恋風

クリスマスバージョン
その8 華



ショーの開始を間近にして、会場には一種独特の重みのある空気が漂い始めた。

照明のライトが当てられた部分だけが、特殊な空間を作り、客の座っている丸いテーブルの中央のほのかな明かりが、彼らの顔をぼんやりと浮かび上がらせている。

舞台中央ではショーの始まる前のレセプションが長々と行われていたが、素人集団は、そんなものよりも別のことに気をとられていた。

葉奈の話を聞いた綾乃と玲香は、暗闇の隠れた場所から客席を眺め、トウキと噂の謎の彼女がいやしないかと探しているところだった。

「いた。いたよ。あれはたしかにトウキだわ」

声を出せないために、綾乃が口をパクパクさせながら言った。それに玲香が応じた。

「ほんとだ。トウキ、かっこいいねぇ」

「ね、トウキの右隣のあの子。すっごく可憐で清楚でしょう」

葉奈が言うと、綾乃が頷いた。

「たしかにトウキにお似合いだよ。それだとあの、まばゆい美女は誰なんだろね?」

首をぐっと伸ばしていた玲香が、さっと引っ込めた。どうやら更紗に目で注意されたらしい。

「あの子のお姉さんじゃない?…それかトウキのお姉さんとか」

更紗の視線から逃れた玲香が、ちょろりと舌を出して笑いながら言った。

「とすると、もうひとりの大人な男性はお姉さんの婚約者?」

「うんうん。きっとそうだよ」

ふたりの口パクの憶測会話に葉奈は笑みを浮べた。
ほとんどあたっているかも知れない。

それにしても、客席に座っているカップルの華やかさは、モデルたちに劣らない。

葉奈も見知っている女優や俳優も数人発見したし、はっきりとは分からないが、見たことのあるような顔が多かった。

そして、客の中の少なからぬ人数が、更紗のドレスを着ているようだった。
この中にいれば、葉奈のドレスもそれほど違和感がない。

客席を眺めていた葉奈は、伊坂のいる場所に視線を向けた。が、いるはずの席に伊坂はいなかった。

「伊坂先生、いなくなっちゃってる。どこに行ったのかしら?」

「あれ、ほんと、いないね。さっきまでそこのテーブルにひとりで座ってたのに。へっ!」

綾乃が鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くした。
その視線を追って葉奈も驚いた。

伊坂がふたりの男性を伴い、先ほどまで座っていたテーブルに座ったのだ。

ひとりは伊坂の兄、そしてもうひとりは吉永だった。

「ど、どうしよう。葉奈、吉永先生、なんでか来ちゃってるよ」

綾乃の舞い上がった様子に、葉奈は苦笑した。

伊坂が彼を誘っておくとは言っていたのだが、ファッションショーなどには絶対に来ないだろうと綾乃と話していたのだ。

「先生、背広着てる」

呟くように綾乃が言った。完全に目がイッている。

学校での吉永は、たいがいポロシャツにズボンだ。
いまの時期だと濃紺や黒系のセーターを重ねて着ている。
白とブルーが基調の服をスマートに着こなしている吉永は、根っからの紳士に見える。

「翔なんかと比べ物になんないくらい、かっこいいよぉ」

吉永の隣に座っている伊坂と比較して綾乃が言い、葉奈は噴き出そうになった笑いをぐっと飲み込んだ。

「綾乃の言うとおりだよ。お兄ちゃんたちなんかより、だんぜんかっこいいよ」

「でしょう」

玲香の熱のこもった同意に、綾乃が満足そうに頷いた。

「すみません、そろそろ支度を…」

紹介されていたスタッフに声を掛けられて、葉奈たちは舞台裏に入った。
いよいよかと思うと、気持ちがどんどん張り詰めてゆく。

三人は、椅子に腰掛けさせられ、プロのメイクのひとの手で薄めに施されていたメイクの上に、少し濃い目の色を重ねられた。

目の前には鏡などはなく、隣で同じようにメイクされていく綾乃と玲香の変わりようを、自分のものと重ね合わせて想像するしかない。

プロのメイクマジックに、葉奈は目を見張った。

玲香は抱きしめたくなるくらい、キュートで甘い表情になり、二十歳といっても通りそうなほどだ。

綾乃ときたら、本来の彼女の可愛らしさの中に秘めている色っぽさがぐっと際立ち、綾乃でありながら綾乃でなくなってしまったという感じだった。

なぜか分からないが、三人はメイクに関して一言もものを言わず、ただただじーっとお互いの顔を見詰め合っていた。

メイクを終え、髪をセットされ、三人は別々に、カーテンで仕切られたスペースに入れられた。

葉奈も心細さを押し込めて、促されるままその中に入った。
中は思ったよりも広く、服を脱いでいると、驚いたことに更紗が入ってきた。

「さ、がんばりましょ」

更紗がいくぶんの緊張を込め、けれど軽い調子でその場にいた葉奈を含めた三人に向かって言った。

葉奈も勢いに飲まれて大きく頷いたが、ふたりのスタッフは、真剣な眼差しで「はい、先生」と強く即答した。

「葉奈さん、今日着て頂くドレスは、いま着ていたドレスよりも胴回りが全体的にかなり細く仕上げてあるの。そのぶんコルセットで締めます。よろしい?」

よろしいもなにも、有無を言える雰囲気ではなく、どうやらただの告知らしい。
葉奈は小さく頷いた。

ドレスは仮縫いの時のものと、同じに見えなかった。

ラメの入った薄い生地がたっぷりとドレスの中に混ぜられている。
大きく開いた襟首のところにも、羽かと思うようなやわらかで軽い素材の飾りがふんだんについていた。

一足歩を進めるたびに、ドレスそのものがふわふわと空に舞いそうだ。

コルセットで閉められた窮屈さも、そのふわりとした印象に緩和され、葉奈の意識から抜けてしまった。

外では荘厳な音楽や軽くステップ踏みたくなるようなリズムの音楽が、そのつど観客に新鮮さを吹き込むように変化しながら流れている。

葉奈の支度が済むと、スタッフにいくつかの指示を残して、更紗は急いで出て行った。

緊張した面持ちのスタッフのふたりは、床に座り込み、黙ったまま時計ばかり気にしている。

何か気楽なおしゃべりでもしてくれればいいのにと思いながらも、葉奈は立ち尽くしていた。

残念ながら椅子らしきものはなかった。
ドレスに皺をつけないためなのだろうか?

葉奈が思わずついたため息に、スタッフのひとりが反応して顔を上げた。

「立っているのは辛いですか?コルセットでかなり締めているから、座るとなおさら苦しいんですよ」

その言葉にうんうんと相槌を打っていたもうひとりのスタッフが、勢い込んだように話しかけてきた。

「でも、今日みたいな特別のショーの華に抜擢されて凄いですよ。素人さんなのに…」

華…?

眉を潜めた葉奈が問い返そうとしたとき、もうひとりも勢い込んで話し始めた。

「みんなで噂しあってたんですよ。更紗先生があれほど夢中になってるのって久しぶりだから、どんな方だろうって」

「おかげで、今回のスタッフ、熱気が違うんですよ」

「そ、そうなんですか?」

葉奈は意味が分からないまま頷いた。

「でも、あなたのこの姿を見て納得です」

そう言ったスタッフは、手を伸ばしてドレスの裾を、まるで壊れ物のようにそっと撫でた。

「ほんと、わたしたちラッキーだったわぁ。あなたの担当になれたんだもの」

「だねー」

スタッフはふたりして「だねー」を繰り返した。
ふたりの顔は、喜びに溢れている。

葉奈は返す言葉が何も出てこなかった。

わたしが…華?




   
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