤務している『ヒナモト照明』までやってきた。
玄関前で張り込むわけにもいかないので、充分距離を置いて立ちどまった。
尚が出てくるのを待つしかないのだが……情報が少なすぎる。
仕事が何時に終わるのかわからないし、会社にいるのかもわからない。
紹介してもらう男とどこで会うのかも知らない……
天を味方につけるしかないってことだな。
じりじりしながら尚が出てくるのを待っていたら、社員が出てき始めた。すると、尚の姿が……
あれだ!
思わず踏み出した響は、尚の顔を見た途端、たたらを踏んだ。
八年ぶりの尚に、目を見張ってしまう。
高校生だった彼女も、とんでもなく魅力的だったが……
響が息を呑んでいる間に、尚は背を向けて歩き出した。
こちらに向かってこなかったことにほっとし、響は尚を追った。
待ち合わせ場所は、この近くだろうか?
そこに到着する前に話しかけないとまずいよな。
響は足を速め、尚に近づいた。
通行人が結構多いので、後をつけやすいが、ややもすると尚を見失いそうになる。
響は何度も声を掛けようかと思ったが、どうしてもそうできない。
そんなことをしていたら、つかず離れずのまま、かなり歩いてきてしまった。
待ち合わせ場所がはっきりしないのか、尚はうろうろしているようだ。
迷ったのか?
だが、もうこの辺りなのかもしれない。
なら後がないぞ。行くしかない。
よし。
響は大きく息を吸い、歩行者をかき分けて尚に近づいた。
「な……」
呼びかけようとしたその瞬間、尚が人とぶつかり大きくよろめいた。
響はさっと手を差し出し、尚を支えた。
八年の年月……心の中に住み着き、会えないでいた尚の身体に触れている。その事実に、言葉にできない思いに囚われた。
「あっ、すみません」
尚が慌てて謝ってきた。
言葉を返す前に、響は気持ちを引き締めた。
俺だと分かったら……尚さんはどんな反応をするだろう?
支えている手も拒まれてしまうかもしれない。
「大丈夫ですか?」
声を掛けた途端、彼女は響に顔を向けてきた。ふたりの目が合い、尚は大きく目を見開いた。
響はごくりと唾を飲み込んだが、尚はまたバランスを崩して転びそうになる。
「おっと」
支え直してやったが、尚は何も言わずに響の顔をじっと見つめてくる。
響は視線を逸らさず尚の反応を待った。
尚を乗せたタクシーが走り出し、響は遠ざかっていくタクシーを見送った。
まさか、こんなにうまくいくとは……
尚さんは、響に似ていると思ったようだが、俺が斎賀と名乗ったことで赤の他人だと思い込んだようだった。
好意を持っていることを伝えても、嫌がる様子はなかった。それどころか……俺の勝手な思い込みとかじゃなく、俺に好意を持ってもらえてたよな?
連絡先まで交換した。
助けてもらった恩を感じて、ということだったのかもしれないが。
騙すべきではないと思うが……他人のふりをしてもっと近づくのがいいかもしれない。
なんにしても、よかったよな?
ほっと息をついたその時……
「あの、すみません」
背後からふいに話しかけられ、響は驚いて振り返った。
声をかけてきたのは、カップルだった。
「いま、タクシーに乗ったのって……私の友達だと思うんですけど……」
その言葉で、一瞬にして理解した。
このふたりは、尚と喫茶店で待ち合わせしていた友人と、尚に紹介される筈だった男……
成道が、ハイレベルな男と言っていたが、確かにと思う。
だが、尚との出会いを阻止してやれた。
運は俺に向いている。
もちろん安心していられないのはわかっていた。また、この男と会う機会は作られるに違いない。
それにしても、このふたり、どこから見ていたんだ?
「喫茶店で待ち合わせをしていると、彼女が言っていましたが……あなた方だったのかな?」
「えっと……あなたは? 通りすがりとかじゃないみたいですけど」
「ええ。仕事帰りに彼女をたまたま見かけて。声をかけようとしていたら、彼女が人にぶつかって倒れそうになったので、慌てて助けたんです」
「たまたま?」
男が含みのある言い方をしたが、響は反応しなかった。
「それじゃ、俺はこれで」
さっさと消えようと踵を返したら、尚の友人に腕を掴まれた。
「ちょっと待って。なんか気になるんですけど」
響は仕方なく振り返った。
「なんですか?」
「あなた、尚の知り合いなんですか?」
「尚さんにお聞きになればいいんじゃありませんか?」
「尚さん?」
しまった。つい名前を口に……
そのとき、尚の友人の携帯にメールが届いたようだった。尚からだったらしく、メールの内容を男に話して聞かせている。
タクシーに乗り、家に向かっているという内容だったようだ。
「そうですか。相沢さんに会えなくて残念でしたが、奈都子さん、是非、次の機会を設けていただけますか?」
「ええ、もちろん」
ふたりのやり取りに歯噛みしながら、響は身をひるがえした。
「あっ! ちょっと」
尚の友人が呼びかけてきたが、響は振り返らず、歩きながら軽く手を挙げた。
尚とこの先うまくいけば、いずれ顔を合わせることになるだろう相手だ。あまり印象を悪くしておきたくない。
それにしても、何がもちろんだ。
次の機会も、必ず俺がぶち壊してやる!
響は痛いほど拳を固めた。
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