白銀の風 アーク

第十章

                     
第二話 いよいよ



トシヒコという男性とサエリが語り合っているのを、ジェライドと並んで見つめていたアークは、ジェライドに顔を向けた。

(ジェライド)

ジェライドの頭の中に直接呼びかける。

(なんです?)

目の前のふたりを見つめたまま、ジェライドは返事をする。

(サエリとの約束をたがえることになるが、私は彼女の家族の方々に、ご挨拶をさせていただくことにする)

(アーク様がそうなさりたいのであれば)

(お前はついてくるな。家の外で待て)

(それはできません。ここは未知なる異国、アーク様に危険が及ばないとは…)

(ジェライド、いまさらだ。すでに私は、幾度もこの国にひとりできているんだぞ)

(それは…そうですが…)

(姿を消して、サエリの家に入るべきではない。無礼なことはしたくないのだ)

サエリの家族の気分を害するようなことは、やはりしたくない。

(ですが、サエリ様は…)

アークはまだ意見を口にし続けるジェライドに向けて手のひらを向け、黙らせた。

ジェライドは納得ゆかないようだが、顔をしかめて口を閉じた。

「こ、これは、その…」

困ったようなサエリの言葉を耳にし、アークはサエリと俊彦に目を向けた。

「お世話になった方から、お借りしたんです」

焦ったように説明しているのを聞き、アークは彼女の服装のことを言っているのだと気づいた。

サエリが着ている服は、彼の母が用意した民族衣装だ。

彼の世界の衣服は、この世界の者には、異質に映るのだろう。
アークが、この世界の衣服を、異質な服だと思うように…

「お世話? ああ、ともかく沙絵莉ちゃん、早く上がって。話は後に…」

「は、はい。そうですね」

その会話を耳にしたアークは、トシヒコの視線が自分に向いていないのを確認し、幻から出た。

靴を脱いで家に上がろうとしているサエリに目を向けていたトシヒコが、彼女の背後にいるアークの気配に気づいたか、パッと顔を上げてきた。

トシヒコと目を合わせたアークは、念のため、シールドで身を包んだ。

もちろん、彼の背後にいるジェライドも、攻撃に備えているだろう。

見知らぬ人間が家の中に現れれば、危機を感じて即座に反撃に出てもおかしくはない。

アークが同じ場面に遭遇したなら、相手の攻撃に備えて身構えるだろう。

だが、トシヒコという男性は、目を丸くしてアークを見つめただけだった。そして、驚きいっぱいにサエリに声をかけた。

そんな相手の反応に、アークは肩から力を抜くとともに、違和感を感じた。

こんなにも無防備でいいのか?

危機感がなさすぎるし、危機に対抗しようという意思もまるでないなど…

そんなことを考えていたアークだが、サエリがぎょっとしたように振り返ってきて、気まずくなった。

こうするのがいいと考えてのことだが、結局は、サエリの言いつけに背いているのだ。

「ア、アーク。貴方、す、姿がっ」

予想したサエリの反応。
だが、まずは彼女に詫びるよりも先に、この家の主人であろうトシヒコに挨拶をすべきだろう。

アークは、自分の国で、相手に対してもっとも敬意を示す挨拶をした。

初対面の相手に対する、サエリの国の挨拶の方法を教えてもらっておくべきだったろうが…知らない以上、彼の国の挨拶をするしかない。

右手を胸元に当て、アークはトシヒコに向けて頭を下げた。

「ど、どうし…」

「初めまして。アークと申します」

アークは、簡潔に挨拶するにとどめた。

彼の国で使われる堅苦しい言葉が通じる可能性は薄い。
これまで訪れた異国でも、通じないことは度々あった。

通訳の玉を介している以上、言葉が通じなかった場合、相手にすれば間抜けな挨拶に聞こえてしまいかねない。

「ア、アーク? き、君はその…」

相当に困惑させてしまったようで、トシヒコは目を見開き、サエリとアークに、交互に目を向けてくる。

「いったい…沙絵莉ちゃん?」

「あ、あの。私のこと、た、助けてくれたひとなんです!」

サエリは焦りつつも、アークのことをそんな風に説明してくれた。

本心は、どうして姿を見せたのかと、責めたいところなのだろうが…

「君を助けて? そ、そうなのかい?」

「はい。あの、と、ともかくお母さんに顔を見せたいんで」

気が急いてならない様子でサエリが言い、トシヒコは戸惑いを見せつつも頷いた。

「あ、ああ。だよね。そ、そうだ。それがいい。…それじゃ、君も上がってくれたまえ」

その言葉に、アークはほっと胸をなでおろした。
ともかく屋敷の主の許可をもらえたのだ。

「ありがとうございます。それでは、失礼します」

「ア、アーク、靴、靴脱いで」

段差のある屋敷内にあがらせてもらおうと片足を上げたアークは、サエリの言葉に動きを止め、それから足を下ろした。

「ああ、そうだった。この国では家に入るのに靴を脱がねばならないのだったな」

すでに知っていたことだったのに…

どうやら、自分で思うよりも、彼は緊張してしまっているらしい。

「もしかして君、日本に来てまだ日が浅いのかい?」

トシヒコの言葉にアークは眉を上げた。

「ニホン…」

それは、この国の名だったろうか?

「そ、そうなの。ねっ、アーク」

サエリの言葉に、アークは小さく頷いた。

確かに、この国に訪れるようになって、さほど日は過ぎていない。

「あ、あの、おじ様、そういう話は、後でってことで」

サエリは焦りを見せて言う。

もちろん母のことが気になっているからだ。
早く顔を見せて安心させたいに違いない。

先ほど耳にしていたところによると、サエリの母はいま寝ているらしい。

彼女の母は、すでに一度目にしたことがあるが、面と向かって顔を合わすのはこれが初めてだ。

「アーク」

緊張を感じつつ、アークはサエリの呼びかけに頷き、靴を脱いで屋敷にあがらせてもらった。

「それじゃ」

トシヒコに促され、アークはサエリとともに家の奥へと歩いて行った。

「アーク、どうして?」

並んで歩きながら、サエリは囁くように問いただしてきた。

「この方がいいと思ったのだ。沙絵莉、怒らないでほしい」

心から謝罪の思いを込め、アークは彼女にわびた。

困ったようにため息をついたものの、サエリは頷いてくれ、アークはほっとした。

サエリの家族には、なんとしてもいい印象をもってもらわねばならない。

そして、サエリとの結婚に許しをもらい、さらに彼の国につれてゆくことを告げ、それについても理解してもらわなければならないのだ。

だが、それもサエリの意志が強くなければならないわけで…

そうでなければ、結婚の許しなどもらえないし、彼の国につれてゆくことも叶わない。

いや、いまのサエリは魔力が不安定で暴走しやすい。
そんなサエリを、ひとりおいては帰れないのだ。サエリはどうあっても連れ帰るしかない。

すでにふたりは魔力を融合させてしまった。彼の国では、ふたりは夫婦。
アークにはサエリしかいないし、サエリにもアークしか…

いや、そうではない。
サエリは異国の者、彼の国の法は彼女には通用しない。

サエリが、結婚などできないと言ったら…

アークは口元を強張らせた。

それはつまり、聖なる血筋が絶えるということだ。

大賢者たちが、おとなしく受け入れるはずがない。

ポンテルスが、ジェライドを無理やり送り込んできたのは、絶対にサエリを連れ帰らせるためなのだ。

アークは、サエリに目を向けた。

母のところに向かういまのサエリは、母のことだけが心を占めているようだ。

その母と別れ別れになるとなれば、容易に決断できないだろう。

それでも…サエリはアークを愛してくれている。

それにいまだって、アークは彼女との繋がりを強烈に感じている。

望む未来を手に入れるため、彼は自分にできることをやるしかない。

「沙絵莉ちゃん」

扉を開けたトシヒコが、小声で促してきた。

アークも部屋に入るように身振りで促された。

彼はサエリの後に続くようにして部屋に入らせてもらった。

床は何でできているのか、不思議な感触だった。
そして、床に直接敷かれた寝床。ひどく違和感を感じる。

この屋敷全体、外観もだが内装も、サエリのところとはまるで造りが違う。

寝床に横になっているサエリの母を見て、アークは眉を寄せた。

今更かもしれないが、婦人が休んでいる寝室に、アークまで入れてもらっても良かったのだろうか?

だが、サエリもトシヒコも嫌がっている様子はないし、かまわないということなのだろうが。

サエリが母の枕元に座り込んだ。

寝顔を覗き込むのは失礼にあたると考え、アークはサエリの母の顔が見えない位置、サエリの後ろに座った。

「お母さん」

布団の上に手を触れ、サエリはそっと母に呼びかける。

その様子を、アークは身を強張らせて見守った。

いよいよだ。

両手の拳に力を込めたアークは、ごくりと唾を飲み込んだ。






   
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