シンデレラになれなくて


その16 遠すぎる存在



「早瀬さん」

その声に、愛美は我に返った。

まず、ベンチに座っている自分を意識し、愛美は声を掛けて来た相手を見上げた。

「もしかして、座ったままうたた寝していたんですか?」

おかしそうに保志宮が言った。

うたた寝…?

愛美はパチパチと瞬きした。

夢…だったのだろうか?

愛美は目の前の道路に視線を向けた。何も変わりない普通の景色…

停まった黒塗りの車…降り立った男性…

夢の中の男性の顔を思い浮かべて、愛美はもう一度瞬きした。

長めの黒髪に黒っぽいスーツ姿…住む次元の違いを否応無く感じさせる物腰…
強烈な魅力…そして青い瞳…

彼女は右手を上げて額に触れようとして、自分が何かを掴んでいるのに気づき、上げる手を変えた。

目の前に、可愛らしい花束が差し出された。

「えっ?」

額を押さえながら、愛美は驚いて叫んだ。

「これ…?」

「思ったより、お客が多くて、ラッピングしてもらうのに、時間が掛かってしまいました」

「これ…私に?」

思ってもいなかった愛美はひどく驚き、花束を見つめて目を見張った。
心臓がドキドキと鼓動を速めた。

「もちろんです。貴方に受け取っていただかないと、この花が悲しみますよ。私も…」

「このために、ここに?…用事とおっしゃってたのは…」

保志宮が、やさしい笑み浮かべた。

「花をプレゼントしたかったんです。初めてのデートの記念に…」

愛美はなんと答えて良いのか分からなかった。

胸に、ひどい罪悪感が湧き上がっていた。
ベンチにいて、彼を待つ間、愛美は彼でないひとと…

でも…あれは夢…?それとも現実…?

愛美はぎゅっと両手を握り締め、自分が掴んでいるものに気づいた。
夢でないと告げる…携帯…





携帯が保志宮の目に触れないように気をつけながら、愛美は小さなバッグに携帯を収めた。

ひどく気が咎めていた。

「どうしたんですか?」

その問いかけに愛美は、どきりとして顔をあげた。

「何かを…気にしてますね。それもひどく」

愛美は、ずばりと言い当てられて冷や汗が出た。
もしかすると、携帯をみられたのだろうか?

そう考えた愛美は、携帯を見られたとしても、保志宮が不審に思うはずが無いのだと気づいた。

携帯など誰でも持っている。

「蘭子さんから、貴方のお名前は、まな、とお聞きしていたのですが…本当のところは…違うようですね」

「あ…す、すみません」

愛美は驚き、焦って深く頭を下げた。

「そうですか」

蘭子の顔が思い浮かび、愛美はすべてを話すことが出来ずに、また「すみません」と繰り返した。

「つまりは…」

保志宮はそこまで言っていったん言葉を切った。

大きなカーブに差し掛かったのだ。
彼はハンドルを切り、車は大きくカーブを曲がった。

「私はまだ、信用されていないということですね」

とてもやわらかな声だった。

愛美は、問いかけるように彼を見つめ返した。
彼は愛美に、腹立ちを感じているのだと思っていたのに…

「あの、怒ってらっしゃったんじゃ…ないんですか?」

「どうしてですか?」

「だって…名前を偽ってたから…」

「気になさっていたんですか?怒ってなどいませんよ」

「ほんとに?」

保志宮が笑みを見せて頷いた。

「蘭子さんの指示なのでしょう?彼女のやりそうなことです。でも…彼女は、そうすることで、貴方ともうひとりのお友達を守ろうとしてるんでしょう」

「守る?」

「パーティーの時、貴方に対して、とても多くの男が関心を示してましたからね。私もそのひとりなわけだが…」

保志宮が前方を見つめたまま軽く苦笑した。
愛美は、話しの内容に戸惑って俯いた。

車が次の赤信号で停まると、保志宮が愛美に振り向いた。

「パーティーの前に、蘭子さんから電話をいただいたんですよ。素敵な友達をふたり連れてゆくからって…謎めいた電話をね」

それが、蘭子の言っていた、講じた手段というやつなのだろうか…

「たぶん、私だけではないでしょうね。その内容の電話をもらったのは…」

愛美は顔を上げて、仕方なく相槌を打った。

「桂さんの今日のお相手だった蔵元君も…彼は私の大学の後輩なんですが…彼も電話をもらったのでしょうし…」

信号が青になり、また車は走り出した。

「もちろん、その電話をもらっていたから、貴方とお会いしたいと蘭子さんにお願いしたわけではないですよ」

保志宮は愛美にチラと顔を向けて、いくぶん取り成すようにそう言うと、また話し続けた。

「貴方の、『早瀬まな』という名は、蘭子さんの光栄なお墨付きをいただいた者以外の、パーティーの参加者にも伝わっています。中にはろくでもないのがいるんですよ。本名を知られると、困ったことになったかもしれない」

「そんなものなんですか?」

愛美はそう言ったが、正直、あまり現実味のない言葉だった。

「ええ。金を持ち悪意を持つ者は、とんでもない手段に出るときがある。だから素性は知られないほうがいい」

「でも、そんなの無理じゃありませんか?蘭ちゃん…蘭子さんだって…」

「蘭子さんには、藤堂家という強固な後ろ盾があります。彼女に危害を加えて、ただで済むはずが無い。けれど、たぶん貴方は…」

保志宮は気を使ってだろう、すでにあからさまな言葉を、あえて口にしなかった。

「そうですね。貴方のおっしゃる意味、わかりました」

保志宮が小さく頷いた。

藤堂家の近くまで来ていた。
見慣れた景色を見ながら、愛美はほっとした。

「今後、パーティーに参加なさるときも、早瀬まなで通された方がいい。その方が私も安心です」

愛美はゆるく首を振った。

「ご心配はいりません。わたしがああいう場所へ行くことはもうないですから…」

保志宮は、少しの間黙り込んだ。

「私とも?」

深い意味を含んだ言葉だった。

「はい」

愛美は彼の横顔を見つめ、はっきりと口にした。

彼とはこれきりだ。
保志宮は、愛美とは不釣合いな相手だ…

そう考えたとき、愛美の脳裏に、不破優誠の顔がまざまざと蘇った。

彼は…

胸に哀しみが込み上げた。

彼は…保志宮よりもまだ遠い人だ…




   
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