苺パニック


注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。

  
(こちらのお話は、書籍ではP123、23『泣き笑い』の前のお話になります。書籍とは流れが違います)


その10 よくわからない自分



「なんか、一流ホテルみたいだね」

部屋を見回しながらソワソワと落ち着きなく澪が言う。

下僕ゲームを終えたあと、苺は店長さんの車で、澪を連れて鈴木家に顔を出した。

元々夕食は、鈴木家で食べることにしていたからだ。

店長さんも一緒に苺の実家で夕食を食べ、いましがた、おばあちゃんのお屋敷に戻ってきたところ。

澪だけでなく、苺と店長さんも、今夜はおばあちゃんの家に泊まることになった。

「ギャップが凄いね」

くすくす笑いながら澪が言う。

「苺の家と、こことじゃ、月とすっぽんだよ」

「そんなことないよ。ギャップは凄いけど……苺の家はあったかくて素敵だよ。……苺のお母さん、わたしのこと凄く心配してくれてて……ほんと……泣きたいくらい嬉しかったよ」

澪は泣きそうな顔で言うが、とても嬉しそうだ。

「うちのお母さん、澪が思ったより元気そうだって、安心してたよ」

「うん。本当の意味で安心してもらいたいし……なんとか頑張って、イラストレーターの仕事ゲットしないとね」

そんなことをしみじみ語る澪に笑みを浮べながら、苺はあらためて部屋を見回す。

ここに泊めてもらう間の、澪の部屋だ。

高級調度品で、部屋は埋め尽くされている。

いま苺が座っている椅子も、とっても座り心地がいい。まるでお姫様が座ってそうなデザインだ。

ベッドはシングルで、そのぶん部屋は広々としている。

それなりに大きなテーブルも置いてあって、ふたり向かい合わせに話をするのにちょうどいい。

絵を描くのに適しているものをと、羽歌乃おばあちゃんがスタッフさんに命じて用意してくれたようだった。

落ち着いた色の花柄の絨毯が敷き詰められた床には、澪の荷物が置いてある。

「宿題にはびっくりしちゃったね」

澪に顔を戻し、苺は言った。

「うん」

澪は笑顔で頷く。

羽歌乃おばあちゃんは、この部屋を自由に使いなさいと澪に言ったあと、下僕ゲームをやったときの澪の気持ちを、明日までに絵に描くようにという課題を出した。

「すごいひとだね。羽歌乃……おばあちゃん……。ねぇ、わたしもそう呼んでいいかな? 苺、いいと思う?」

「いいに決まってるよ。そう呼んでくれた方が、おばあちゃんは喜ぶと思うよ」

即答すると、澪はほっとしたように頷き、また話し始めた。

「でも、難しいなぁ〜。描くように言われたのは……わたしの気持ちなんだもの」

苺は相槌を打った。

気持ちを絵で表すってのは、なかなか難しいと苺も思う。

「緊張しないで描くといいよ。楽しかったまんまさ」

「そ、そだね。緊張を入れちゃったら、楽しさ消えちゃうよね」

その返事に安心したものの、澪は物言いたそうに苺を見つめてくる。

「どったの?」

問い返すと、なぜか澪はため息をついて俯いてしまった。

「澪?」

「……ううん」

澪は首を緩く横に振り、顔を上げて困ったように笑う。

「苺みたいに描けたらなって……」

「へっ? 苺?」

「苺、すっごい得意だったじゃん。気持ちを絵に表すの……」

「えっと……そっ、そうだったかなぁ〜?」

「そうだよ。先生、絶賛してたじゃん」

絶賛……? そんな覚えはないのだが……?

「それって、なんかの思い違いじゃないかな?」

「そんなことないよ。……苺はいつでも楽しんで描いてたよね」

しみじみと言われて、ちょいと面食らう。

「そりゃあ、描くのが楽しいから……」

「それが凄いんだって」

澪は褒めてくれるが、それは苺の欠点でもあるのだ。おかげで、規定の課題はたいがい落第点をもらった。

規定通りに描こうと思って取りかかるのに、最後には、規定はどこぞへ行ってしまう。

イラストレーターというものは、求められている絵を描くべきなのだ。

勝手にイメージを変えちゃいけない。

わかっちゃいるが、そうできない。

なんともねぇ〜。

「なんかもう、緊張しちゃってさ」

自分について考えていた苺は、澪に顔を戻した。

澪は胸に手を当て、不安な表情をしている。

確かに、今回描く絵は、澪の未来に大きく関わるに違いない。

緊張も当然だろうけど……

「『実力以上を求めちゃいませんよ』って、おばあちゃんも言ってたじゃん」

この部屋を出ていきしな、羽歌乃おばあちゃんが口にした言葉を繰り返す。

「うん……わかってる。背伸びしないよ」

その言葉にほっとし、苺は立ち上がった。

そろそろ、おばあちゃんから許された十分間が過ぎる。

羽歌乃おばあちゃんから、あなたも一緒に部屋を出なさいと言われたが、少しだけとお願いして苺はここに留まったのだ。

そういう風にしないと、何時間でもだらだらおしゃべりして、苺が澪の邪魔をしちゃうってこと、おばあちゃんは見透かしてるんだよね。

初めての場所で澪は心細そうだし……苺としては、ずっと側にいてあげたくなるわけで……

でも、それじゃ駄目なのだ。

心細くても、いまの澪はひとりで頑張らねばならない。

そして苺は、そんな澪を正しく応援してあげなくちゃいけない。

間違っても、邪魔者になっちゃ駄目なのだ。

「そいじゃ、苺、そろそろ行くね。……徹夜とかしちゃ駄目だよ」

「う、うん」

澪は立ち上がった苺を見て、縋る様な目を向けてくる。

「……澪、心細い?」

思わず聞いてしまい、苺は顔をしかめた。

聞いたところで、もう一緒にいてあげられないのに……

けれど澪は、不安を滲ませながらも、きっぱり首を横に振った。

「まあ、心細いよ。けど、大丈夫。これからちょっとだけ描くつもりだけど……徹夜はしないよ」

「そ、そっか……うん。苺、応援してるからね」

「ありがと」

苺は澪の側にゆき、ぎゅっと彼女を抱きしめた。それからポンポンと背中を軽く叩き、最後にドア口で澪に手を振って部屋から出た。

後ろ髪引かれる気分だが、自分が一緒にいることは、澪のためにならないこともわかってる。

閉じたドアと向かい合い、苺は両手をぎゅっと合わせ、澪のために神様に祈りを捧げた。

「……苺」

背後からそっと呼びかけられ、苺はびっくりして振り返った。

いつの間にやら、店長さんがやってきていた。

店長さんは黙って手を差し伸べてくる。

苺がその手を取ると、店長さんは引っ張るようにして歩き出した。

少し離れた部屋のドアを開け、店長さんのあとに続いて中に入る。

「明日も仕事ですし、もう寝ますよ」

物珍しく苺が部屋を見回していると店長さんが言った。

店長さんに目を戻すと、言葉通り部屋の中にデンと据えてあるどでかいベッドに潜り込む。

すでにお風呂にも入り、用意してもらっていた寝間着姿で、寝るのに準備万端だが……

苺もここで寝るのかな?

「あの、店長さん?」

苺の分のスペースを開けて横になっている店長さんを見つつ、苺はベッドにもぐりながら声をかけた。

「なんです?」

「この部屋って、誰の部屋なんですか?」

澪の泊まる部屋と違って、ここはホテルの客室って雰囲気じゃない。

「私の部屋ですよ」

「て、店長さんの?」

「ええ」

ほへーっ。

「店長さんって、幾つも自分の部屋を持ってるんですね?」

「まあ……持っていますね。とは言っても、ここにはそうそう泊まりませんが……」

うおーっ! なんと贅沢な。

いまさらだけど、店長さんって、ずいぶんとお坊ちゃまだよね。

そんな環境で育ったから、そこらにはいない我が侭王様なんだろうけど……

けど店長さんは、それだけのおひとじゃないからな。

それだけじゃない店長さんが、苺は大好きだ。

布団の中にすっぽり包まれ、すぐにほんわか暖かくなる。

暗闇の中、触れてはいないけど、横に寝ている店長さんの気配を感じられる。

耳を澄ませば、息遣いも聞こえて……

「寝ちゃった……ですか?」

そっと呼びかけてみる。

「……いいえ、まだ」

返事があったことに、心が安らぐ。

「あっ、そうだ。苺、店長さんにお願いがあったんでした」

「お願い? なんです?」

「お休みを貰いたいんです」

「お休み?」

「はい。お父さんが温泉に行こうって。来週なんですけど」

「そうですか。……わかりました。それで、ご家族皆さんで行かれるんですか?」

「両親と苺の三人ですよ。真美さんはお腹が大きいんで。……お母さんが、お兄ちゃんたちを水入らずにしてあげるって言ってました」

「いいご家族ですね」

店長さんがしみじみと言う。

「はい」

苺は微笑んで頷いた。

包まれている布団は軽くてほかほかで、すぐに睡魔が取りついてきた。

「今日一日……色々あったけど……楽しかったですね?」

眠気に取り込まれそうになりながら、苺はとぎれとぎれに店長さんに話しかける。

いっぱいありすぎて、そう簡単に思い返せないくらいだ。

すると店長さんが小さく噴き出した。

「店長さん?」

「確かに、今日も色々ありましたね。貴女といると飽きる暇がない」

それって店長さんも楽しかったってことかな?

それなら嬉しいけど……

「澪、まだ描いてるのかなぁ?」

「水木さんのことは、気にしても仕方がありませんよ。あなたもおっしゃったように、塞翁が馬。そういうことでしょう」

そうだ、そうなんだよね。

悪いことが良いことのきっかけになったりする。

またその逆もあるわけで……

苺は、望んでいたイラストレーターの道には進めなかったけど……いまは……

なんだか無性に胸の辺りがもぞもぞしてきていたたまれず、苺は知らぬ間に店長さんに手を伸ばしていた。

腕に少し触れると、驚かせてしまったようで、店長さんがびくりと身を震わせた。

「……苺?」

「あ……なんか……その……」

自分の行動がよくわからず、しどろもどろになっていると、指先を軽く握られた。

あっ……

じんわりとぬくもりが伝わってくる。

……あったかいな。

「……おやすみなさい、苺」

安心させてくれる声だった。

「はい、おやすみ……です」

返事をした苺は、口元に笑みを浮かべて瞼を閉じた。





  
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