苺パニック




第1話 前夜の憂鬱



ふわふわとした心地良さに、鈴木真理(まこと)は口元をほころばせた。

すると直後、「あっ、笑った」と少し低い声が聞こえた。

もちろん生まれて数か月の真理では、言葉の意味は分からないのだが……

声の主は真理の視界に入っていないけど、この声の響き、とてもよく聞く声だ。

この声は、「パパだぞぉ」と頻繁に繰り返す。
そして、真理を安心させてくれる笑顔をくれる。

「もおっ、まこちゃん可愛すぎるわぁ。さーすがわたしの孫よね」

この声もよく聞く声だと思っていたら、目の前にひょこっと顔が現れた。

「あー、あー」

気分がよくなって、真理は無意識に声を上げていた。

「まあっ、やっぱりまこちゃんは、お祖母ちゃんが好きなのねぇ。むっふふぅ」

うん?
最後のむっふふぅという声……

違うひとが浮かびそうになる。

けどはっきりわからない。

もどかしい。

世界は曖昧なことが多すぎる。

そのとき、『まーこたん』という呼びかけと顔が、パッと記憶の底から飛び出てきた。

甘い気持ちが込み上げて来て、つい、ふふっと笑ってしまう。

頭に浮かんだこのひとは、真理が二番目に好きなひとだ。

もちろん一番は、いま真理を大切なもののように抱っこしてくれているひと。

やわらかく心がほっとするぬくもり。

一番一緒にいてくれて、真理に「ママですよぉ」と口にする。

真理を見つめて、微笑むことも多いけど、見つめる瞳によく涙を浮かべる。

真理はその表情が好きだった。

無限の愛が伝わってくるんだよ。

真理がいい気分でいると、真理に理解できない会話が飛び交い始めた。


…… …… …… …… ……♡

「それにしても、明日だわね」

節子は、ついついため息交じりに口にしてしまう。

「だな」

そう答えたのは息子の健太だ。
健太はいま、息子を抱いている嫁の真美とソファに並んで座っている。

実は明日、ついに娘の苺の結婚相手である藤原爽の家に行くことになっているのだ。

爽の家に鈴木家の家族が行くのは、これが初めてのこと。

苺によれば、爽の家はとんでもなく立派なお屋敷らしい。

執事までいるとか……あり得ない話よね。

まったく苺ときたら、そんなとんでもないひとと結婚するなんて……と、どうにも文句が言いたくなる。

だいたい、お似合いとは言い難いのよねぇ。

なにせ藤原爽は、育ちの良さが滲み出ている男で、気品がありすぎるのだ。

あんなひとが義理の息子とか……あー、頭が痛い。

明日は、爽の祖母とも会うことになるらしい。

苺から、サバサバしたとっても気のいいおばあちゃんだと聞いたから、そんなに緊張しないでも良さそうなんだけど……

明日はお昼ご飯をご馳走になることに、なってるのよね。
それがちょっと憂鬱だったりする。

「ねぇ、明日のお昼って、テーブルマナーとか必要だったりしないわよね?」

「さあ、どうだろうな」

「あんたたちは大丈夫そうだけど、わたしと宏さんはそういうの全然ダメなのよ」

つい怒ったように口にしてしまう。

健太も真美も苦笑するが、こっちは笑っていられる場合じゃないのだ。

節子は気を重くしつつ、ソファにから腰を上げ、真美が抱いている孫の真理の顔をのぞきこんだ。

「まこちゃん、お祖母ちゃんどうしたらいいと思う? フォークとかナイフとか、ご縁がないのよ。お願いしたら、お箸、出してくれるかしらね?」

「あー、あー」

真理が相槌を打つように声を出し、節子は思わず噴いた。

「もおっ、まこちゃんには敵わないわ。そうよねぇ、心配してもしょうがないわね。ありがとう、まこちゃん」

「真理を相手にして、ひとりで会話を成立させるって、母さん面白いな」

「ふふん、わたしはね、まこちゃんの眼差しで何が言いたいかわかるのよ。子育ての経験を積んだ賜物ってことよ」

「ほんとかよ」

健太が呆れたように言うと、真美がくすくす笑う。

そこに宏が風呂から上がってきた。

「はあっ、いい湯だった。健太、ほら入って来い」

「ああ」

健太は立ち上がり、風呂に入りに行った。

「ねぇ、お父さん」

節子は、自分の隣のひとり掛けのソファに座り込んだ宏に話しかけた。

「なんだ、また明日のことか?」

節子の言いたいことを悟り、宏が先回りして言う。

ずいぶんめんどくさそうな顔で、ちょっとむっとくる。

「だって、心配なのよぉ。不作法なことをしちゃったらどうしようとか……あなたは考えないわけ?」

そう尋ねたら、宏は首にかけたタオルで顔を拭いながら、こちらに首を回してきた。

「大丈夫だ」

「もお、どうして大丈夫だと断言できるのよ? 全然安心できないわ」

頬を膨らませて文句を言ったら、宏がにやっと笑う。

「お前、あの苺が、藤原さんの屋敷で、無作法なことをしていないと思うか?」

「!」

宏の言葉に節子は目を見開いた。

それはそうだ!

娘の苺はちょっと変わっている。不作法なことをしていないわけがないと断言できる。残念なことだが。

「お前が何をしようが、あの苺がいるんだ。お前の不作法なんか、目立ちゃしないさ」

妙に納得させられる発言だ。

「それもそうね」

と言ってしまう自分もどうかと思うが……

「あの子、ほんとに大丈夫なのかしら?」

「お前、何度その問いを繰り返すんだ?」

「だってぇ」

「藤原君が苺でいいと言っているんだ」

それはいまのことだ。未来はどうなるか……

「いずれうまくいかなくなったらって、考えてしまうわよ」

「そのときはそのときだ。だが」

「だが、何?」

「藤原君もおかしな男だ。そんな彼がおかしな苺を気に入っている。だから安心していいさ」

藤原さんがおかしな男ねぇ。
まあ、あの苺を伴侶に選ぶくらいだから、おかしなひとなのかもしれないわね。

「俺は、藤原の屋敷の執事のほうに緊張しそうだ。そんな職業のひとを相手したことはないからな」

「吉田さんは、執事以外考えられないという感じのひとでしたけど……ひとのよさが滲み出てましたから、大丈夫ですわ、お義父さん」

藤原家の執事の吉田と唯一会っている真美が、宏に向かって励ますように言う。

「まあ、会ってみないことにはな。……明日になれば、会うことになるんだ。あまり不安がらずに、とにかく訪問させてもらうとしようじゃないか」


…… …… …… …… ……♡

白熱した会話はそれで途切れた。

耳を澄まして聞いていた真理は、静かになったことで疲れを感じた。
瞼が勝手に閉じてしまい、意識が霞んでゆく。


…… …… …… …… ……♡

「あら、まこちゃん寝ちゃったの?」

「はい。気持ちよさそうに寝てます」

「ほんと、まこちゃんはいい子よねぇ。夜泣きもしないし、とんでもなく可愛いし……」

節子はそこで、孫の愛らしさを夢中になって力説した。

満足して口を閉じたら、今度は宏が口を開く。

「藤原君のお祖母さんが、真理に会いたがっていると、苺が言ってたな」

「ええ」

そうだわ。まこちゃんが一緒なら、場も和むかもしれないわね。
そう考えて、節子は少し気持ちがラクになった。

そこで節子は、真理を抱っこして目尻を垂らしてあやしていた苺を思い浮かべた。

あの子、叔母らしくはなったけど……母となった苺は想像しづらいのよね。

「あの苺も、あと数年したら、結婚して子どもが生まれたりするのかしらねぇ」

思わず口にしたら、宏が答える。

「そりゃあ、授かればそうなるだろう」

「あなた、母親になった苺を想像できる?」

「……できないな」

ひどく考え込んだ後、神妙な顔で宏は答えた。

孫が気持ちよさそうに寝入ったところだというのに、節子は派手に噴き出してしまったのだった。





つづく






プチあとがき

苺パニックの続編、いかがでしたでしょうか?
とはいえ、まだ第一話ですが。
しかも、苺と爽視点ではないし。笑

どんな場面から、どんな感じで始めようかと迷ったあげく、このお話となりました。
苺の甥っ子の真理……まこちゃん視点から始めてみました。

苺視点よりも、鈴木家のみんなの視点から描く方が面白くなりそうだなと思ったのです。

明日は鈴木家のみんなが爽の屋敷に招かれておりまして、節子さんは落ち着かないようです。

では、これからの苺パニック楽しんでいただけたら嬉しいです♪

読んでくださってありがとう(^o^)丿

fuu(2015/12/3)




  
inserted by FC2 system