その2 理解不能
学校の帰り道、いつもは希美とふたりきりなのにと、なぜか校門の外までくっ付いて来た後輩達に、にこやかに返事をしながらも、沙由琉はかなり戸惑いを感じていた。
校内で沙由琉を見つけると、寄って来てはおしゃべりをしてゆく後輩達。
けっこう頻繁に、沙由琉の作ったお菓子を分けてあげたり、彼女達の手作りのお菓子をもらったりしている。
手作りのストラップを褒めてもらうと、みんなに作ってあげたり、お返しにぬいぐるみをもらったりもする。彼女達とは、そんな間柄だ。
みな、沙由琉より背が低く、キャーキャーと騒ぐ様は、ひどく女の子らしい。
彼女達を見習って、自分もこんな風になりたいと心底思うのだが…
沙由琉は、湧いてきた感情に唇を噛んだ。
彼女達のようであったら、新城も…あんなことは言わなかったに違いない。
『ちゃらちゃら着飾ってくるなよ』なんて…
ちゃらちゃらした格好をした沙由琉は、見るに耐えないほどひどい様なのだろう。
沙由琉は周りの子に気づかれないように、小さなため息をついた。
『いっぺん死んで来い』だなんて、普通の女子なら絶対に口にしないに違いない。
あれから新城はまったく連絡を寄こさなくなった。
当然なのだろうが…
つまり…考えたくはないが…彼女は新城に、すっかり嫌われてしまったということなのだ…
もともと、こんな色気のない男勝りな沙由琉を、新城が好きだと思ったこと自体、彼の勘違いだったのだろう。
その考えに、沙由琉の胸はシクシク疼き、知らず、大きなため息をついていた。
「す、鈴川先輩!この近くに美味しいクレープ屋さんあるんですよ。一緒に行きましょうよ」
「あ、それいい、いい」
「わたし、奢っちゃいます。今日の手作りクッキーのお礼に」
「それなら、みんなで奢ろうよ」
「うんうん。たっくさん食べてもらって、先輩に元気…」
「あっ」「しーっ」
楽しげに騒いでいた後輩達が、急にひとりの子の口を塞いだ。
沙由琉は眉を潜めた。
「どうしたの?」
「い、いえ。な、なんでも」
「鈴川先輩、どんなクレープが好きですか?」
せっかくの申し出を断るのも悪いと思ったが、どうにも食欲がない。
「ごめんね。今日は食欲なくて…」
「そんなんじゃ、身体壊しちゃいますよ」
ひとりがひどく気を揉むように口にした。
沙由琉は後輩たちの思いやりに、遅ればせながら気づいて微笑んだ。
「ありがとう。みんなのやさしさは嬉しいんだけど…」
「そ、そんなことないです」
申し訳なさを込めた沙由琉の笑みに、後輩達は甘い笑み返してきた。
彼女にも、こんな甘い可愛らしい笑みを浮べられたら…新城も…
沙由琉は、堂々巡りと化している自分の思考に気づいて、また新たなため息を洩らした。
沙由琉はふと気づいて回りを見回した。
普段あれほどおしゃべりな希美の声がまったく聞こえてこない。
新城のことばかり考えてぼうっとしていたから、希美をどこかに忘れてきたのだろうか?
左右を見回した沙由琉は後方へと振り返り、なんだと肩を落とした。
最後尾のあたりに希美がいて、彼女は携帯を耳に当てていた。
また橋田とおしゃべりしているのだろう。
お正月以来、橋田と希美は目も当てられないほどラブラブモードを発散している。
希美の鼻血で沙由琉の着物は大変なことになったが、ふたりがめでたく仲直りできて、なによりだ。
だが、橋田と恋人同士になった希美は彼とのデートで忙しく、沙由琉と休日に遊ぶこともなくなってしまった。
それに、二人が一緒にお弁当を食べて過ごす昼休みは、希美たちのラプラブ話しを聞き続けるだけで、その他の話題が入る隙などない。
沙由琉としては、新城とのことを相談したいのだが、目がハートの形になった希美には、友達の苦境を察することは無理なようだった。
まあ、もともと天然な希美に、それを求めるのは土台無理なことだろう。
「沙由琉!」
希美の大きな呼びかけに、沙由琉は立ち止まった。
後方にいた希美が、なぜかダダダと駆け寄って来る。
「どうしたの?」
「新城君と仲たがいしてるって、ほんとなの?」
後輩達が少しざわめいた。
沙由琉は頬を赤らめつつも、頷いた。
「なんで黙ってたのよ。相談してよ。わたしたち親友じゃないの」
「そ、そうなんだけど…希美、忙しそうで…」
「そんなの関係ないよ。そ、相談してくれないなんて…」
顔を強張らせた希美の瞳から涙が潤んでくるのを見て、沙由琉は慌てた。
「な、泣くことないじゃない。相談しなかったのは、希美のこと親友と思ってないからじゃなくてね…」
「親友なら、一番に相談するよっ。そうでしょ?」
希美の目から涙が一粒二粒と零れ始めた。
沙由琉はため息をついた。
「あの、先輩?」
後輩のひとりがきっぱりとした声で話しかけてきた。
沙由琉は仕方なく希美から後輩に視線を移した。
「何?」
「新城さんって、…どなたなんですか?」
「え?えっと、彼は…その…」
「沙由琉の彼氏よ。もちろん」
当然という顔で、希美が宣言した。
「え゛ーっ!!!」
後輩全員が大声をあげた。
歩道の真ん中、通りすがる人がほとんど全員、彼女達に振り向いた。
「か、か、彼氏なんて、い、いったいいつから?」
「去年から付き合ってるよ。なんだ、みんな、知らなかったの?」
沙由琉の代わりに、希美がきびきびと受け答えする。
すでに涙は止まっている。
希美の言葉に、後輩全員がブルブルと、激し過ぎるほど首を振った。
「そっか、新城君、他校だからね。沙由琉も取り立ててそういうこと言わないし…まあ、知らなくて当然だったかな」
希美がおおらかに笑った。
沙由琉も照れを浮べて微笑み、けれどいまの状況を思い出して顔を暗くした。
「でもさ、沙由琉、いまその彼氏と仲たがいしてるのよ」
「仲たがいー」
また声を合わせてそう言った後輩達の顔は、なぜか嬉しげで、沙由琉は戸惑った。
「そうなの。なんとか仲直りさせてあげたいんだけど…ねぇ、沙由琉いったいなにがあったのよ。原因は?」
沙由琉は後輩たちの視線を避け、希美に向けて顔をしかめた。
そんなことをこんな大勢の前で話せるわけがない。
微妙な部分への配慮に欠ける希美に、沙由琉は肩を落とした。
「こんなとこで言えないわ」
「どうして?大勢で仲直りの方法考えれば、いい知恵が浮かぶかもしんないよ」
そういうことではないだろう…
「とにかく…」
「沙由琉!」
沙由琉は後方から飛んできた恋しい声に、カチンと固まった。
ギコギコと首を回して振り向くと、いつもと同じ、ひょうひょうとした表情の新城が、まるで当たり前のような様子でそこにいた。
「偶然だな、こんなところで逢うなんて。でも良かった。話がしたかったんだ…」
信じられないほど素直な口調だった。
違和感を感じた。…いつもの新城ではない。
沙由琉は、突然の新城の登場に、頭の片隅でそう感じるものの、パニックに襲われて通常の思考が望めなかった。
「一緒に帰ろう?いいだろ?」
新城はそう口にしながら、すでに沙由琉の腕をとっていて、彼女を自分の方へと引き寄せた。
後輩たちが、ぽかんとしている中、希美だけがほっとした笑みを浮かべて手を振った。
「沙由琉。ちゃんと仲直りするのよぉ」
新城は、沙由琉の腕を掴んだまま、かなり速いペースで歩き、ふたりは沙由琉が乗る駅へと向かった
話がしたいと言っていた新城なのに、結局、駅に着くまで彼は口を開かず、唯一口にしたのは、駅に着いて改札口を抜ける沙由琉に向かっての「それじゃ」という言葉だけだった。
電車の中で身体を揺られながら、沙由琉はひどく落ち込んだ。
せっかく新城と偶然に会い、数分間だけだが一緒に歩いたというのに…
沈黙の間、沙由琉は自分から何か言おうと何度も思ったのだ。けれど、この間の電話での二の舞になりそうで、一言も口に出来なかった。
…これは、仲直りしたことになるのだろうか?
沙由琉の携帯が小さな音でメールの着信を告げた。
きっと、希美だろうと思ってメールを開いた沙由琉は、送信者の名が新城であることを知って驚いた。
『悪かった』
メールの言葉は、たったこれだけだった。
悪かったとは、何を指しての言葉なのだろう?
お正月の時のことだろうか、それとも…電話での、ちゃらちゃら発言のことだろうか?
きっと両方なのだろう。
『わたしこそ、ごめんなさい』
沙由琉は考えた末に、そうメールの返事を送った。
なんとなくほっとし、なんとも掴み切れない新城について考えた。
新城はおしゃべりではないが、けして寡黙ではないし、口下手でもない。
伝えたい言葉は、彼独自の適切な言葉を使って…きちんと伝えてくるひとなのだ。
シニカルな性格の、新城のへその曲がったような発言は彼の持ち味だと言えるし、それは面白さを感じるもので、ひとを傷つけるようなものではない。
彼から染み出してくる人柄は、かなり紳士的なものなのだ。
そんな彼が、沙由琉に対して、どうしてあんな言葉を繰り返し使ったのだろうか?
またメールが届いた。
『今度の土曜日、十時、いつもの本屋』
理解出来ない…
いや、このメールの意味は分かるのだ。いつもの本屋で会おうということなのだ。
理解出来ないのは、新城自身だ。
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