君色の輝き
その35 君色の輝き 



「宮島君、何か用事だった?」

「あ、ごめん、具合悪くて休んでるところなのに。それで体の方はどう?」

「ありがとう。もう大丈夫みたい」

「あのさ、…手紙のことなんだけど」

ああ、そうかと思った。
持ってきてくれと頼んだのに、休んでしまって、ひどく気になってはいたのだ。

「ごめんなさい。休んでしまったから」

「それでさ、僕も早く君に渡してしまいたいし、明日会えないかな?体調が良ければだけど…」

「明日?それが、明日は用事が…」

そう言ったものの、芹菜は考え込んだ。
あの手紙を早く取り戻したい。

「でも、午後なら…」

「いいの?何時?」

芹菜は目まぐるしく頭を回転させた。透輝は撮影は午前中と言っていた。

日照の関係がなんて言ってたことからして、なんらかのハプニングが起きたとしても、午後まで撮影が延びるということはなさそうだ。

「それじゃ、一時に、えーと、青空花市が行われる花之木広場。宮島君、知ってる?」

実際芹菜はその場所を知らなかったのだが、透輝に聞いたまま大成に伝えた。

「花之木広場?…あ、うん、知ってる。それじゃ、一時に」

電話を切って、芹菜はふうーっと息を吐いた。

明日の撮影の時、その広場がスタッフの拠点というか、出演者を含めた全員の集合場所になるらしい。

エキストラのバイトを終えたら、真帆とお昼でも食べながら時間をつぶせばいいし、あらためて別の場所を指定するよりは楽だ。

それにエキストラだけは、バイト代もその場所でもらえるそうだから、帰りに真帆とショッピングするのもいい。

あの手紙を未開封のまま処分出来るとは思ってもいなかった。

淡い恋心の副産物…
若い愚かさの象徴…

手紙を渡さないでいてくれた大成に、いまさらながら深い感謝が湧いた。

彼女の気持ちを思いやっての大成のやさしさに芹菜は微笑み、涙がじわりと湧いてきた。

あの時の思い…
淡く甘い恋心を帳消しにした強烈な苦味…
切なさと苦しさ…

過去の自分を、芹菜は抱きしめた。

あの時の自分があるから今の彼女がいる。
切なさも苦しみも、いま、すべて吸い取ってあげたかった。





花之木広場の状態に、芹菜は驚愕してしまった。
真帆が、「何よ、この人数は」と目を丸くして叫んだ。

広場全体が、大勢の女子高生で埋まっている。
それもみな同じ制服だ。

その中にちらほらと黒いTシャツを来た人たちが、何がそんなに忙しいのか右往左往している。

芹菜が透輝に言われていた通り、背中と前にスタッフと書かれた黒いTシャツを来たひとりに名前を告げると、すぐに一台のバスに連れて行かれた。

着替えるように手渡された服は、外にいた大勢と同じものだ。

それにしても、これほどたくさんのエキストラがいるとは思わなかった。

芹菜はほっとして苦笑した。
この人数ならば、ほんとうに演技もなにもない。

衣装係の人らしい女の人が着替えた芹菜の全身をチェックし、次はメイクだからと椅子に座らされた。

ふと見ると、なぜか真帆はスタッフと同じ黒いTシャツに着替えている。

「真帆さん、なんで」

「まぎれるでしょ?一緒にいても」とメイク担当のひとを意味深にちらっと見てからにやっと笑った。

首にはスタッフの名札まで掛けている。

透輝の隣にいても、ということなのだろう。

「でも、なんか新鮮。真帆さんが黒Tシャツにジーンズなんて。でも良く似合ってます」

「ふふふん、私は何でも着こなせるのよ」

芹菜は声を出して笑い、真剣すぎる顔のメイクさんに、「真顔で」と叱られた。

バスを降りて、芹菜は真帆に耳打ちした。

「透輝はどこにいるの?」

「さあ、このバスのどれかに潜んでるんじゃないの。いくらエキストラで今日の撮影の関係者だとしても、この女の子集団の中にあいつが顔出せば、騒ぎになるの目に見えてるから」

真帆は地面を見つめながら小声で答えた。

「真帆さんも大変ですね」

「まあね、俳優なんか好きになるもんじゃないわよ」

撮影開始まで手持ちぶさたになったふたりは、広場をふらふら歩き回りながら時間を潰した。芹菜は機材を抱えたスタッフのいでたちを物珍しく見ていた。

そのうちに、微かな違和感を感じ始めた。

「真帆さん、なんか、ここにいる女の子達、みんな同じような髪型の気がするんですけど…」

「そうみたいね。同じ制服、同じくらいの体格、そして似たような長さの髪、もちろんねらってのことなんじゃないの?」

「はー、そうか。それでわたしも…なわけですね。それにしても、これだけ同い年の女の子達、よく集められましたよね。スタッフって大変」

「馬鹿ね。みんな同じ歳のはず無いでしょ。下手すりゃ、三十前なんてのもいるわよ。それに髪の毛の色だって、指定された色に染めてるのよ、きっと」

なんだそうかと、芹菜は納得してうんうんと頷いた。

「ね、芹ちゃん、あなたなんか無理してない?」

芹菜は、どきりとして真帆から目を逸らした。

「エキストラなんて初めてだから…」

「そういうことじゃなくて。なんかあったのね?何があったの?」

芹菜は口をきゅっと引き結んだ。

昨夜遅く、決心を固めてもう一度誠志朗に電話をしたのだ。だが、彼の携帯は電源が切ってあるらしく、繋がらなかった。

芹菜が彼に電話をしたことは、不在着信ではっきりと伝わっているはずだ。

なのに電話も掛けて来てくれないどころか、電源すら切ってしまっている。

虚しさを抱えて昨夜を過ごした。
その虚しさは肺を圧迫するくらい、いまも胸の辺りに巣食っている。

「何も…」

「それじゃ、そろそろ時間でーす。移動しまーす」

拡声器を持ったスタッフが大声を上げた。

芹菜は、ほっとした。
まだ何か言いたそうだった真帆も、眉をしかめて口を閉じた。

「制服の胸ポケットの中に記号を書いた紙が入っています。確かめて『A-1』と書かれているひとからスタートします。つぎは『A-2』、Aが5まで行ったら次はBとなります。いいですかぁー」

「はーい」という声があちこちで上がった。

A-1らしき女の子達が拡声器を持った男の人のところに集合してゆく、

芹菜もポケットから出した紙を確かめていた。
B-5と書いてあった。

芹菜はB-5の列に並んだ。

一緒のあたりに並んだ子達を見ると、どうも同じ歳くらいのように感じた。

真帆の言っていたような三十前のようなひとはいない。

彼女達の近くにいる少し年配の男性が「いいかい、自然に、自然にだよ。いいね」とやたら自然を繰り返している。

芹菜はくっと喉元に競りあがってきた笑いを堪えきれなかった。

「いよっし」

その男のひとの突然の叫びに、芹菜はビクンと跳ねた。

丸めている台本らしきものをポンポンポンと叩き、「そろそろだぞ」と言った。

「よし、ゴー」

その声に前の列に並ぶようにして芹菜たちのグループも歩き出した。

このまま、指定されている歩道までの一キロ弱ほどを、ただ歩けばいいだけらしい。

彼女達の知らぬところでカメラが回り、そして指定場所を過ぎたら彼女達の出番は終わりだ。

芹菜は、最後に真帆に振り返って小さく手を振った。
真帆も行ってらっしゃいというように手を振り返してくれた。

何も気にせず、普通に歩けとのことだったから、芹菜はその言葉に従って、ただ前の子の背中に着いて歩いた。

ある程度の間隔を空け、少し余所見もしながらみんなが歩いているのを見て、芹菜のわずかな緊張も解けてなくなった。

見覚えのある歩道橋が見えてきた。事故後、ここに来たのは初めてだった。

あの時のことがまざまざと蘇った。

携帯を捨てた真帆への羨望…
真帆の怒号…

目の前まで迫った歩道橋の存在に、芹菜は無意識に足を止めていた。

次の瞬間、芹菜は空中に抱えあげられていた。
誰かの手が両脇にあるのを遅れて悟った。

もの凄い勢いで持ち上げられ、一瞬だけふっと空中に浮かんだ。

「えっ」という叫びを空中で洩らした時、また両脇をぎゅっとつかまれて、芹菜は地面に着地した。

すっと前に男性が現れた。透輝だった。

芹菜は頭の中身がすべてすっ飛んだ。
現状が理解できない。

固まっていると頬に透輝の唇を感じ、その一瞬後、芹菜は透輝に腕を取られて走り出していた。
ものすごい全速力だ。

いったいどうなってるの?と頭の中で問いかけた。
気がついたときには、ワゴン車の中に乗っている芹菜がいた。

「ご苦労さん」

乗り込んですぐ、息を切らしながら透輝が言った。

透輝の非ではないくらい息切れしている芹菜は、頭が混乱しているのもあいまって、言葉が出て来ない。

「透輝さん、オッケーだそうです」

その言葉に、車に乗っている芹菜を除いた全員が歓声をあげた。

「一発オッケーか。やりー」と一人が拳を固めてガッツポーズをした。

「あの監督、いつもなかなかオッケー出さないからなぁ。ひやひやしてたんだよ」

「お前だけじゃねえって。でもこれも作戦勝ちだな」

みんなが喜びあっている姿を、芹菜はただひとり呆然と見つめていた。





すべてのことが、緻密に計画されていた。

素人の芹菜を使うことも、そしてその芹菜が何も知らされずにいたことも…

彼女の周りには、芹菜に特に良く似た役者の子を配置していたという。

車を降りると、監督と名乗るひとと握手し、お礼を言われた。

いくらなんでも、その人相手に不平も言えず、芹菜は愛想よく言葉を交わした。

文句を言うとすれば、それは透輝しかいない。

後で知ったことだが、この撮影はシャンプーとリンスの宣伝用で、まったく同じにみえる子の中から、自分の彼女を探し当て、ふたりが走り出した場面で、『君の髪の輝きは特別』という宣伝文句が流れるらしい。

透輝専用の車の中で真帆とも合流できホッとしたが、騙されたことが許せなくて、芹菜はむっとしていた。

「芹菜、ごめん。でも最高だったろ。あの映像」

謝っている顔ではない喜びにはちきれそうな顔で透輝が言った。

監督から見せてもらった映像は、たしかに胸にぐっとくるものがあった。
だが、あの抱えあげられた女の子が自分なのだという実感はまったくなかった。

「それにしても、よく芹ちゃんを見つけられたわね」

「ああ、だからこそ、彼女でなきゃね。設定が高校生でなかったら、真帆に頼み込んだんだろうけど」

「あんな口車に乗せられて騙されてたのが私だったら、この婚約指輪は、どこぞのドブの中よっ!」

「真帆っ、シーッ!」

透輝が慌てて唇に指を当て、「あちゃ」っと真帆が叫んだ。

「口車」

芹菜は無表情でふたりを見つめた。




撮影はまだ終わっていなかった。

広場に女の子達全員が集合して、シャンプーかリンスを持った手を合図とともにパッと差し上げるシーンがあるのだという。

それならば芹菜がいなくてもいいだろうと思って真帆にそう言ったら、一緒にいたスタッフのひとに、そうはいかないと言われてしまった。

お昼にお弁当が出て午後の撮影は一時からと言われ、仕方なく芹菜は大成に変更の連絡をした。

「それじゃ、何時ならいい?」と言われたが、芹菜としても答えようが無い。

「ごめんなさい。今日は駄目そうなの」

「君、今どこにいるの?…渡すだけだから、手間は取らせないつもりだけど」

確かに手紙を返してもらうだけなのだから、構いはしないだろう。
芹菜は花之木広場にいることを伝え、電話を切った。

芹菜はメイクを手直しされ、髪をとかしつけられて、高校生の集団の中に混ぜられ、しばらく好きに歩けと言われた。

他の子はシャンプーとリンスを持っているのに、芹菜だけは手ぶらだ。
合図があったら、パッと上を見上げて両手を広げろと指示された。

そんなに暑くはなかったが、ぐるぐる歩いているだけでは集中力も途切れてくる。

時計がないので分からないが、三十分くらいは経っているのではないかと思えた。

大成がそろそろ来るかもしれないのに、こんな状況では芹菜を見つけられずに、彼も戸惑うだろう。

芹菜が中央付近を歩いている時、五、四、とカウントが始まった。

両手をあげればいいだけなのに、カウントの音が緊張を呼び覚まし、やたらドギマギしてきた。

一のカウントはなかった。
つぎの瞬間、みんながいっせいに片手を挙げた。

芹菜は驚き、一拍遅れで驚いた表情のまま両手を広げて天を仰いだ。

「カーット」という拡声器を通した大きな声が響いた。

芹菜は不安でいっぱいになった。
1拍遅れたことは、取り返しのつかない大失態ではないのか?

周囲を囲っているスタッフの中から真帆を探し出そうとして、芹菜は必死になった。

ざわざわとした喧騒が耳に響き、すべての声が自分を責めているのではないかと思えた。

「オッケー、撮影終了」

芹菜はへなへなとその場にへたり込みそうになった。でも、疑問も湧いていた。
ほんとうにあれで良かったのだろうか?

ぐっと握りしてめいた両手の拳を、芹菜はじわじわと緩めた。
手のひらが汗でじっとり濡れている。

とにかく、良かったとプロが言ったのだから、安心してよいのだろうと、芹菜は自分に言い聞かせた。

大きく息を吐いてから、芹菜は真帆の居場所を探して周りを眺めた。

すでにスタッフも輪に加わりシャンプーとリンスを回収している。

芹菜は真帆の姿をやっと見つけた。
安堵して手を振ると、彼女が手を上げ、芹菜の後方を指差した。

芹菜は後に振り向いた。

だが、真帆が何に対して指を差したのか分からなかった。

同じ制服を着た女の子がいっぱいいるだけだ。
みんなぺちゃくちゃと楽しげにおしゃべりしている。

芹菜は首をひねって真帆に視線を戻した。

「やあ」と背後で声がした。

芹菜は胃の辺りがぐるんと一回転したような気がした。

「必ず、と約束した」

誠志朗が芹菜の真正面に立った。

現状が理解出来ないでいる芹菜に、誠志朗がもう一度言った。

「必ず君を、見つけるって」

「わたし…電話を…」

「ごめん。土砂降りの中、焦って電話に出ようとして、水に落とした。アシカは泳げて楽しかっただろうけど、僕は絶望の淵に立った気分だった。これ」

芹菜は誠志朗が目の前に差し出したものを見て、驚きに全身がわなないた。

「大成がどうしても返さなきゃならないって聞かないんだ。だから一度君に返す」

そう言って強張っている芹菜の手に、手紙を握らせ、すぐに誠志朗は片手を差し出してきた。

芹菜は身動き出来なかった。
頭の中が混乱していて、自分がどういう状況にいるのかさっぱり理解出来なくなっていた。

誠志朗がもう一度手を差し出してきて、芹菜は手紙を彼の手のひらに載せた。

誠志朗が味わうような動作で手紙を開け、ゆっくりと視線を這わせて文面を読んでいるのを、芹菜はただ見つめていた。

「制服の君を覚えていなかったことは悔やまれる。でも、二度目にあった君は、ずっと心に住んでた。名前も聞かずに別れた自分の愚かさを、ずっと悔やんでたんだ」

誠志朗がそう言い終えた時、芹菜は彼の腕の中にいた。

胸が苦しかった。

誠志朗の腕の中にいてもいいのだろうか?
許されるのだろうか?という問いが、頭の中をぐるぐる回っている。

「誠志朗さん、わたし…」

「楠木芹菜…、君を愛してる」

胸がかっと熱くなった。ぶるぶると胸が震え始めた。

見開いた芹菜の目から涙が零れた。

すべてが許されたのだと、今はっきりと悟った。

芹菜は、顔を上げて誠志朗を見つめた。

芹菜として彼に抱かれている現実を確かめるように、彼女は手を上げて彼の前髪にそっと触れた。

「行こう」

芹菜は誠志朗に促されて歩き出したが、ふたりを囲う何層もの人垣に気づいて腰が抜けそうになった。
ふらりとした芹菜を、誠志朗がさっと動いて抱きとめてくれた。

「誠志朗さん」

「その声でもう一度僕の名を呼んだら、君は後悔するぞ」

「えっ?…誠志朗さん?」

そう言った瞬間、誠志朗が動いて芹菜の前に立った。

芹菜の顔を覗きこんでいる誠志朗は微笑んでいたけれど、その表情は信じられないほどの真剣みを帯びていた。

「後悔するって、忠告したのに…」

誠志朗の顔がゆっくりと近づいてくるのを、芹菜は息を止めて見つめていた。

後悔はたっぷりと後でしよう。
瞳を閉じながら、芹菜はそう思った。




End




  
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