友情と恋の接線 番外編

番外編U

その3 やっかいな間合い


沙由琉の想い出の中にあった花パークは、六年の月日が流れ、その全貌を変えていた。
唯一沙由琉の記憶通りだったのは、池の位置くらいだ。

その池ですら、いまは澄んだ水をたたえ、周りも奇麗に囲まれ、ひと所はカラフルな石畳が敷き詰められ、子ども達が水と戯れられるような造りになっていた。

以前は花パークというにはお粗末な花壇しかなかったのに、いまはその名を恥じぬ。

開園すぐに花パークに入った沙由琉たちは、門からの一本道を、咲き誇る花に魅せられてまっすぐに歩いていた。
沙由琉の前には、希美と橋田が手を繋ぎ、時折はしゃいだ笑い声を上げながら歩いている。

沙由琉には、ふたりを包んでいる桃色のオーラが見えるような気がした。どうみても…

「あのふたり…仲良いな」

なぜか固い声で新城が言った。

「でしょ? なのに希美ったら、付き合ってないって断言するのよ。どうみても相思相愛にみえるんだけど」

「付き合って、ないのか…」

新城の声の固さが増した気がした。

「新城君?」

「おーい。ふたり遅いよー」

かなり先まで進んでしまった希美と橋田が、こちらを振り向いて早く来いというように手を振っている。

「あのふたり、自分たちの世界にどっぷり浸かってるのかと思ったら、わたしたちのこと、忘れてなかったんだね」

そう言って笑いながら同意を求めて新城を振り返った沙由琉は、彼の苦々しげな笑みに笑いが縮んだ。

彼の不機嫌は、これまでの沙由琉の服装のせいではなかったということなのか?

今日の沙由琉は、黒に近いグレーのミニスカートと、裾に小さなフリルついた淡いピンクのTシャツに、襟の無いアイボリーのブラウスを羽織っていた。

今朝、鏡の前で、あまりの違和感に泣きそうになったが、これで新城の不機嫌さが直るのならと、恥を忍んで着てきたのだ。

沙由琉を目にした新城は、口元に微妙な嬉しさを滲ませた。
それを察知して、沙由琉はほっとしたのに。

違ったのだろうか?
それでは、いったい何が新城を不機嫌にさせているのだろうか?

沙由琉たちは少し早足で希美たちに追いついた。

希美が沙由琉の腕を取った。
沙由琉はそのままひきづられ、男ふたりから十メートルほど離れた。

「何やってるのよ」

希美が、彼らに聞こえないように顔を近づけて囁いてきた。

「ごめん。希美たち歩くの早いんだもん」

「そんなこと言ってないって。なんで腕組んでないのよ」

「腕?組む?」

「当たり前でしょ。デートしてるんだよ。あんたたち。判ってる?」

「そう…だけど」

「恋人は腕を組むものなの」

「でも、新城君だって腕組んで来ようなんてしないし…」

希美が小さく地団太を踏んだ。
ずいぶんと仕草が可愛く、沙由琉は思わず微笑んだ。

「何笑ってんのよ。男が腕絡めてきたらきもいじゃん。女の子から男の子の腕に腕を絡めるんだよ」

わたしから…新城の腕に、腕を…絡め…る?

「もっとスキンシップしなよ。わたしは、あんたたちふたりの間に、分厚い壁を感じるよ」

「壁?」

「腕絡めてさ、たまには彼の腕に頭とか寄せて、ついでに顔上げて微笑んだりしなよ」

「はーーーあ」

「沙由琉、声大きいよ。あのふたりに聞こえるじゃん」

「頭寄せて…微笑む…」

顔を引きつらせた沙由琉にため息をついて、希美は考えた挙句こう言った。

「それじゃ、わたしが手本見せるから、それみて沙由琉もやるんだよ。いいわね」

沙由琉の戸惑いの表情など見もせず、希美はすぐに橋田のところに戻って行った。

宣言どおり、希美は橋田の腕に腕を絡め、頭をこちんと当てて、橋田の顔を見上げて微笑んだ。

さすがにぎょっとしたらしい橋田は真っ赤になった。

彼をじっと見つめている新城の視線に耐えられなかったらしく、橋田はぎこぎこと顔を逸らした。

一連の手本を終えた希美は、瞬きだけで沙由琉にゴーのサインを出してきた。
新城に近付くことも、この場から逃げることも出来ずに沙由琉は立ち竦んでいた。

「沙由琉、何突っ立ってんだ。早く来いよ」新城が苛立たしげに言った。

沙由琉は頭の中で、行動をシミュレーションしてみたが、腕を絡めるという初期の段階で躓いてしまった。

新城が歩き出した。
かなりの早足で歩いてゆく歩幅に怒りがある。

二人の仲がこれで終わってしまうような恐怖が湧いた。
彼の背中を見つめ、沙由琉は泣きたくなった。

「あ、おい、新城」

橋田とまだ腕を組んだままの希美も橋田に着いて歩き出したが、沙由琉を振り向いて、希美はさじを投げたように首を振った。

立ち竦んでいる沙由琉の脳裏に、突然母の言葉が蘇った。

『キスなさい』

沙由琉は50メートル走の勢いで新城を追いかけた。

彼に回り込むと、大きく両手を広げて行く手を阻んだ。
新城が呆気に取られて立ち止まった。

「どうして不機嫌なの?」

睨む新城に負けじと沙由琉も睨んだ。

「君、僕のこと本当に好きなのか?」

「え?」

「僕が近付くと、近付いただけ離れるし」

「え…そ、そう?」

「手を伸ばして触れようとすると、すっと身体をずらすし」

「え…そんなこと…」

「してないっていうのか?」新城の目が怖い。

沙由琉はおずおずと頷いた。そんな覚えは絶対にない。

「無意識にしてるとしたら…君の本心は僕に触れられたくないって思ってるって事だな」

沙由琉の携帯が鳴り出した。
まったく、なんてタイミングでなるのだろう。

混乱しておろおろしている沙由琉を見て、新城が鋭い目つきで笑った。

「早く出たら」

新城はあざけるようにそう言って、踵を返して歩き出した。

「先に帰る」

後ろを振り返りもせず新城が履き捨てるように言った。

「そんな、新城待てよ」「新城君、待って」

橋田と希美が新城を追ってゆくのを、沙由琉は呆然として見つめていた。

新城も橋田も希美の姿も、沙由琉の視界から消えてしまい、沙由琉の耳はやっと携帯の着信音を捕らえた。

沙由琉は、ぼおっとしたままバッグから携帯を取り出した。
太一郎だった。

「沙由琉、何やってんだ。早く追いかけろよ」

「は?」

「いいから早く追いかけろって」

「え?でも、だって兄様、もう駄目だよ。新城君に嫌われちゃったもの」

「この馬鹿、いいから追いかけろ」

太一郎の激しい怒号に飛び上がった沙由琉は、三人が消えた方向へと走り出した。

事態が飲み込めなかったが、彼女は携帯を切るとバッグに放り込んでひたすら走った。

新城と橋田と希美の三人は、門のところでもめていた。

「新城君」

沙由琉はあたりに響く大声で彼の名を呼んだ。

新城が振り向いた。
彼は最悪の顔をして沙由琉を見た。

沙由琉の胸が鋭く痛んだ。

彼女は新城の前に立つと、瞳から怒りを発している彼の両肩に手を掛け、つま先だって唇を触れ合わせた。

新城の肩が硬直したのを、沙由琉は手のひらで感じた。

沙由琉の頭が急に現実を見た。
母の洞察力を信じる心が勝って、ほんとうにやってしまった。

沙由琉は恐る恐る唇を離した。
悔いが涙を誘い、頬に一粒の涙がこぼれた。

新城が沙由琉の前髪を指に絡めてかきあげた。
これまで見たことが無いくらい、新城の顔は柔和に微笑んでいた。

赤くなった沙由琉と、不機嫌さを返上した新城の間近で、希美と橋田の会話が始まった。

「なんか、沙由琉って掴めないんだよねぇ」

「確かに」希美に同意して橋田が頷く。

「でも、うまく行って良かったぁ。私たちが頑張ったかいがあったよね、橋田君」

「そうだね。かなり大変だったけど」と橋田が苦笑した。

「あーあ、わたしも早く彼氏欲しいなぁ」

希美の爆弾発言は、ふたりの世界にすっかり浸っていた沙由琉と新城をも振り向かせる、強烈な威力を持っていた。

沙由琉は思わず目を瞑った。

「橋田君。どうしたの?気分悪いの? 顔、真っ青…え…橋田君」

橋田は無言のまま走り去って行った。

「追いかけなきゃ」

新城の手を取って沙由琉が言った。
こんな事態なのに、新城の顔が喜びに輝いた。

「だな」

沙由琉は、新城とともに走り出す前に、希美を見た。

希美はまだ気づいていないようだ。自分の恋心に…

でも、これでいいのかもしれないと沙由琉は思った。

このあと、きっと希美は知ることになる。
恋はさまざまなのだということに…




End



  
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