律儀な子猫 

ハロウィン特別編

その2 おばけのお客様



両手いっぱいに荷物を抱えた澪は、やっとの思いでマンションの玄関に辿り着いた。

息を切らした澪は、両手の荷物をいったん床に置くと、ぜーぜーはーはーと呼吸を整えた。

すぐに玄関横のガラス窓が開き、管理人の源次郎が顔を出した。

「澪ちゃん、ずいぶんと買い込んで来たもんだなぁ。大丈夫かい?」

「う、うん。源ちゃん。ちょっと大丈夫じゃないけど、もうすぐ大丈夫になりそう。はぁー」

大きく息を吐き出す澪を見て、源次郎は大声で笑いながら管理人室から出てきた。

澪は荷物のほとんどを源次郎に持ってもらい、部屋に戻った。

「今夜、早めに来られる?」

「ああ。もちろんだとも。ここひと月かけて頑張ったんだからなぁ」

今日はハロウィンだ。澪は、人数的にはささやかな、けれど内容の濃いハロウィンパーティーを計画していた。

深沢にも前もって話そうかと思ったのだが、フカミッチーの呼び名すらいい顔をしない深沢では、ハロウィンパーティーで、仮装をして楽しもうと言っても、素直に頷いてくれるとは思えなかったのだ。

だから、彼には内緒で、澪は源次郎と自分の分の仮装、そして深沢の仮装の衣装を、ここひと月掛けて作り上げたのだ。

イラストレーターの仕事も、いまの時期は悲鳴を上げそうなほどたくさん抱えていたから、深沢のいない日中は、それはもうてんてこ舞いの忙しさだった。

それを切り抜け、やっと今日を迎えられたのだ。

ご馳走の準備ももっと早目にやりたかったのだが、仕事の締め切りを守らないわけには行かず、このところずっと、マンションの澪の部屋にカンヅメ状態だった。

もちろん、作戦を深沢に知られては、もともこもないから、彼女はかなり大変だったのだ。

しかし、度が過ぎるほどおっちょこちょいな澪にしては出来過ぎなくらい、深沢には内密に、事を進められてきたはずだ。

澪はエプロンをつけて腕まくりをし、即座に料理に掛かった。
やることはごまんとあるのだ。

約束どおり手伝いに来てくれた源次郎に部屋の飾り付けの手伝いを頼み、準備は着々と進んで行った。

ある程度用意が整うと、源次郎は仕事に戻ってゆき、ひとりになった澪は、最後の総仕上げをした。

おばけのかぼちゃがソファの上にでんと据えられ、カーテンには澪の書いたお化けのイラストを切り取ったものを貼り付けた。

あっという間に日は暮れ、深沢が戻ってくるだろう時間が迫ってくると、澪はテーブルにラップを掛けたご馳走を並べた。

少し薄暗くしてローソクを灯すと、澪仕立てのハロウィンパーティー会場はついに完成をみた。

澪は部屋を見回して、その効果にうっとりとした。

しばらくぽおっと室内を見渡していた彼女は、我に返ると、慌てて自分の部屋に駆け込んだ。

最後の、仕上げがまだだった。

いますぐにでも深沢が帰ってくるかもしれないという気持ちに急かされ、澪は急いで着替えを開始した。

エプロンを脱ぎ捨て、服を脱ぎ捨て、勢いブラまでも脱ぎ捨て、澪はベッドの上においていた衣装の一枚、薄い生地で作った真っ白な服を頭から被った。

肌が透けて見えそうなほど薄い生地で作られたこの服は、ひらひらがいっぱいついたドレスだ。
お姫様のドレスをイメージして作ったのだ。

胸元には、彼女の手製の大小さまざまなハートが、あちこちにくっ付いている。
それらはみんな袋状になっていて、ひとつひとつに飴玉が入れてあるのだ。

お姫様のドレスにしては丈が短いし、生地も薄すぎるが、この方が、絶対に深沢を喜ばせるに違いない。

ハートを満足そうに眺めた澪は、ハッとして慌てて部屋を飛び出した。

大きなカゴにお菓子を山盛りにしておくはずが、うっかり忘れていたことを思い出したのだ。

澪は台所で、必死に手作りのクッキーとビスケットをカゴに入れ、買ってきたチョコレートや飴玉を入れ、お菓子の山を作り上げた。

そのカゴをすでに余裕のないテーブルの角に、なんとかねじ込むように置くと、澪はまた部屋に飛んで戻った。

お姫様ハートドレスの上には、紫色の質素なワンピースを羽織る。

そして、魔女に必要不可欠なマントを着け、最後の仕上げに金平糖のような色とりどりの星がついた三角帽子を被るのだ。

インターフォンのベルが二度続けざまに鳴った。
源次郎との取り決めで、仕事を終えた源次郎がこれからやってくるという合図だ。

澪は、これから起こるであろうことを想像して、込み上げる嬉しさに思わず歓声を上げ、ベッドの上の被り物を目にとめてにやりと笑った。

源次郎の被る予定のフランケンシュタインだ。

源次郎の仮装を、何がいいかふたりは相談し、澪のお勧めを吟味して、最終的に源次郎はフランケンシュタインの変装に決めたのだ。

どこで買ってきたのか、源次郎はフランケンシュタインの被り物まで用意してきた。

これらのものを深沢の目にふれないように、いかにこの一ヶ月自分が大変な思いをしてきたかを思い出し、澪は自分を盛大に褒めた。

そしていま、その努力が実を結ぶのだ。

インターフォンが予定した来客を知らせ、澪はフランケンシュタインの被り物をつけると、スキップを踏みながら玄関へと向った。

澪は大きく玄関を開けて、「がおーっ」と声を上げた。

その時点で、がおーっというのは、狼男で、フランケンシュタインではなかったなと澪は思った。

だが、それもまたどうでもいいことだと思い直しながら、澪は目の前にいるはずの源次郎の姿を探した。

「あら…源ちゃん…」

澪はキョロキョロと左右を見回し、首を捻った。

「な、な」

か細い震える声が足元の方から聞こえ、澪は眉を寄せて唇をすぼめ、足元にフランケンシュタインの顔を向けた。

けれど、大きな被り物をかぶっているせいで、視線の方向が定まらない。

そんな澪の狭い視界に、お化けがいた。

澪はぎゃっと叫んで飛びのいた。

「な、なのなの…」

おばけが言った。

よくよく見ると、それはおばけでもなんでもない、白い布を頭から被った幼い子どもだということに澪は気づいた。それも女の子だ。

お化けは、可愛いカゴを両手で抱え、赤い可愛らしい靴を履いていて、両足をもじもじさせている。

「ほら、奈乃ちゃん、お菓子を…さん、はい」

女のひとの声がした。

どうやらドアの後ろで小さなお化けを操っている人物がいるらしい。

女性の声であることからすると、それはたぶん女の子の母親なのだろう。

「奈乃なの、奈乃、おかちなの…おかちなの」

どうやら、ハロウィンは澪が思っていたよりも、日本に浸透していたらしい。

おばけの姿をして、お菓子をもらいにきてくれたのだ。

そう澪が感激している間も、ドアの背後では母親の応援が続いていた。

母親の力添えがあるからこそ、澪のとんでもない扮装にも負けず、ちっちゃなおばけはその場に踏みとどまっているのだろう。

小さいくせに、なんと、見上げた根性だろう。

怖がりだった幼い澪には、真似の出来ない芸当だ。

澪は大いに感激した。

こんなフランケンシュタインを相手に、お菓子をねだるなんて…

「おかち、くーなきゃ、いたちゅらちゅるの」

「おおー、奈乃ちゃん、よく出来まちたぁ」

母親の歓声が上がったところで、澪は笑いながら居間に駆け戻り、かごの中から両手いっぱいのお菓子をすくいあげて、玄関に戻った。

おばけのカゴの中は、お菓子でいっぱいになった。

お菓子を目にしたおばけは、ぴょんと飛び上がり、ひどく感激したのが判った。

「ママー」

そう叫ぶと、おばけはドアの後ろに駆けて行き、澪からは見えなくなった。

玄関のドアが自然に閉じて、お化け騒ぎは残念なことに、終了してしまった。

だが楽しかったことに変わりはない。

澪はくすくす笑いながら、フランケンシュタインの被り物を外した。

またすぐにインターフォンが鳴った。
今度は源次郎だった。

「源ちゃん、いま、とっても楽しいことがあったのよ」

「知っとるよ」

「見てたの?」

源次郎は玄関先に立ったまま、大笑いを始めた。

「いったいどうしたの?」

「あの子の親は、間違えたんだよ」

「間違えたって、何を?」

「部屋をさ。一階分間違えたんだ。いま教えてやったがな。ひどく恐縮しとったから、この部屋のお嬢さんは喜んどるし、気にすることはないと取り成しておいたよ」

笑いを堪えつつそう言い終えると、源次郎はまた笑い出した。

「なーんだ。でも、楽しい間違いだったわ」

「たまたま澪ちゃんがそんな格好をしとったから、気づかなかったんじゃろうかな?」

「そうかも。でも、可愛いおばけちゃんだったなぁ」

できれば、あの布の下に隠れていた顔を、見てみたかった…

「ふたりのおばけちゃんは、まだ先かい?」

源次郎の言葉に、澪はきょとんとした。

「え?」

「君らふたりの赤ちゃんだよ。結婚式はまだまだ先の予定なのかい?」

「まだお互いの親にも逢ってないんだもの。フカミッチーは早くご挨拶をって繰り返し言うんだけど、フカミッチーもわたしも、いまは忙しくて…」

「そうか」

「源ちゃん、ねぇ、早く着替えたら。フカミッチーがそろそろ帰ってくるかも…」

澪は床においていたフランケンシュタインの被り物を手に取り、つくづくと眺めた。

少しコミカルなフランケンシュタインが、空洞のうつろな目で澪を見返してくる。

これならば、それほど怖くはなかったかもしれない…

「あの子の名前、奈乃ちゃんっていうのね」

「ああ。とっても可愛い子じゃよ。さて、着替えてくるかな」

源次郎が澪の部屋に入り、ひとりになった彼女は、源次郎が支度を終えて出てくるまで、ふたりの赤ちゃんを、頬を赤らめつつ夢想し続けた。




   
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