シンデレラになれなくて


その48 等価交換



愛美が混乱から立ち直るのには、しばらく掛かった。

彼女は、不破の『可愛すぎる』発言を、頭から消し去った。

世の中には、受け入れられる言葉と、受け入れられない言葉が存在しているようだった。

先ほどの不破の発言を受け入れる心は、少なくとも、いまの愛美にはない。

車はすでに街中から出て、自然の風景の中をひた走っていた。

土曜日ということもあって、そんなに道は空いていないが混んでもいない。

黄金色の稲穂と、青空。遠くの緑の山々。

愛美の心は自由を感じ、実際の距離など顧みず、山の頂まで到達し戻ってきた。

その感覚はとてもリアルで、愛美はその余韻にしばし浸った。

彼女は不破にそっと振り向いた。

この五分ほど、不破は運転に集中しているのか、黙ったままだ。

気難しい顔で前を見据えている不破は、運転に集中しているというのではなく、何か一心に考え込んでいるようだった。

その表情は険しく、ひどく近寄りがたい雰囲気があった。

声を掛けられずにいた愛美に、不破の方が気づいた。

「まなさん?」

「あ、はい」

「どうかしましたか?」

「いえ、何も…」

「そうですか?」

不破は彼女の返事に納得していないようだった。

このまま会話を流してしまっては、ふたりの間に、小さなしこりが残るような気がして、愛美は正直に言う事にした。

「優誠さんが、厳しい顔をして考え込んでらしたから…なんとなく近寄りがたく感じてしまって…それだけなんです」

「ああ。そうでしたか。すみません」

「何か…あったんですか?」

聞いてもいいものか迷いつつ、愛美は尋ねた。

不破はしばらく考え込み、ちらりと愛美を見つめてきた。

「両親に、逢ってくださいませんか?」

突拍子過ぎて、意味を理解するのにしばらくかかった。

実際、不破はいつでも、愛美には想像のつかない、突拍子もないことを言い出すのだ。

「貴方を両親に紹介したいんです」

返事をしない愛美に不破が重ねて言った。

不破の両親に逢う?

…誰が?

愛美の頭は、事態に順応出来ずに、真っ白になっていった。

「なるべく早いうちに…」

「約束しましたよ…」

不破の言葉のいくつかが、彼女の頭の片隅を通り過ぎてゆく…

「…まなさん」

「あ…えっと…はい…」

愛美はぽかんと開けていた口を、慌てて閉じた。
いま、自分はなんと口にしたのだ?

それより、不破はなんと言ったのだったろう?

頭の中で、クエスチョンマークが無駄に飛び交っている。

視線を感じて愛美は顔をあげた。

不破の嬉しげな笑顔があった。

何か間違いを犯した…

愛美の背筋に奇妙な寒気が走った。

「あの、優誠さん」

勝機を見出したような晴れ晴れとした顔の不破は、愛美の懇願の表情に対して、無情に首を振った。

「約束は約束です。いまさら反故にはしませんよ。さあ、まなさん、着きましたよ」

「や、約束って?」

愛美は不破の腕に縋って問い詰めた。

「けっこう人が多いんですね」

不破は完全に、これに関しての愛美の言葉を無視するつもりのようだ。

彼女は車から降りようとする不破の袖を必死で掴み、放さなかった。

「お逢いできません。無理です。無理なんです」

不破は愛美の顔をじっと見つめてきた。

愛美は唇を噛み、潤んだ瞳を揺らし、不破を一途に見返した。

不破が仕方なさそうに頷いた。

「わかりました。今の取り決めは、いったん保留ということにしましょう」

彼の寛大な言葉に、愛美は涙が出そうなほどほっとした。

「その代わり…歩み寄った代償をいただきますが、よろしいですか?」

さも当然のように言った不破に、彼女は再び落ち着きを失くした。

「だ、代償?…って?」

「これから考えます。まなさん、行きましょう。これだけの人だかりの中に、私たちふたりの場所を手に入れるのは大変そうだ」

愛美はもちろん、代償と言う言葉がひどく気になっていた。

だが、上着とバスケットを持ち、愛美が降りるのを待っている不破を見て、自分も車を降りた。

「あの、代償って?」

車が整然と並んでいる駐車場から、公園の立派な門のある入り口へと向かいながら、愛美は質問を繰り返した。

「等価交換です」

不破はあっさりと言い、入場券を買う列の最後尾に並んだ。

「等価…交換?」

物珍しげに人の列を眺めていた不破は、バスケットを持ち替えて愛美に向いた。

「貴方が私の両親に逢う期日を無期限になさるつもりなら、代償は大きくなる」

不破は噛んで含めるように言った。

彼は、この会話をどことなく楽しんでいるようにも感じられた。
そのことに、愛美は根拠のない救いを見出そうとした。

売り場の係員の手際が良いのか、ふたりがこんな会話を続けている間にも、列はどんどん前に進んで行く。

「けれど、期限を決めていただけるのなら、その期日によって代償は小さなものになる」

「えっと、あの」

「どうなさいます? まなさん。どのくらいの代償を望まれますか?」

「ですから…」

「ご希望に沿いますよ」

不破は財布を取り出して入場券を買った。

入場券と一緒にもらったパンフレットを、不破は愛美に手渡し、不破は愛美を先にゲートをくぐらせた。

森林公園というわりには、遊園地のようなところだった。

遠くにカラフルな観覧車の丸い輪も見えたし、入り口の周辺にはファーストフードの店が並び遊具がいたるところにあった。

長すぎる滑り台が愛美の目を引いた。

土地の起伏を効果的にいかした滑り台からは、次々と子どもたちが滑り降りてくる。

ここの滑り台は、子どもには十分なスリルを味合わせてくれるほどのスピードが出るようだった。

「森林公園って…」

「森と林ばかりだと思ってた…」

不破が、愛美の気持ちを先取りして言った。

愛美は思わず吹き出した。

「はい。なのにここは、まるで遊園地みたいです」

愛美は、いつの間にか不破と手を繋いで歩いていた。

キョロキョロと公園内を眺め回しているうちに、繋いだらしかったが、あまりに自然で、不破がいつ愛美の手を取ったのか、彼女はまるで気づけなかった。

不破とこうして歩いていると、ふたりが一緒にいるのは当たり前のことのように思えるのに…

愛美は大きく息を吐き、仕切りなおして不破に顔を向けた。

「さっきの言葉…冗談ですよね」

満ち足りた表情で歩いていた不破は、愛美を見下ろしてきた。

「いえ、まなさん。神に誓って、私は本気ですよ」

静かにそう言った不破の瞳に、揺らぎは無かった。

「貴方が二の足を踏む気持ちは…わからなくもない。だが、最終的に、貴方は私の両親と逢うことになる」

「無理です」

「だが不可能ではない」

強い口調でそう言った不破の瞳は、愛美がこれまで見たことも無いほど鋭い光を放っていた。

容赦のない眼差し…

追い詰められた獣が反撃を決意した時の目は、いまの不破と同じ瞳をしているのではないだろうか?

けれど愛美は、不破を追い詰めてはいない。
ならば、いったい何が彼を追い詰めているというのだろう?

愛美はここに向かう途中で見た、不破の考え込んだ横顔を思い出した。

「何か…あったんですか?」

二度目になる愛美の同じ問いに不破は答えず、代わりに小さく笑った。

「優誠さん?」

彼が笑いで誤魔化そうとしているように思えて、愛美は眉をしかめて再び問い掛けた。

「確固たるものにしたい…それだけです」

不破は愛美の手を取ると、公園の奥へと歩いて行った。





   
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