この恋、神様推奨です。


1 心を揺さぶる出会い


その1



華やかでゴージャスな振袖を前にして、伊沢菜穂は顔を強張らせていた。

深紅の薔薇が描かれた派手すぎる振袖に、彼女はこれから手を通さねばならない。

この振袖を自分が着こなせるとは到底思えなかった。なのに着付けは着々と進んでいる。

ああ、胃がキリキリする。

菜穂は、自分の様子をじっと監督している笹部香苗に視線を向けた。

エレガントなショートカットをした彼女は、菜穂の母方の伯母だ。

すでに五十を超えている香苗だが、その美貌はいまもまったく衰えていない。背が高くスタイルも申し分なしだ。さらに、広告代理店を経営している仕事のできる女性だった。

そんな香苗は、菜穂の憧れだ。

菜穂はいま、香苗のもとでグラフィックデザイナーとして働いている。

……それが、なんでこんなことになってしまったんだろう?

事の発端は一ヶ月ほど前。菜穂は香苗から広告のモデルをしてくれないかと頼まれた。仕事の内容はそれほど難しくなく、なのに報酬はとても良かった。

つい軽い気持ちで、引き受けたのだが、それが大間違いだったのだ。

なんと香苗は菜穂が引き受けた途端、これが社運を賭けた一大プロジェクトであることを明かした。

仰天した菜穂は即座に辞退したのだが……香苗に太刀打ちできるわけがなかったのだ。

おそらく香苗に話を振られた時点で、菜穂がモデルをやることは決定していたのだろう。

社運を賭けた仕事など、菜穂には荷が重すぎる。

さらに、この仕事は全国規模の結婚式場のプロモーション広告であり、初対面の男性と、結婚を控えたラブラブなカップルを演じなければならないという。

そんなことわたしには無理なのに……

どうも自分は恋愛に不向きな人間みたいなのだ。

どんなに素敵な人に対しても、好ましく思うだけで恋愛まで気持ちが育たない。

それどころか、友人みたいな人間関係に心地よさを感じてしまう。

恋愛に憧れないわけではない。けれど、恋という感情を抱けないことには恋愛はできない。

そもそも、どんな気持ちを抱けたら、恋って呼べるんだろう?

それがわからないわたしのハートは、欠陥品なのかな?

たとえば本や映画みたいに、運命の人と出会えたら来いってできるものなの?

もしそうなら……神様にお願いしたら、それが叶うだろうか?

ふとその気になった菜穂は、心の中で柏手を打った。

『神様、もしわたしに運命の人がいるのなら、どうか会わせてください』

冗談めかして祈った菜穂は、くすっと笑った。

わたしってば、いった何をやってるんだか。

いつか運命の人が現れるなどと、本気で思うほど子供ではない。

それに……

いまのわたしに必要なのは運命の人じゃなくて、この状況から解放されることだ。

束の間の現実逃避から戻った菜穂は、がっくりと項垂れてため息をついた。

「では、こちらに袖を通してください」

「あっ、はい」

菜穂は諦めの境地で、言われるままド派手な振袖に袖を通した。

着付けスタッフは、手際よく振袖を着付けていく。

仕上げにぐっぐっと艶のある黒い帯を締められ、身体がきゅっと引き絞られる。

ううっ、着物を着るってほんと大変だわ。

それに、これが終わったら、撮影が始まってしまうんだよね。

はあっ。気が重いよぉ。

わたしのお相手となる男性は、どう思っているのかな?

事前に聞かされた話では、相手役は上月蒼真さんという二十八歳の男性らしい。

蒼真は設計建築事務所に勤める一級建築士なのだそうだ。香苗から彼の写真を見せてもらったが、モデルに起用されたのも頷けるほどのハンサムだった。

写真で見る限り真面目そうな人だったけど……実際はどうなんだろう?

いい人だったらいいな……

だって、まともな恋愛もできないでいるわたしが、今日初めて会う男性と結婚間近のカップルを演じなきゃいけないんだもの。

苦手なタイプの人だったら最悪だ。

想像しただけで、気が重くなってくる。

香苗曰く、素人同士が結婚前のカップルを演じる初々しい臨場感が欲しいのだそうだが……

そんなに上手くいくわけないじゃない。

伯母さんはこのプロジェクトを絶対に成功させるって意気込んでいるけど、だったら素直にプロのモデルを起用すればよかったのよ。

はあ。わたしのせいで失敗したらどうしよう……社の命運がかかった大仕事、万が一にも失敗できないのに。

考えれば考えるほど、不安がどんどん大きくなる。

やっぱり、どうあっても断るべきだったんだわ。こんな大役、この私に務まるわけがないんだから。

自信のを持てず落ち込んでいる間に、着付けは終わったようだった。

「笹部社長、いかがでしょうか?」

着付けスタッフが、礼儀正しく香苗にお伺いを立てる。

「そうねぇ。……伊沢さん、ちょっとその場でゆっくり回ってみて」

「は、はい、社長」

菜穂は仕事中、香苗のことを社長と呼んでいる。そして伯母もまた、菜穂を伊沢さんと呼ぶ。

香苗の指示に従い、菜穂はゆっくりとその場で一回転した。だが、妙に緊張してしまい、動きがぎくしゃくしてしまう。

「もう少し自然に回れないものかしらね」

眉間に皺を寄せ、香苗は呆れたように言う。その言い草に、さすがの菜穂もムッとした。

「わ、わたしはプロのモデルじゃありません」

「あら、素人でも、もう少し上手く回れるわよ。あなた緊張しすぎなのよ」

平然と言い返されて、菜穂はため息をつく。そして、香苗に向かって口を開いた。

「社長、やっぱり素人以下のわたしが一大プロジェクトのモデルなんて、無理ですよ」

社運を賭けた一大プロジェクトだというのに、なぜ自分の姪っ子なんぞをモデルに選んだのか……伯母の考えがさっぱりわからない。

「またそれ?」

「だって、こんな大掛かりなプロジェクトだとは教えてくれなかったじゃないですか。最初からわかっていたら、引き受けたりしなかっ……」

言葉の途中で、パン! と大きな音がした。

菜穂は驚いて、両手を打ち鳴らした香苗を見る。

「はい。この話はおしまい。すでにプロジェクトは動き出しているのよ」

会話を強引に終了させた香苗は、畏まって返事を待っている着付けスタッフに声をかけた。

「ねぇ、この帯もっと大胆な形に結べないかしら。こぢんまりしていて、なんだか物足りないわ」

「わ、わかりました」

ダメ出しを食らった着付けスタッフは、焦って帯をほどきはじめる。

結局、五回結び直して、ようやく香苗の納得する帯の形になった。

その間、何度もぎゅうぎゅうと帯で身体を絞られた菜穂は、撮影前からすでにぐったりだ。

着物に慣れていないから、立っているだけでも胸が圧迫されて苦しいのに……

胸に手を当てて、ふうっと息を吐く。

「派手ね」

そんな声が耳に入り、菜穂は香苗の方を向いた。香苗は菜穂の顔をじーっと見ている。

「な、なんですか?」

「ちょっと化粧が派手だったかしら……。けど、写真に撮られるなら、このくらい派手にした方が見栄えがしていいわよね」

香苗は何度も角度を変えて菜穂の顔を眺めながら、独り言のように呟いている。

人の顔を派手派手って……すっごい気にしてるのに。

目鼻立ちがはっきりしているせいか、菜穂の顔は化粧をすると途端にケバくなってしまうのだ。

それが嫌だから普段はナチュラルメイクを心がけている。

なのに今日は、専門のメイクさんによって目いっぱい濃い化粧をされてしまった。

おまけに着ている振袖も超ド派手とくれば、きっと顔のケバさが強調されて見えているに違いない。

「手直ししますか?」

メイク担当のスタッフが気を利かせて申し出てくれる。

それに内心で喜んだのも束の間……

「いいわ。まずはこれで試し撮りしましよう。それを見てから決めるわ」

鶴の一声ともいえる香苗の言葉に、菜穂はがっくりと項垂れたのだった。





    
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