恋風
その5 なおざりにされた謎



綾乃の家に向かう車の中、解き明かされなかった謎の答えを求める思いが、葉奈にしつこく催促を繰り返している。

運転に集中している伊坂は、葉奈の存在など気にも止めていないようだ。

「あのう?」

「何?」
極端に短く歯切れ良い返事が伊坂から返された。

「母を知ってるんですよね? 伊坂先生」

「昨夜、電話して来なかったな。してくると思ったのに…」

ものすごく電話したかったのだ。そして答えが聞きたかった。だが、携帯を手にして…躊躇いが邪魔をして最後のボタンを押せなかった。

教師の伊坂に、馴れ馴れしく私的な電話などとても…。
伊坂と個人的な話をしたのさえ、昨日が初めてのことなのに。

「母と、どういう知り合いなんですか?」

「追々分かるんじゃないか?」

まるで質問された当事者ではないかのように、伊坂が投げやりに言った。
なぜだか少し、彼が腹を立てているように感じられて、葉奈は伊坂に顔を向け、ぎょっとしてすぐに視線を外した。

伊坂の目が、いつもよりさらに鋭い切れ味を持っているのは、何故だ。

「葉奈」
しばらく走ったところで、伊坂が呼びかけてきた。
葉奈は名前で呼ばれたことに驚き、すぐに返事が出来なかった。

「俺のこと、学校では呼び捨てにするなよ」

沈黙している車内に、おかしな空気が流れた。
葉奈はその空気に耐えながら、自分の膝に置いた学生鞄を見つめているうちに、いまの伊坂の言葉は冗談だったのだと気がついた。

「初日だからな。そのうち緊張も解けてくるさ」と、伊坂が声に諦めをまぜて呟いた。





伊坂の言ったとおり、伊坂との時間を重ねてゆくうちに、葉奈の緊張はしだいに解けていった。

彼は『しもべ』を有効活用し、葉奈と綾乃は与えられた仕事を有無を言わさずやるはめになったが、その時間は案外楽しく、綾乃すら不平のひとつも言わなかった。

新任の伊坂は、担任も副担の任ももらっていない。
彼の担当教科はコンピュータだ。

選択科目のひとつで、いつものクラスメートでないメンバーが集合しての授業は、それだけでも目新しく面白かった。

伊坂の授業はかなりハードな授業内容になっている。
インターネットから、ハード、ソフトまで幅広く奥が深い。その分、授業に着いてゆくのは大変だが、配布される資料は内容が豊富で、読んでいて引き込まれるものばかりだ。

だからこそ、毎回の授業用に製作している伊坂は大変だろうと葉奈も思っていた。
いまは、その資料製作に、どっぷりつかっているしもべなのだが…


葉奈は綾乃とともに、伊坂の個室に通じる部屋へと入って行った。
カップを片手に、ソファでくつろいで会話をしていた教師のふたりともすでに馴染みになっている。
ふたりは、手を上げて気さくに挨拶を返してもらい、伊坂専用の個室のドアをノックした。
個室といっても、大きな窓が入り口側と中庭側にあって、明るくとてもオープンな感じだ。その窓から、机に屈みこんだ伊坂が見えている。

返事をもらいドアを開けた葉奈は、伊坂の机に、昨日までなかった本がまた山積みになっているのに気づいて、思わず首を振った。

すでに専門書でパンク状態だというのに…

しぶい顔をして、床の本の山を乗り越えてゆく綾乃の後に、葉奈も続いた。

「伊坂先生、いい加減に整理して、半分くらい捨てたらどうですか?」綾乃が言った。

「より分ける暇がない」
まるで興味がなさそうに伊坂が答えた。

ふたりはため息をついて、今日一日で伊坂がばらばらに崩した部分の山をもう一度積み上げる作業にかかった。
これをしないと、彼女達のいる場所すらないからだ。


「今日は金曜日ですよ。伊坂先生」

そろそろ七時を回ろうという時間になって、綾乃が念を押すように言った。

「ああ。判ってる」
そう言いはしたものの、行動を変えるそぶりは無い。
綾乃の顔が険悪になった。

「あー、お腹空いたなー」

パソコンのキーを叩いて、ひたすら入力をしていた葉奈は、そこでやっと顔を上げて綾乃を見た。

「さっき、クッキーと紅茶飲んだだろ」

「翔、あれはもう二時間も前の話だよっ」

お腹が空きすぎてかなり立腹しているらしく、綾乃が敬語を蹴飛ばして怒鳴った。

「佐倉、腹空いたか?」

伊坂に聞かれて葉奈は綾乃を見た。その目が葉奈の言うべき言葉を指定している。

「あ、はい」

「そうか。それじゃ、切り上げるか」

綾乃が伊坂の背に向かってべーっと舌を出し、葉奈は思わず噴き出した。そのことで、綾乃が何をしたのか、伊坂はすべて見通したらしい。

「綾乃。五十点減点。お前、今日はデザート無しだ」

後ろも見ずに伊坂が言った。綾乃が舌を出したまま「え゛ーーっ」と言った。
葉奈は、ふたりのやりとりがあまりに面白くて笑いがとめられなかった。




   
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