シンデレラになれなくて


その7 別世界への招き



パーティー会場に向かう愛美は、慣れないヒールのせいでよろめきそうになって蘭子の腕をぎゅっと掴んだ。

「大丈夫? ちょっとヒールが高すぎた?」

「だから言ったのに…」

鏡の前に座らされてすぐ眼鏡を取り上げられ、支度が終わっても蘭子は返してくれなかった。

ぼおっとかすんだ世界にいては、不安でしょうがない。

「ね、眼鏡はどこなの。お願いだから返して」

愛美は、必死で焦点を合わせながら、蘭子に懇願した。

「そんなもの、置いてきたわよ」

切って捨てるような言葉に、愛美は唖然として蘭子を見つめた。

「そ、そんな…」

彼女は半泣きになった。

「持っていくって言ったじゃないの。どうしてもっていうなら、返してくれるって…」

「いいからいいから、そのまんまが素敵だって。自信を持ちなさい。私の次くらいには、きれいよ」

愛美はどっと疲れを感じた。

「それ聞いて、わたし、喜ぶべきなの?」

「もちろんよ」

当然というように蘭子は言った。愛美の疲れは二倍に膨れ上がった。

「百代はどこ?」

「えっ」

一瞬沈黙が広がった。

百代は彼女のすぐうしろについてきていたはずだったのだが…

愛美は周囲に視線を走らせて、すぐに諦めた。
いまの視界で、何を探そうとしても無駄だ。

「あっ、いたわ」

「どこに?」

「ずーっと後ろ。まったくもう。やたらきょろきょろして…」

蘭子はイライラと足を踏み鳴らした。

「まるで、おのぼりさんみたいじゃないの。すぐに止めさせなきゃ」

彼女が止める間もなく、蘭子はあっという間に愛美から離れて行った。

川の流れに引っかかったゴミみたいに、ぽつんと捨て置かれて心細いったらなかった。

人波みにもまれながらしばらくの間は、そのまま佇んでいたが、自分がどんなに流れの邪魔になっているかは分かる。

彼女は人にぶつかって無様に転ぶことのないように、用心しいしい一歩一歩、壁の方へと寄って行った。

壁を目前にした彼女の肩に、人の肩が当たり、その衝撃はたいしたことはなかったのだが、不安定なヒールのせいで、愛美は思ったより大きくよろめいた。

愛美は咄嗟に壁の方向に手を伸ばした。

だが、手のひらに触れたのは固い壁ではなかった。
どうやら、人の身体に触れたらしい。

驚いた彼女は急いで手を引き、そのせいで大きく前に倒れこんだ。

ドンという衝撃とともに、愛美は目の前の人にぶつかった。
相手はさっと両腕を広げ、愛美の身体を支えてくれた。

おかげで、床にひっくり返るという災難からは免れた。

「ご、ごめんなさい」

おずおずと見上げてゆく間に、彼女がぶつかったのは、ディナースーツを着ている男性だと分かった。

愛美は血の気が失せて青ざめ、相手の首から上に視線を向ける勇気などなく、視線をユーターンさせて俯いた。

…別世界の人だ。

「いえ…」

相手は短い言葉を発しただけで、それ以上何も言わない。
あまりのばつの悪さに彼女は真っ赤になった。

「不破。お前も来たのか?」

背後から来たらしい男性が、彼女がぶつかった相手に明るく声を掛けた。
壁と間違えた男性は、不破と言う名らしい。

愛美はそーっと後ろを窺った。

同じくディナースーツを着た男性だ。

客たちはカップルが多いようだったが、このふたりのどちらも連れはいないようだった。

「来ないわけにいかなくなってね」

どうやらこの人も嫌々やって来たようだ。
共感のようなものが湧いて、愛美は小首を傾げて微笑んだ。

それにしても、素敵な声だった。愛美はその声だけで好感を持った。
そしてそんな自分の思いを笑った。

相手は愛美に好意など感じていないだろう。迷惑なら感じただろうが…

ハイヒールの高さによろけて、ぶつかってくる女など軽蔑の対象であり、迷惑以外の何ものでもないに違いない。

会話は続いていた。
彼女はその場からそっと遠ざかり、十歩ほど歩いたところで、一度だけ後方に振り返った。

ここからだと、二人の男性は影法師程度にしか分からない。

蘭子と百代が彼女を見つけて戻ってきてくれるまで、この場にいるしか彼女に出来ることはなかった。

愛美は無意識に肩に掛かる一筋の髪に指をからめた。

いつもなら、緊張した時など、おさげの三つ編みを握り締めるとほっとするのだが、これっぽっちの髪ではたいして頼りにならなかった。


パーティーの間、愛美は化粧室にずっと隠れているつもりだった。
ところが蘭子にすぐに見つかり、会場へと連れ戻された。

「もうボーイハントは強制しないわ。気楽に何か食べなさい。今日のシェフはまあまあ腕もいいらしいって評判だから、きっと美味しいわよ。百代のところに連れてってあげるから…」

眼鏡を持ってこなかったことに罪の意識を感じたのか、珍しい蘭子の寛大な言葉に愛美はほっとし、百代のところへと戻った。

パーティーは始っていた。
きらびやかに着飾った参加者たちが、自由に会場内を動き回っている。

どんな場でも緊張知らずな百代は、すでに、テーブルの上の豪勢な料理をぱくついているところだった。

愛美を百代の手に託すと、蘭子は「それじゃあ、また後でね」と踵を返した。

「蘭子、どこに行くの?」

「今夜の目的を達成するに決まってるでしょ?今夜なんとしても男をひとり、モノにするつもりよ」

愛美は呆れて小さく息を吐いた。
それでも蘭子が愛美や百代に対して、無理強いするのを止めてくれたことに感謝していた。

料理は確かにおいしかった。
百代という心強い友のおかげで、初めの緊張も薄れ、愛美は楽しくあちこちのテーブルを回った。





   
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