苺パニック


注:こちらのお話は、書籍になるにあたって削除されたものです。
  サイト掲載時のものを、改稿してあります。

  書籍になるにあたって、大きく改稿したために、書籍の内容とは異なっています。
  そのことを踏まえた上で、お楽しみいただけたら幸いです。

  
(こちらのお話は、書籍ではP134、25『恋しいぬくもり』の前のお話になります。書籍とは流れが違います)


その1 胸がずくずく



土曜日の仕事を終えて、店長さんに送ってもらい、実家に帰ってきた苺は、すぐさま食卓に着いた。

みんな、苺が戻るのを待ってくれていたらしい。

さっそく夕食をいただくことになったが、なにやら父が浮かない顔をしている。

「お父さん」

呼びかけたら、父は慌てたように顔を上げ、「な、なんだ?」と言う。

「いや……あの、なんかあったの?」

「あ、ああ……」

返事をした父は、なぜかしょんぼりと肩を落とす。

何か話してくれるかと思ったのに、落ち込んだまま食事を再開する。

「ちょっと、お父さんてば。どうしたの?」

「親父?」

健太も気にして呼びかけ、真美さんも心配そうに父を見つめている。

残る母は、どうも父の落ち込みの原因を知っているようだった。

「お母さん。お父さん、何があったの?」

「実はね」

「おい、節子。まだ駄目と決まったわけじゃないぞ」

父がむっとして言う。

「だって、キャンセル待ちなんでしょう? それって無理ってことじゃない」

「わからんだろう?」

「キャンセル待ちって……なんの話?」

「あっ。親父、もしや温泉か?」

「温泉?」

キャンセル待ちって……

「ええっ! まだ予約取れてないの? 行くの来週だよ」

苺は眉をひそめた。

まさか予約が取れていなかったとは……来週の週末に行くことで話が決まり、店長さんからお休みももらったのに……

「実はそうなのよ。いいところはどこも予約がいっぱいだったわけ」

「そうか……この時期、温泉は混むよな」

健太が納得したよう言い、そんなやりとりを聞いていた父の肩はさらに落ちる。

「なんだぁ。残念だね」

ひさしぶりに両親と温泉に行けると、苺も楽しみにしていたのだが……

温泉旅館の料理があれこれ頭に浮かび、残念な気分がいまさらどんどん膨らむ。

旅館の朝食も、風情があって美味しいもんなんだよねぇ。

でも、予約が取れないのでは仕方がない。

「もう少し先に延ばせばいいじゃん。来月……ああ、そっか……二月に入ったら真美さんのベビーがいつ生まれるかわからないもんね。旅行どころじゃないよね」

「ちょっと苺」

潜めた声で母は呼びかけてきて、ちょいちょいと父をさす。

父はずーんと落ち込んでいる。

「あ、ありゃりゃ。……ごめん」

そっか。チャンスは来週だけだったもんだから、父の落ち込みはこんなにも激しいわけかぁ。

「春になってから行こうよ、お父さん。ねっ」

温泉は冬が一番だろうが……春もおつなもんだろう。

「そうだな……」

「親父、温泉もいいけど、初孫の誕生を楽しみにしてほしいな」

「そ、それはもちろん楽しみだとも」

父は健太と、真美さんに向けて強く頷き、それから苺に向いてきた。

「苺」

「うん、なあに?」

「お前、まだ結婚なんてしないよな?」

「はあっ?」

意味がわからない。なんで、ここで突然苺の結婚話になるのだ?

父ときたら、縋るような眼差しを向けてきてるし。

だいたい結婚相手がいないのに……結婚なんて……

あっ! そうかぁ、店長さんかぁ〜。

「まだまだしないよ。お父さん、だから元気出してよ」

温泉と、苺の結婚と、父の元気が、どう関係あるのかわからないが……一応言っておく。

「だがなぁ。藤原君は、どうも読めん。知らない間に、お前を北の国に連れて行ったみたいに、突然、『結婚しました』なんて、爆弾発言をしそうでな」

父の馬鹿馬鹿しい発想に、苺はケラケラ笑った。

「そんなことあるわけないよ」

「北の国に連れていかれたお前が、笑えるのか?」

指摘されて、苺は笑うのをやめた。

そういうことじゃないんだけどなぁ。

「だって、ありえないよ。ねぇ?」

父に呆れて、苺は他の家族に話を振った。母は渋い顔をしている。

「ありえないと言えたらいいんだけど……あの藤原さんだものねぇ」

そんなことを言う母に笑いながら、今度は健太が口を開く。

「あのひとの常識のラインが、かなりズレてるのは確かだな」

母は健太の言葉に「そうそう」と頷いている。

「常識がズレてるってのは、苺も否定できないけどさぁ。結婚はないって」

断言している自分に、どうにも虚しくなる。

みんな、誤解の上に立って話をしている。

苺は店長さんと付き合っちゃいないってのに……

恋人なんかではなく、単なる上司と部下。

たまたま同じマンションで寝泊まりするようになっちゃって、親しくしているだけのこと……

あんなすごいお屋敷に住んでいるひとが、庶民の苺なんかと本気で付き合うわけがないのだよ。

つまり……いつか店長さんは、苺から離れて行っちゃうんだ。

そう考えた苺の胸が、突然、ずくずくっと痛む。

離れて……行っちゃう?

「ちょっと、苺。今度はあんたが落ち込んでんの? どうしたのよ?」

頭を軽く小突かれ、苺は唇を突き出して母を睨んだ。

「ベ、別に……落ち込んでなんかいないよ」

「落ち込んでたじゃないの、ねぇ?」

母は、みんなに同意を求める。

「苺はやさしいなぁ」

涙声で父が言った。顔を向けると、涙目で苺を見つめている。

「温泉……行きたかったな。苺」

どうやら父は、苺の落ち込みは、自分と同じで温泉にいけないせいだと思ったらしい。

ここで否定するのもおとなげないと、苺は素直に頷いておいた。





  
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