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苺パニック2

[イチゴサンタ編]
執事頭のモノローグ


第2話 面白い男



藍原は、爽様がイチゴヨーグルトの君と喧嘩なさっていることを知っていて、ここに来てくれたに違いない。

『フレー、フレー、アイハラクン』

心の中で、日の丸の小旗を振って応援してしまう。

「何をしに来た?」

「声が聞こえてきましたので、何事だろうと思ってやってきたのですよ」

「なんでもない。ふたりとも早く出てゆけ」

「そうですね。吉田さん、出てゆきましょう」

あまりに素直に従おうとする藍原に戸惑う。

「だが……」

反論しようとしたが、藍原は善一が持っているイチゴヨーグルトを手に取り、主に向く。

「爽様は、頭を冷やされたほうがいい」

淡々と口にした藍原は、爽様に歩み寄り、イチゴヨーグルトを爽様の前に置いた。

「イチゴヨーグルトの君が待っておいでなのは、これではないと思いますよ。試されたらいかがです」

それだけ言うと、藍原は善一に「行きましょう」と言う。

「し、しかし……」

爽様が気にかかり、渋っていると、藍原が耳に口を寄せ「大丈夫ですよ」と囁いてきた。

本当にそうだろうか?

藍原に押されて部屋から出てしまい、ドアが閉まる直前に爽様の様子を窺ったが、表情を読み取ることはできなかった。

目の前でドアが閉じ、善一は藍原に向いた。

「本当に大丈夫だと言うのか?」

「そうですね。確率としては半々でしょうか」

「は、半々?」

「そう心配なさらずに。今夜、爽様が行動を起こさなければ、取り返しのつかないことになる。ということもありませんよ」

「そうだろうか?」

藍原は気楽そうに頷き、さっさと歩き出す。

善一は主を気にしつつも、藍原のあとを追った。

「藍原君。確認のため聞きたいんだが……」

「はい」

藍原はにっこり笑いながら気安く返事をする。

「この数か月、爽様がずっと興味を抱いていたものと、君が口にしたのは、イチゴヨーグルトの君のことなんだね?」

善一の問いかけに、なぜか藍原はくっくっと笑う。

「何がおかしい?」

「吉田さんが真面目な顔をして、イチゴヨーグルトの君と口にされるので……」

名を知らぬのだから、仕方がないではないか……

「ならば、名を教えてくれ」

「それはできません」

きっぱり言われてしまい、がっかりする。

「爽様に、口止めされているのだな」

「はい。もちろん名前だけでなく、存在自体を口止めされていますので、どのような方かなどの質問にもお答えできませんよ」

先手を打たれ、善一は顔をしかめた。

「君からは、どんな情報も受け取れないということか?」

「そうなりますね。ですが、そうがっかりなさることもない。いずれ吉田さんもお会いできますよ」

「だが……仲違いなさったようだぞ?」

「これで終わるような関係なら、それだけのものでしょう?」

確かにそうだろうが……

「これまでこのようなことがなかったからね。……このまま終わってしまわれるのは、残念なことじゃないか」

「それについては、私と意見が別れますね。私は、そんなに焦る必要を感じませんし、正直、まだまだ先でいいのではないかと」

「藍原君。それではまるで、イチゴヨーグルトの君を邪魔だと思っているように聞こえるぞ」

「ある意味、そのとおりですね」

さらりと肯定されて、困惑してしまう。

「藍原君?」

「爽様の補佐という立場から言わせていただくと、恋愛などにうつつを抜かしていただきたくはない」

「藍原君、言っておくが、爽様は恋愛にうつつを抜かすようなお方ではない。きちんと両立なさる」

「それはどうでしょうか?」

藍原の苦笑に、善一は苛立った。

そんな風に言われては、不安になってくる。

「言ったでしょう。爽様は、限度というものをご存知ないと」

「だから、イチゴヨーグルトの君に夢中になりすぎるがゆえに、仕事に支障をきたす恐れがあるというのか?」

「いえ、そういうことではありませんよ」

はあっ?

「……では、どういうことだね?」

「統括すれば、楽しいことになる」

こ、この男は……

「藍原君。わかりやすく言ってくれないか?」

「吉田さん。禁じられていることをお忘れなく」

「そうなのかもしれないが……ならばあとひとつ、これだけは聞かせてくれ」

「どうぞ?」

「イチゴヨーグルトの君は、爽様にふさわしくないと君は思っているのか? 君が嫌うような相手なのか?」

「おや、ひとつとおっしゃっていたのに、質問がふたつになりましたよ」

「細かいことを言わず……」

「必要ありませんよ」

「なんと! 君は、イチゴヨーグルトの君は、爽様に必要ないと言うのか?」

「違いますよ。必要ないのは、答えと、心配です。ねぇ、吉田さん、賭けをしませんか?」

「賭け?」

「爽様が、今夜、これからお出かけになるか、ならないか?」

主をネタに賭け事をするなど……

「吉田さん、そう真剣に捉えないでください。金をかけようというわけではないのですから……」

「ならば聞こう。藍原君、君はどちらに賭けるつもりだ?」

むっとして問うと、藍原は善一を窺ってくる。

「先に選んでも?」

「い、いや……もちろん……爽様は、イチゴヨーグルトの君のところに戻られるさ」

「そうですか、では賭けになりませんね。私もそう思いますから」

な、なんだそうなのか?

「ところで吉田さん」

「うん?」

「大平松さんに、爽様の朝食を準備してもらっているのでしたね?」

「ああ。もう受け取って、いま食堂に置いてあるが……」

「では、これから私が取って来ましょう。吉田さんは、ここで爽様を待っていてくださいますか?」

ちょうど玄関の前に来たところだ。
藍原は、善一の答えを待つことなく、食堂のほうへ歩いてゆく。

ひとりになり、思わず疲れの滲んだため息をつく。

一癖も二癖もある藍原との会話……今回は特に疲れさせられた。

だが、まあ、欲しかった答えはもらえたか。

『統括すれば、楽しいことになる』と、藍原は言った。
心配は無用、未来を楽しみにしろと言うのだろう。

喧嘩なさったことは心配だが、藍原は、爽様はこれからイチゴヨーグルトの君の元にお戻りになると思っている。

自分の場合は、そうであればいいという期待だが、藍原はお戻りになることに確信を持っているようだった。 

信じていいのだろうか?

思案しているところに、藍原が戻ってきた。

包みを差し出されて、「ありがとう」と受け取る。

爽様は、イチゴヨーグルトの君と、どこで出会われたのか知りたいが……普通に聞いたのでは、この男は答えてくれないだろう。

うまく言葉で誘導して、なんとか聞き出せないものかな?

「おや、ちょうどよかったな。吉田さん、おいでになりましたよ」

視線を右方向に飛ばした藍原が囁いてきて、善一はハッとして視線を向けた。

爽様は、善一と藍原を見て、ひどく渋い顔をされる。

「爽様」

藍原が澄まし顔で声をかけた。

「お前たち……最悪だな」

「我々は、ただ、ここで話をしていただけですよ」

爽様は、白々しく口にする藍原を無視して、善一に顔を向けられる。そして、「一時間で戻る」とおっしゃる。

善一は、すかさず主に朝食の包みを差し出した。

「爽様、これを」

「なんだ、これは?」

「もちろん、朝食でございます」

「私は一時間で戻ると言っているんだぞ」

「それならば、これはイチゴヨーグルトの君に」

微笑みながら言うと、仕方なさそうに受け取ってくださった。

主を見送り、すぐに立ち去ろうとする藍原を、善一は思わず呼び止めた。

「藍原君」

「はい」

「爽様が、この数か月、興味を抱かれていたものと遭遇なされた前後の背景を聞かせてくれないか?」

藍原は少々面食らったようすを見せ、そのあと、きゅっと口元を引き締めた。

我ながらうまい質問だと思うのだが……

この表現なら、藍原も答えられるはずだ。

「で、答えは?」

「わかりました。ですが、この話は長くなりますよ」

「聞かせてくれるのか?」

もちろん善一は、どれだけ長くなろうと話を聞きたい。

だが、いまからでは遅くなってしまうな。

「吉田さんがよければですが、いまからではどうです? 明日、私は休みなのですよ」

「そうなのかね?」

藍原の休みは、火曜と水曜のはず。

そう考えたのが顔に出たらしい。

「今週の火曜、怜と休みを交代したのですよ」

おや、岡島君は具合を悪くしていたようではなかったが……

今日、彼は休みで、いつものように、映画を観に出かけていた。

「君らが休みを交代するなんて、珍しいじゃないか。岡島君に、何かあったのではないんだろうね?」

直属の部下ではないが、岡島も藍原同様、善一に取っては身内のようなもの、気にかかる。

「いいえ。彼は関係ありません。私が仕事に出たかったので、怜に休みを変わってもらったのですよ」

仕事に出たかった?

「そんなことより、どうします? これからというのであれば……

「あ、ああ。それじゃ、藍原君。私の部屋に来ないかね。お茶を淹れよう」

話がすぐに聞けることになり、善一は心を弾ませて藍原を自室に招き、いそいそと紅茶を淹れた。

とっておきの茶菓子も添える。

そして……藍原の長い話は始まった……

のだが……

「……それで私は、爽様に、それでは駄目なのです。と、申し上げたのですよ。三千円均一は絶対に失くせないと……。三千円ならば、十代のお客様でも手の届く値段。それを見越しての値段設定なのに、それを失くしてしまっては、狙いから外れてしまうと……。そうしましたら、そこまで言うなら、しばらく様子を見ようじゃないかと、ようやく爽様が折れられて、ついにその企画がスタートすることになったのです」

「あ、藍原君。ちょっといいかね」

熱弁をふるう藍原が一息ついた隙をつき、善一は口を挟んだ。

「はい。なんでしょうか? 話はこれからなんですが……」

「いや、君……さっきもそう言ったぞ」

「はあ。ですが、これからなんですが……」

「すでに君、十分近く語り続けているんだぞ。それに、私が聞きたいのは、爽様とイチゴヨーグルトの君が出会われた話で……」

「ですから、そんな話はできませんよ。禁止されて……」

ああ、そうだった。めんどうくさいな……

「だからだね。この数か月、爽様が興味を抱かれていたものと遭遇なされた前後の背景を聞かせてくれと私は頼んだんだよ。宝飾店の企画とか、三千円均一とか、いまはどうでもいいんだが……」

「吉田さん。どうでもいいと言われるのは心外ですね。いまの話こそが、爽様が興味を抱かれたものと遭遇なさった前後の背景なのですが」

善一はがっくりと肩を落とした。

どうやら、この男、はじめから話してくれる気などなかったらしい。

「もうわかったよ。君の言いたいことは……イチゴヨーグルトの君と、いずれお会いできる日を、私はおとなしく待つとしよう」

「ということは……吉田さん、いまの話の続きは、もういいんですか?」

「君ときたら……最初から、私にそう言わせるつもりだったのだろう?」

「すみません」

笑いながら謝罪され、さすがにむっとしてしまう。

「吉田さんとのお茶会が、私はとても好きなのですよ」

疑わしそうな眼差しを向けると、藍原は楽しそうに微笑み返してくる。

「お茶会の時間には、遅すぎるがね」

「そうですね、確かに。では、これで失礼するとしますよ。吉田さん、ご馳走様でした」

「君には勝てないな。藍原君、またお茶会をしようじゃないか」

「ええ。次は私の部屋においで下さい」

「ああ。お邪魔させてもらうよ。君の部屋の蔵書は個性的なものが多いからな。そちらもまた見せてくれ」

「はい。では」

藍原は立ち上がり、ドアに向かう。善一は、彼を見送ろうとあとに続いた。

ドアを開けて外に出た藍原が、にっこり笑う。

「吉田さん」

「うん?」

「三千円均一コーナーを設置してからのことなのですが……」

「おいおい、ここにきて、まだその話を続ける気かい?」

「興味を引かれたものが現れたのですよ。では、これで」

早口に言った藍原は、「おやすみなさい」と頭を下げてドアを閉めた。

えっ? 興味を引かれたものがいた? それって?

閉じたドアを見つめていた善一は、ふと我に返った。

「お、おいっ」

焦って叫び、ドアノブを掴んで開けたが、すでに藍原の姿はどこにもなかった。

彼の部屋まで追いかけていこうかと思ったが、諦めることにした。

追っていったところで、きっといま口にした以上の情報をくれる気はないのだ。

だからこそ、最後の最後に、藍原は口にして去ったのだろう。

そうか……イチゴヨーグルトの君は、爽様の宝飾店においでになったのか。

そして藍原が企画した三千円均一のコーナーに興味を引かれて……

爽様のほうも、そんなイチゴヨーグルトの君に興味を抱かれたと……

なんだかんだで、藍原はちゃんと情報を与えてくれる。

先ほどの無関係な長い話も、話を逸らしていたわけではなく、ちゃんとイチゴヨーグルトの君と繋がりがあったのだ。

藍原要……まったく面白い男だ。





  
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