恋をしよう
その11 先回りされた告白



大学の校内は、未知の領域のようで、自分という存在が入り込んでも良いところなのかと、隣に海斗の存在があっても詩歩は心細さを感じた。

今日この大学で絵の展覧会があり、そのチケットをペアで海斗はもらったのだそうだ。

迷いもなく歩んでゆく海斗と並んで歩きながら、独特の空気が漂う風景を心地よく味わいながらも、詩歩はこんな風に海斗の隣にいることが、自分に許されるのだろうかという思いが湧き上がってくるのを、どうしようもなかった。

展覧会はけっこう賑わっていた。
会場を並んで歩きながら、それぞれの絵について感じたままを語り合うのも楽しかったし、感覚的に心が相容れない絵があると、ふたりして遠巻きに歩いたりするのも楽しかった。

「ちょっと寄りたいところがあるんだけど、いい?」

会場を出たところで海斗が言った。
詩歩は頷いて、彼の後について行った。

一旦外に出て数分歩き、建物の中に入ると、海斗は入り組んだ通路をどんどん奥へと入って行く。

ひとつのドアの前まで来て、海斗が詩歩に振り向いた。

詩歩はそのドアに掛かったネームプレートをひたと見据えた。
シンプルなプレートには「保科」と書いてあった。

「父は、この大学の教授なんだ。チケットをくれたのも父なんだ」

「大学、教授」詩歩は驚きに瞬きした。

海斗の父親だとすれば、なるほどと。と、思ったものの、驚きはとめられない。
あまりに崇高な存在な気がした。

「来たら、顔出すようにって言われたんだ」

「そ、それじゃ、わたし、待ってるから。門のところで…」

おどおどと口にして、踵を返そうとした詩歩の手首を、海斗がさっと掴んだ。

「大丈夫、怖くないから」

「怖いとか、そういうことでは…」

問答を続けるよりも効果的と言わんばかりに、彼は詩歩の手首を掴んだままドアを叩いた。


「君が、あの天国の花の…」

自己紹介のすぐ後、詩歩と握手をしながら、海斗に良く似たやさしい笑みを浮べて、彼の父、光一郎が言った。

「あの絵には、深く慰められました」

そう言った光一郎は、詩歩をじっと見つめてきた。

「…あの絵を見て、どうしても聞きたいことがあったんですよ」

戸惑っている詩歩に光一郎はさらに言葉を続けた。

「君の中で、天国の花は、どうして琉璃色になったのかな?」

詩歩は意外な質問に、目をぱちくりさせた。

彼女は海斗が所持している天国の花を思い浮かべた。
たしかに、全体的に瑠璃色と呼ぶにふさわしい色合いをしているかもしれない。

「どの絵もそうですけど、この色と決めて描くことはないので。あの絵も、仕上がったらあの色になっていて…、いま、天国の花を描いても、あれと同じ色にはならないと思います」

光一郎が頷き、横合いから海斗が口を挟んできた。

「君が持っているもう一枚の天国の花も、違う色合いなの?…何色をしてるの?」

海斗の問いに、詩歩は黙ったまま彼の瞳を見つめ返した。
部屋に沈黙が落ちた。

物思いに沈んでいて、沈黙にまるで気づかなかった、光一郎が再び口を開いた。

「三年前に亡くなった妻の…海斗の母親の名が、琉璃と言うんです。不思議な偶然を感じてね、驚きました」

海斗と見詰め合っていたままの詩歩は、それを聞いて驚きに目を見開いた。
自分と同じく、彼も母を亡くしていたのか…

「そうだったんですか。…海のお母様、素敵なひとだったんでしょうね?」

その言葉に、光一郎がぱっと笑顔になった。

「そりゃあもう、娘の唯に良く似ていてね。可憐で…」

「父さん、詩歩の前で身内自慢はやめてくれよ。聞いてるこっちが恥ずかしいよ」

「…そうかな」

至極残念そうに光一郎は呟くと、今度は詩歩に向けてこう言った。

「それにしても、海斗が思いを寄せるひととお逢いできて、実に嬉しいですよ」

光一郎は、目を丸くしたまま詩歩が固まったことに気づかず、先を続けた。

「海斗、そろそろ帰ろう。昼食の支度も出来てるだろう」

「父さん…」

「なんだ」

「僕自身、まだ詩歩に告げてなかったのに…」

「昼食のこと、まだ話してなかったのか?」

「そっちじゃない」

心底呆れたという表情で、海斗は力なく首を振った。

「そっちじゃない?」

眉根を寄せて光一郎が繰り返した。





   
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