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その1 みんなでお買い物
助手席に座った葉奈は、隣にいる伊坂をハラハラしながら見つめていた。
車を運転している伊坂の顔は、刻々と不機嫌になってゆく。
12月も半ばになり、高校三年生で受験を控えた者たちには、なかなか厳しい季節だ。
だが、すでに、いま通っている高校の大学に推薦が決まっている葉奈と綾乃は、学業だけに専念していれば良く、気楽な毎日を過ごせている。
「ねえ、それでさぁ、大学入ったら三人でさ、素敵な一戸建ての借家とか借りて住むなんてどうよ。三人で借りたらそんなに家賃も高くないしさ」
後部座席で、綾乃が前と横に向けて弾んだ声を上げた。
もちろん、実際そんなことは出来ない。夢物語で盛り上がっているだけだ。
わざわざ家を借りずとも、みんな自分の家から通えるのだ。
「うんうん、いいよねぇ。ちっちゃな洒落た洋風の館がいいよぉ。ほら、アン・シャーリーが、大学に入ったとき、素敵な洋館を借りて…」
「そうそう、友達と素敵な生活送るんだよねぇ」と綾乃が相槌を打ちつつ言った。
「うんうんうん、そいで、素敵な殿方が毎日入れ替わり立ち代りで遊びに来ちゃったりしてさぁ」
夢見るように伊坂の妹の玲香が言った。
彼女も、葉奈たちと同じ大学に進むことに決めている。
「そうそう。うひゃひゃ、いいねぇ」
話が最高潮に盛り上がり、綾乃と玲香がイキイキした笑い声を合わせた。
葉奈は、とてもじゃないが、この話題には話をあわせられない。
「うるさい!ちびども、黙って座ってろ」
「えーっ、お兄ちゃんってば、ひどい」
「ちびは玲香だけじゃん。わたしはちびじゃないもん」
「えーっ、綾乃まで、ひどいよー」
伊坂の顔がまたぐっと渋められたのを見て、葉奈は彼の腕に手を添え、意を決してそっと呼びかけた。
「し、翔」
「うん?葉奈、何?」
伊坂の表情が一瞬で弛み、葉奈に向いた。
伊坂の機嫌を直すのは、この呼び名で呼ぶのが一番だ。
ただ、いまだにかなりの努力が必要だが。
逆に、機嫌を損ないたければ、先生と呼ぶとてきめんだ。
もちろんわざわざそんなことはしないが、口から思わず飛び出てしまい、結果、彼の機嫌を損ねる羽目になる。
「買い物って、どこに行くんですか?」
「ああ、言わなかったか?新しく出来たショッピングモール。父の妹が、今度そこに出店したんだ」
「はぁ、そうなんですか」
「叔母様、自分でデザインもしてるの。けっこう人気あるみたいだよ。これまでの店は、どっちかっていうと高級ブティックみたいな店ばっかりだったけど、今度のとこはかなり広いから、カジュアル系も揃えてるって言ってた。バッグに靴なんかも、そんなに多くないけど置いてあるらしいよ」
こともなげに言う玲香。葉奈はいささか気後れした。
どうも伊坂の親類縁者は、葉奈とは住む世界が違うひとばかりのようだ。
「ふぅーん、カジュアル系もいいけど、わたしはドレッシーなドレスが欲しいな。クリスマスも近いし、パーティドレスとかさ。葉奈が素敵な黒のドレス持ってるの。わたしもあんなの欲しいな」
「うんうん。そのドレス見た見た」玲香が嬉しげに叫んだ。
「まあ、好きに買えば。けど、綾乃、お前たぶん似合わないぞ」
「な、なんですってぇ」
「綾乃。翔の意見なんかまともに聞くことないよ。乙女の心の通じない、わからんちんなんだから。葉奈さん、可哀相」
伊坂がむっとしたのを見て、葉奈はまた伊坂の腕にそっと触れた。
葉奈の顔をちらりと見て、伊坂が甘く微笑んだ。
葉奈は恥ずかしさが過ぎてくらくらした。
後ろに座っているふたりと同じ空間と伊坂とふたりだけの特別な空間に、同時に身を置いているような不思議な感覚に、葉奈の胸がドクドクと高鳴る。
「玲香。お前もやめた方がいいぞ」
しばらくして、伊坂が前を向いたまま言った。
「えっ、何を?」
「葉奈の持ってるような黒のドレスは…」
「なによっ」
玲香が言葉の先を見越して怒鳴るように言ったが、伊坂はまったく気にせず先を続けた。
「身体に多少でもおうとつがないと、悲しいことになる」
葉奈は思わず後ろを振り向き、玲香の傷ついた表情を目にして怒りが湧いた。
「伊坂先生、言い過ぎです」
「そうだよ。翔はいつも言葉がきつ過ぎるよ。そんなんじゃ、いつか葉奈に嫌われちゃうよ」
綾乃に指摘され、むっとした表情の伊坂が、気まずげに葉奈に向いた。
「そんなにきつかったか?」
葉奈は頷いた。
伊坂の表情が曇った。かなり反省したように見えた。
「そうか、正直すぎたか。玲香、ごめん」
葉奈はかくんと頭を落とした。まったく謝罪になっていない。
「うはっ、最悪、翔」綾乃が言った。
玲香は口をむーっと横に引き伸ばし、涙目で兄を睨みつけている。
「わたしは玲香さんが羨ましいです。可愛らしい服が似合うんだもの」
「だからさ、葉奈も似合うってば。今日は最高に可愛いピラピラの服買おうよ」
「葉奈さん、わたしも一緒に選んであげるね」
葉奈は後ろに振り向き、玲香に向けてありがとうの意味を込めて頷いた。
いつだって、そう考えてお店に行っても、けっきょくはシックなデザインのものを買ってしまうのだが。
だいたい、可愛い服を手に取るところからして、恥ずかしくて出来ないのだから。
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