シンデレラになれなくて


その5 無敵のプリン



「百代はピンクよ。黒なんか駄目に決まってるじゃない。似合いはしないわよ」

学園の食堂で、蘭子は片手に持ったスプーンを振り回しながら、百代の頼みをこき下ろした。

「だって…」

百代が不満げに呟くのを、蘭子は手で制し、愛美に勢い良く振り向いた。

「愛美、あなた、この百代に、黒いドレスが似合うと思う?」

その声はプリンに熱中していた愛美の耳には入らなかった。

目の前のテーブルを、愛美に無視されて苛立った蘭子がバシンと叩き、彼女は飛び上がった。

「な、何?」

「この百代に、ピンクと黒とどっちが似合うかと聞いてるのよ!」

鼓膜がビーンと震える怒鳴り声に、頭がくらくらした。

周りにはランチを食べている学生が大勢いるが、こんな調子の蘭子に慣れている彼らの誰も、こちらに注意を向けたりしなかった。

愛美は仕方なく百代に目を向けた。
くるくる愛らしい目をして、愛らしい唇をした百代から浮かぶイメージの色は…

「ピンクの方が似合うと思うけど…」

「ほーら、ごらんなさい」

鬼の首を取ったように、蘭子の声が張りあがった。

「黒は誰が着ても大人びてみえると思うかもしれないけど、実はそうじゃないのよ。おこちゃまが着ると、物凄ーく、ダサくみえる色なの」

「おこちゃま? この私のどこが!」

珍しく百代が怒った顔をした。

「まあ、聞きなさいよ。だけど、ピンクだとあんたは色っぽくみえるの。ドンピシャリだから」

「なによそれ!」

百代がぷりぷりしながら言った。

「いいから。今回は私の言う通りにしたほうがいいわ。でないと、誰一人声なんか掛けてこないわよ」

蘭子はそう言うと、話しは終わったとばかりに、目の前のプリンのカップを手に取った。

蘭子の差し入れで、百代も愛美もプリンのカップを手に持っている。

百代は声に出さずにぶつぶつ何か呟きながら、プリンをすくい、がぶりと頬張った。

このプリンは、ただのプリンではなく、華の樹堂の超贅沢プリンなのだ。

とはいっても、愛美はこのプリンの値段を知らない。

値段を聞いたりしたら、恐れ多くて、素直に味わえなくなりそうで、尋ねようという気にはなれなかった。

蘭子はわざわざ小さなクーラーボックスに入れて、このプリンを学校に持ってきたのだ。

なぜ蘭子が今日という日に、このプリンを持参してきたかという理由に、愛美はもちろん気づいていた。

このプリンが、愛美の理性をちょっぴり狂わせることを、蘭子が知っているからだ。

蘭子は、愛美の鼻先にこのプリンをぶら下げれば、簡単にパーティー参加を承諾させられると、たかを括っている。

だが、哀しいことに、その考えは当たっている…

愛美はため息をつきながら、プリンをすくってゆっくりと口に運んだ。

口中に、広がるしあわせ…

「愛美ってば」

百代の笑い声が聞こえた。

愛美は閉じていた目を開けて、気まずく目の前のふたりをみつめた。

蘭子は、得々とした笑みを浮かべている。

その癇に障る笑みに反抗したくなったものの、蘭子からもうひとつプリンを差し出され、愛美は条件反射で笑みを浮かべた。

プリンごときで…とは思うが…まあ、つまりは、パーティーに行くだけのことだ…

たかがそれだけのこと…

美味しいご馳走ももちろんでるというし、百代の方は、ドレスの色で文句を言っているだけで、パーティーそのものは楽しみにしているらしい。

「でも、百ちゃん、なんで黒がいいの?」

愛美の問いに、百代は「私の色だからよ」と、さも当然のように答えた。

「百ちゃんの、色?」

「力が湧くのよ。できればこの制服も黒にして欲しいくらい。そうすれば、もっとグレートに力が使えるのに…」

「ち、力?」

意味が分からなかった。

百代の突飛な言葉に慣れている蘭子は、注意も向けずにプリンを食べ続けている。

「ひとはあまり色を重視しないけど、色って馬鹿にできないのよ。蘭子は赤。愛美は白がベストカラーね」

百代の瞳が妖しく光ったような気がして、愛美はぞわりとし、思わず後ろに身を引いた。

「そ、そんなものなの」

百代は肯定して頷き、クーラーボックスに手を突っ込むと、蘭子に断りも言わず、二個目のプリンを取り出した。

あまりはっきりさせたくなかったが、百代はなんらかの、ありえない能力を持っているようだった。

百代は、テストの問題を予測するのが信じられないほど得意なのだ。
ヤマカンなんて生易しいものじゃないほどに…

そのヤマカンのおかげで、蘭子は赤点を免れていると言っても過言ではなかった。

「あら、貴方がた、また女三人で遊園地にゆくご相談でもなさってるの?」

愛美の目の前に座っている蘭子の顔が、その高飛車な声に反応して、一瞬にして険悪なものになった。

「あなたには関係ないわ。話しかけてこないで頂戴」

蘭子の尖った声に、静穂が余裕の笑みを浮かべた。

「あら。ずいぶんと、ご機嫌がよろしくございませんのね。まあ、そうね。心が満たされていない女性って…可哀想」

愛美は、ハラハラしながら蘭子を見つめた。

「なんとでもいいなさいよ」

驚いたことに、ずいぶんと落ち着いた発言だった。

百代すら驚いたらしく、目を丸くして蘭子を見つめている。

「最後に勝つのはどちらか…まあ、楽しみに待っていることね」

どうやら、今度のパーティーで、蘭子は自分が…いや、愛美も百代までも勝利を掴むと思い込んでいるらしい。

愛美は先を危ぶんで、胃が痛くなってきた。

蘭子の余裕発言に、動揺させられたのか、静穂はすぐに退散していった。

「参加者の名簿を調べたんだけど…ずいぶん手ごたえがありそうなのよ。独身の男性がとても多いの」

手ごたえ?

「でも、女性も多いんでしょう?」

「それがね、そんなに多くはないの。これは内密な話しなんだけどね」

そう言って蘭子が語るには、今回のパーティーは蘭子の姉橙子のためのものなのだという。

藤堂家が定めるところの適齢期になった橙子に、多くの殿方を逢わせるのが目的らしい。

「でもね、そんなことしても無駄なのよ」

「どうして?」

百代が聞いた。

「姉様にはすでに意中の方がいらっしゃるの」

「何だ。それなら話は早いじゃない」

「それが、なかなかなのよ…」

「何か問題があるの?」

「姉様よりかなり年上の方だし、姉様のこと、子どものように思ってるんじゃないかと思うのよ」

「橙子さんがこども? あんなに艶があって女らしい女性なのに」

「年上の男性からみると、また違うんでしょう。子どもの頃から知っている仲だものだから、同等の女としてみてくれないようなの…」

「橙子さんのような方でも、恋は大変なのね」

「彼の姉様を見る目を変えさせればいいだけだと思うのよ。だからね、今回のパーティーで、彼が姉様を女性として意識せざるを得ないような雰囲気を演出してやろうと…」

「企んでるってわけね」

百代が力強くうんうんと頷きながら口を挟んだ。蘭子の目が尖った。

「思ってるのよ!」

蘭子は百代の言葉を強く訂正してから、彼女を睨んだ。

「それにしても、どんな方なの?」

百代は蘭子の睨みを平然と受けて、問いかけた。

蘭子は唇をきゅっと尖らせただけで、その問いに素直に答えた。

「ひと目見れば姉様が恋い慕う気持ちを納得するわよ。ルックスの良さはぴか一。それにすっごい頭が切れるの。おまけに…」

蘭子はなぜか声を潜めた。

「おまけに?」

「他を圧する家柄の御曹司。信じられないくらい大勢の良家の子女が、彼を狙ってるわ。でも、彼は最後には姉様を選ぶわよ。橙子姉様より抜きん出る女性など、この世にいないもの」

蘭子は姉の橙子を崇拝している。姉が自慢でならないのだ。
それに、蘭子の発言は、なにも大げさではない。

愛美も、橙子ほど美しく清楚な女性を見たことがない。
おまけに、音大に通っている彼女のピアノの演奏は、プロ顔負けの見事さなのだ。

「それって、いったい誰なの?名前を教えて」

百代が興味津々で尋ねた。

「姉様の手前、それは言えないわ」

「でも、パーティーに行けば、そのすごい御曹司とやらに逢えるのでしょ?」

百代は俄然その男性に興味が湧いたらしい。

ふたりの会話を聞きつつも、プリンのカップの中身の方によほど興味がある愛美は、少なくなった中身を見つめてため息をついた。

「彼のことは姉に任せておけばいいの。私たちは私たちの彼獲得に向けて、がんばるのよ。いいこと?」

会話のほとんどを愛美は頭に入れていなかった。
蘭子の語ることは、愛美の世界とは無関係な話ばかりだ。

愛美がボロアパートに住む一介の女子高生だと分かってしまえば、パーティーに参加する男性の誰ひとり、見向きはしないだろう。

だが…そのおかげで彼女はこのプリンを味わえたのだ。

愛美は大きく微笑んだ。

「ねぇ、蘭ちゃん」

愛美はすでに空になったカップを片手に、キラキラ輝く目で蘭子に呼び掛けた。

「何?」

愛美の笑みに何を見たのか、蘭子の顔がいぶかしくしかめられた。

「そのパーティーに、このプリンって、でる?」

期待を込めた目で蘭子に尋ねた愛美は、途端に額にパンチを食らい、痛さに涙ぐんだ。





   
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