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第1話 イブの予定
「では、今日はこれまで」
広い講義室に教授の声が響く。
本日最後の講義が終了し、芹菜はほっと息をついた。
授業の中でノートに書きとめた内容に、最初から目を通して確認する。
授業を終えてすぐにこれをやると、しっかりと憶えられるのだ。
実はこれ、彼女の婚約者である宮島誠志朗に教わった方法なのだ。
確認を終えた芹菜は、自分の隣に座っている山口由香里に目を向けた。
由香里とは、この大学に入学してから親しくなった。
引っ込み思案な性格が災いし、なかなか知り合いができないでいたのだが……そんな芹菜を見るにみかねたのか、由香里から声をかけてきてくれたのだ。
ボーイッシュな女の子で、背も高いから、見た目では性別が判断できず、困ったことを思い出す。
小さく笑ったら、その気配を察したのか由香里がさっとこちらに向いた。
「あ」
視線が合ったことに慌てた芹菜は、急いで手のひらで口を隠す。
「ひとの顔を見て、何を笑ってんのかな、君は?」
冗談だとわかる口調で、咎めてくる。
「ちょっとした思い出し笑いです」
真面目に答えると、由香里の目に愉快そうな色が滲む。
「ふーん。そのちょっとした思い出し笑いがなんなのかを聞かせてもらいたいけど」
「……たいしたことじゃないから」
「芹菜、いまの間は何かな?」
「そっ、それより、終わった?」
芹菜は慌てて話を逸らした。
そんな芹菜を見て、由香里はぷっと小さく噴き出す。
そして「うん」と頷き、今度は満足そうな笑みを浮かべる。
「芹菜の彼氏のおかげで、いい感じに授業についてゆけるよ」
「そう」
そう言ってもらえて、嬉しくなる。
実は、由香里にも誠志朗から教わった方法を教えたのだ。
単純なことだからこそ、続けられるし、効果もあり、助かっている。
「それじゃ、山ちゃん帰る?」
「うん」
由香里は名前で呼ばれるのがあまり好きではないらしい。
それで、初めに自分のことは山ちゃんと呼んでくれと言われたのだ。
高校の友達も、みんなそう呼んでいるとのことだった。
ふたりとも荷物をまとめ、バッグを抱えて講義室を出る。
すでに全員帰ってしまい、講義室は空っぽだった。
「寒くなって来たね」
肩を並べて廊下を進みながら、由香里が言う。そんな彼女の視線は窓の外に向けられている。
キャンパス内に植わっている木々は、葉を落としたものが多く、寒々とした感じだ。
「風があるみたいね」
枝が風に煽られて揺れている。
「もう十二月だからねぇ」
そう言った由香里が、ふと興味深そうな眼差しを芹菜に向けてくる。
「ねぇ、やっぱりクリスマスは、彼氏と過ごすの?」
「う、うん。……たぶん」
口ごもって言ったら、由香里が戸惑った様に「たぶん?」と聞き返してきた。
「まだ、誘われてはいなくて……」
「えーっ、まだ?」
「たっ、たぶん、一緒に過ごすんだと思うんだけど……」
「なんでそんな曖昧?」
「なんでと言われても……」
「彼に聞いてみたらいいんじゃないの?」
「そう、なんだけど……なんとなく」
「なんとなく?」
問い返されて、なんともバツが悪い。
「向こうから言ってきてくれるのを、待っちゃってるっていうか……」
そう言ったら、由香里が呆れたように芹菜を見る。
気まずくて頬が染まる。
もっと積極的に生きた方がいいと思っているし、そうしようとしているのだが……
どうにも、この内向的な性格は強敵だったりする。
それでもずいぶんと改善されたと思うんだけど……真帆さんのおかげで。
「や、山ちゃんはクリスマスをどう過ごすの?」
話の流れを変えてしまおうと、由香里に問いかける。
「わたしはねぇ、クリスマスは高校の時の友達とパーティやる予定。まあ、お昼だけなんだけどね」
「そうなの。楽しみね」
「芹菜は……彼氏は別として、友達や知り合いとクリスマスパーティやったりしないの?」
「予定は幾つか……」
高校の友達にも誘われたし、真帆からも誘われている。
真帆の両親である健吾と由紀子と一緒に過ごすのは今から楽しみだ。誠志朗さんも一緒だし……
「けど、もちろん、クリスマスは空けてあるのよね?」
由香里がわざとらしく聞いてきて、芹菜は頬を赤らめた。
「ほんと、芹菜はからかいがいがあるなぁ」
「山ちゃん」
むっとして叫んだら、由香里はくすくす笑い、「詩歩そっくり」と言う。
詩歩というのは、由香里の高校の時の友達らしい。もうひとり、美都という子とともに、よく由香里の話に登場する。
由香里によれば、詩歩という子は、とても不思議な雰囲気の子らしい。
芹菜と、内向的なところとか、受け答えとかが似ているのだそうだ。
けど、その子は、画家としての才能があり、将来を嘱望されているという。
まだ会ったことはないけれど、由香里が称賛する詩歩という子の描く絵を観てみたいと思う。
それにしても、誠志朗さん、イブは一緒にと思ってくれるんだと思うんだけど……
はっきり言ってもらえないと、どうにも自信がない。
誠志朗は芹菜よりかなり年上で大人の男性だ。
大人としての落ち着きがあり、彼と比べると自分はどうしても未熟な子どものような気がして……
由香里の言うように、誘ってくれるのを待つんじゃなくて、こちらから尋ねてしまえばいいのだ。
でも、イブの日って、誠志朗さんはお仕事なのよね。
この間の日曜日、一緒に過ごしたんだけど……年末で凄く忙しくて毎晩残業になってるって言っていた。
イブの日だって残業の可能性は高い。
わたしと会っている暇なんてないのかも……
だから誘ってくれないんだろう。
とすれば、こちらから尋ねたりしたら……誠志朗を困らせてしまうことになる。
やっぱり、何も言わずにそのままイブをやり過ごそう。
誘えるようであれば、誘ってくれるはずだもの。
両親も、わたしが家族とイブの夜を過ごしたほうが嬉しいに決まっているし……
うん、そうしよう。
心を決め、芹菜はちょっと心が軽くなった。
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