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第1話 依頼と報酬
「行ってきます」
通学鞄を持ち、後方に向けて声を飛ばし、古瀬文香は外に出た。
ドアが閉まる直前、「いってらっしゃい」という母の声が聞こえた。
日差しはあるけど、空気は頬にひんやりしてる。
新しいシャンプーが髪に合ったのか、ストレートの髪がさらさらしてる感じに、文香はそれだけでウキウキした。
空いている手で髪の間に指を通し、彼女はさらさらな感触を楽しんだ。
なんか、いいことあるかも?
「文香」
低い声に名を呼ばれ、彼女は身体ごと車庫に向いた。
駐車場にまだ父親の車があることに、彼女は首を捻った。
先に家を出たのに、まだいたのか?
文香は運転席から彼女を手招いている父親の元に駆け寄った。
「なあに?どうしたの、パパ?」
背広のポケットに片手を突っ込んでいた父は、黒い財布を取りし出し、中からお札を抜き出した。
な、なんだろ?
突然の、理由のないお小遣いなんてことは、まずないが…
一万円札を差し出されて、文香は戸惑った。
「学校の帰りに、バレンタインデーのお返し見繕ってきてくれないか?ママの喜びそうなやつ」
文香は父に呆れた。
「はあ?こういうのって、パパが自分でママのために買うべきじゃないの」
彼女は非難混じりに父に言った。
「わかってるさ。だが、ちょっと仕事でトラブル発生してて、時間的にも心的にもまったく余裕がないんだ」
父は財布を持ったままの両手を、拝むように合わせた。
「文香頼む。お前なら、ママの好みのもの見つけられるだろ?」
「うーん」
文香は渋るような声を上げた。
引き受けてあげても別にいいのだが…
なにも、無償で引き受けることはないよね。
娘の表情に、父は顔をしかめ、仕方無さそうに財布を開く。
「それなら、これはお駄賃だ」
まあこんなものね。
千円の報酬なら、充分見合った額だろう。
だがここで喜びをみせちゃいけない。
「わかった」
仕方無さそうに眉をしかめながら、文香は父の手から千円札を受け取り、一万円札と一緒に財布にしまい込んだ。
「頼んだぞ。だが化粧品とかはやめといてくれよ。俺が買ったんじゃないって、ママにバレるようなのじゃ駄目だ」
「はいはい」
文香に向かって手を挙げると、父は文香の進行方向とは逆の方向に車を発進させ、あっという間に遠ざかって行った。
「あーあ、パパの会社がわたしの学校の方向だったら、乗せてってもらうのに…」
そんな不平を呟き、それでも思ってもなかった小遣いを手に入れた嬉しさに、文香は弾むように歩き出した。
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