苺パニック

藍原要編

こちらは、文庫版「苺パニック」刊行記念 特別番外編
藍原要視点の、『望む君主を』の続きのお話になります。




第2話 わけもなく



早朝、明らんできた部屋の中、要は目覚めた。

天井を見上げ、思わずにやりと笑ってしまう。

今日から新しい仕事が始まる。

本当に、ひさしぶりにワクワクする。

新しい主となる藤原爽。

要よりも年下ではあるが、得体の知れないところがあり、彼と絡めるこれからが楽しみでならない。

要は上半身を起こし、枕元に几帳面に積まれたファイルに目をやった。

これは、要が立案した事業をまとめたものだ。

今日、持っていくつもりでいる。

爽は様々な事業を手掛けているようだし、これらの新事業にも興味を抱くはず。

今日は初日ではあるが、新事業の案をいくつか提案してみようと考えている。

それに対して、あの男がどんな反応、また対応をするのか、それが楽しみだ。

布団から出た要は、浴衣の乱れをさっと直し、布団を畳んで押し入れにしまった。

ゆっくりと朝食をいただき、身支度を終えて家を出ることにする。

スーツを着ると、やはりそれだけで気が引き締まるな。

そんなことを思いつつ、玄関を出る。

車に乗り込み、向かうは藤原の屋敷だ。

予定した時間に屋敷に到着し、スタッフの使用する裏玄関に向かう。

出迎えてくれたのは、この屋敷の執事頭である吉田善一だった。会うのはこれで二度目だ。

「藍原さん、おはようございます」

ひとの良さそうな笑みを浮かべて挨拶をもらい、要もつられて笑みを浮かべてしまう。

この吉田は、要に、藤原爽の片腕にならないかと、声をかけてくれた男だ。

要が藤原爽と会い、正式に契約を交わしたことを、口に出さずとも喜んでいるのに違いない。

「おはようございます」

「さあ、お入りください」

吉田に促され屋敷の中に入ると、吉田はそのまま要を連れて歩き出す。

「まずは、貴方の部屋にご案内しましよう」

うん?

「あの、吉田さん、私の部屋とは?」

「ああ。ここのスタッフには、それぞれ私室が与えられるのですよ」

「そうなんですか」

「ええ、屋敷に泊まっていただいたほうがいいときもありますから。もちろん、ここに住み込んでいただいても構いませんよ」

そんなつもりはないが……まあ、部屋が与えられるというのなら……

吉田についていくと、屋敷と繋がった離れへと入って行った。

どうやらこちらの棟は、スタッフ専用のようだ。

豪奢な造りではないが、安っぽくもない。

屋敷同様に居心地のよい建屋になっている。

「爽様から、藍原さんには、こちらの部屋を使っていただくようにと。さあ、どうぞ」

吉田は大きくドアを開き、要に中に入るよう促してきた。

要は軽く頭を下げ、部屋に入らせてもらう。

「ほお」

思わず感心した声が出てしまった。

「広いですね」

「そうですか? 家具がないのでそう感じるかもしれませんが……それでも、この部屋が一番広いのですよ」

要は頷き、間取りを確認していった。驚いたことに、キッチンもあれば風呂もある。しかも簡素なものではない。

「引っ越してこないのであれば、必要な家具はこちらで用意しますが……どうしますか?」

「至れり尽くせりですね」

「当然です。貴方は爽様の直属の部下。つまり、私と同等の立場となられた。他の者達とは、それだけ待遇も違いますよ」

執事頭の吉田と同等の立場……か。

「そうですね。引っ越してくるつもりはないので、すべて吉田さんにお任せします」

「わかりました。では腕によりをかけて、居心地のよい部屋をご用意しましょう」

冗談か本気なのか、吉田は真面目な口調でそんなことを言う。

「お願いします」

要は微笑んで頭を下げた。

自分の好みに部屋を作ってもいいが、吉田に任せてみるほうが面白そうだ。

「ホテルのように使っていただくこともできますが? その場合、スタッフがベッドメイキングや掃除もし、使用したタオルなども新しいものに取り替えます」

「そうですね。そうしていただこうかな」

そのほうが世話がない。

自宅があるのだし、ここはホテルとでも思っておこう。

まあ、そんなに泊まることもなさそうだが……

吉田は頷き、ふたりは部屋を出た。

吉田はスタッフの建屋を案内してくれ、そのあと屋敷の案内もしてくれた。

広い屋敷だから、要が迷わないように案内してくれている感じだった。

すべての案内が終わる頃には、すでに昼になっていた。

吉田の部屋で昼食をいただくことになったが……

ここまで雇い主の爽と会っていない。

彼はいったいどこにいるのだろう?

「あの、吉田さん」

「なんでしょう?」

聞き返されて、一瞬口ごもる。

雇い主である藤原爽のことを、吉田のように『爽様』と口にすることに躊躇いを覚える。

要は迷いつつ「藤原氏は、どこに?」と尋ねた。

すると吉田が、静かに微笑む。

その笑みに、少々居心地が悪くなる。

「すみません。……『爽様』と、呼ぶべきなのでしょうか?」

「そうですね。そのほうがここでは違和感がありませんが……」

「わかりました。それで……爽様は……どちらに」

なんとか口にしたものの、やはり口にしづらい。

「爽様はもちろん勤務中ですが……藍原さん」

「はい」

「私どもは、『爽様』とお呼びするのがしっくりくるので、そう呼ばせていただいておりますが……ちなみに、藍原さん、貴方は爽様をどう呼びたいんです? 希望があるのですか?」

「そう言われますと……そうですね。やはり、社長とか……」

「それでは、そう呼んでみては」

「吉田さん?」

「爽様がどう仰るのか、私にもわからないのですよ。ですから、呼んでみるといい」

吉田は少し楽しそうに言う。

まあ、いいか。

呼んでみるといいと言われたのだし、私は社長と呼ぶことにしよう。

そう決めた要だが、最初の問いの答えがまだ中途半端なままであることを思い出した。

「ところで、社長は勤務中とのことですが……私はまだ、本社の所在地をお聞きしていませんが……」

「そのようなものはありませんよ。ある意味……本社はここということになるでしょうか」

その返事に、要は戸惑った。

「あの……ならば、社長は、どこに?」

「すでに行かれたのでは? 爽様は、輸入雑貨の店で、主に働いておいでですよ」

輸入雑貨の店?

要は眉をひそめた。

「複数の事業を手掛けておいでだと、お聞きしたと思いましたが」

「ええ、その通りです」

普通に肯定され、それで終わりだ。

複数の事業を手掛けているが、主に輸入雑貨の店で働いているということか……?

「あの、それですと、私は社長から、どのような仕事を任されるのでしょうね?」

「さあ。……事業のほうにはタッチしておりませんので、私にはわかりかねます。ですが、貴方はすでに爽様の直属の部下なのですから、貴方自身が、爽様に直接お聞きになればいいことですよ。さて、まだ時間はありますし、もう一杯お茶を淹れましょう」

そう言って吉田は立ち上がり、さっそくお茶を淹れ始めた。

なんだかよくわからないが……

藤原の部下になって、まだ初日だしな……

それにしても、新事業の案をまとめて、抱えて来たというのに……

雇い主とは会えぬまま、屋敷の案内だけで昼が過ぎてしまったとは。

無駄に時間を過ごしてしまったようで、落ち着かない。

こんなことでいいのか?

眉間を寄せている要の前に、芳醇な香りの紅茶が置かれた。

「どうぞ」

紅茶の香りを嗅ぎ、昨日、爽が入れてくれた紅茶の美味しさを思い出す。

こんな大きな屋敷の主人でありながら、自分の淹れた紅茶を美味しいと言ってもらえ、純粋に嬉しそうにしていた藤原爽……

おかしなものだ。あの笑顔を思い出すと、彼を社長と呼ぶことに違和感を覚える。

そう……『爽様』と呼ぶのがしっくり……

自分の思考に要は眉をひそめ、吉田が淹れてくれた紅茶をいただく。

とても美味しい……

藤原爽の淹れてくれた紅茶よりも、美味しいと思える。

なのに、不思議だな。

藤原爽の淹れてくれた紅茶を、わけもなく特別なもののように感じるのはなぜなのだろう?







プチあとがき

文庫版刊行記念に書いた藍原要視点の『望む主君を』
こちらの続きを書きたいなぁと、ずっと思っていて、さほど要望はなかったのに、書いてしまいました。笑

書きたいなと思うものを躊躇わず書くのが一番なのかもですね。

楽しんでもらえたら嬉しいです。

読んでくださってありがとう(^o^)♪

fuu(2015/4/20)


   
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