《シンデレラになれなくて》 番外編
百代視点


第1話 思考追及の引き際



何かが始まる。

携帯の着信音を聞いた瞬間、身体の中に発した表現のしようのない震動は、彼女の意識に、そんなひらめきを与えた。

それは、彼女が自分からは触れようのない高次の意識からくるもので…

これとほぼ同じ感覚を、半年ほど前、百代は経験していた。

愛美を見た日だ。

そしていま、それと同じ感覚を覚えているのは…つまり…

何かが始まり、百代の世界が大きく動くということ。

それにはたぶん、愛美、そして蘭子にも大きく関連していて…

百代は鳴り続けている携帯を開き、耳に当てた。

「蘭子、なに?」

『ああ。もう出るのが遅いわよ。出ないから、切ろうとしてたわ』

苛立ちながらの蘭子の言葉、だが彼女の心はやたらウキウキと騒いでいるようだ。

蘭子自身にとって、なにやらいいアイディアとか…思いついたのだろう。

この最近の蘭子にとって、いいことというと…

もちろん、静穂か櫻井の鼻をあかせられる手立てを考え付いたくらいのことか…

だが、それだと百代や愛美にとっては、有り難くないことなはずだが…

うーむ。

どうもそう感じない。

いやそれどころか、なにかやたらといいことが起こりそうな気がしてなんない。

「なにがあるの?」

『今度の週末の土曜日、開けといて頂戴ね』

「ふーん、なにすんの?」

『パーティーに参加するのよ』

パーティー?

ははん。

「そのパーティーで、上流階級のサラブレッドでも、わてらふたりに捕まえさせようってか?」

百代の楽しげな切り返しに、蘭子は一瞬黙り込み、むっとしたらしき気配が伝わってきた。

『面白くない子ね。それに、そういう表現はおやめなさいっ!」

蘭子のたしなめるような言い草に、さらに百代の笑いは膨らんだ。

「だって、蘭子、そういうつもりじゃん」

『いいこと百代。静穂に勝つためには、そんじょそこらの男じゃダメなの。分かる?』

「その言葉は、もう前に聞いたよ」

蘭子の気が激しく変化したのを感じて、百代は耳からさっと携帯を遠ざけた。

『念を押してるのよっ!』

その瞬間的な怒鳴り声が携帯から飛び出たところで、百代はまた携帯を耳に当てた。

「はいはい。それで? 段取りは?」

『…えっ、く、来るの?』

百代がまるきり渋らなかったことに、蘭子はびっくらこいたようだった。

「強制参加なんじゃないの?」

『そ、そうだけど…。あんたが、あんまりあっさりしてるから…。だって以前誘ったとき、パーティーとかどうでもいいとか言ってたじゃない』

「そんときゃそんとき。いまはいま。それで? やっぱりパーティードレスとか着て、派手に化けてくわけでしょ?」

『…まあ、そうよ。ドレスとか必要なものは全部わたしの方で、あんたに似合いそうなのを用意するから…」

おおっ!

「黒、黒、蘭子、黒にしてよっ! 黒のドレス! ピンクなんか、ぜーったいダメだかんね!」

電話の向こう側が、少しの間静かになった。

百代は蘭子の考えている事を感じ取って、舌打ちしそうになった。

『まあ、いいから、任せてちょうだい。それじゃね』

「蘭子っ、黒だよーーーーーっ!」

百代は、目一杯の音量で叫んだが、叫びの途中で通話は切れていた。

「く、くそおぉぉっ!」

しばらくの間、くやしまぎれに地団太踏んだ百代は、腕組みをし、むーっとしてその場に座り込んだ。

蘭子はまず間違いなく、百代用にピンクのドレスを用意するだろう。

黒がいいのに…

黒でなきゃ…

百代は眉をしかめた。

わたしってば、何をそんなにドレスの色にこだわっているんだろう?

確かに黒は、彼女にとってパワーを感じる色だけど…

彼女は、自分の額に手のひらをピタリとくっつけた。

なぜか額がチリチリし、心臓がドキドキと高鳴ってくる。

わくわくを感じるのに、これまで感じたことが無いほどの濃厚な哀しい色が混じっているように感じるのはなぜなのだ?

百代は手近にあったクッションを背中に回し、コロンと転がって天井を見上げ、そのまま目を閉じた。

そして心を静める…

パーティー…

愛美の顔が浮かんだ。

そして…ぼんやりとした影…

背の高い男性だと分かる。

けれど揺らぐ影は、それ以上、百代に何も教えてくれない。

まあ、いいか…

正直よくはなかったが、百代は考えるのを止めた。

思考追求の引き際は心得ている。

前もって何かを知ろうとしても無駄なことだ。

それに起こることはいずれ起こるのだから、その時を待てばいい。





藤堂家の別邸は、相変わらずの絢爛さだった。

ちょっと品がないような気がするが、蘭子の両親は上品さよりも、派手に見えることの方を重視する。

つまりは、かなりの見栄っ張り。

もともとの性格はふたりとも悪くないのだが、人より高みにいたがるタイプのひとたちだ。

蘭子の姉の橙子は違うが、残念ながら蘭子は両親の考え方を受け継いでしまってる。

それは百代の中の蘭子の評価を、大幅に下げているわけだが、それは蘭子の表面意識。

いずれ蘭子は、何がほんとに大事か悟れるだろう。

それにおおいに力を貸すだろう人物は、たぶん愛美。

愛美ほど純粋な魂の持ち主を、百代は他に知らない。

橙子さんも純粋な魂を持ったひとだが…なにか…彼女には痛みを感じる。

蘭子も純粋なのだが…それゆえ、気性の激しさが仇になってるというか…

思い込みが激しいし、自分がこうだと思ったら、とことん考えを変えようとしない。

全体的にやっかいな友だが、百代の世界を楽しいものにしてくれているという点では評価は高い。

桃色のハイヒールは少々大きかった。

パーティー会場に向かう友の後に遅れまいとするのだが、この脱げそうな靴のせいで、どうしても遅れがちだ。

数メートル先に行ってしまった蘭子と愛美を見て、百代は唇を突き出した。

そのうち百代が遅れていることに気づいて、向うから合流しようとするだろう。

そう考えた百代は歩くスピードを落とした。
そして、周りに視線を回した。

いったい、このパーティーで何が起こるんだろう?

何かが起こるのが分かるだけに、どうにももどかしい。

「百代、きょろきょろしないの!」

小さな声の叱責が飛んできて、百代は目の前にやってきた蘭子に向いた。

「ハイヒールが大きいんだよ。歩きづらいの」

「わたしのなんだから仕方ないでしょう。 中敷入れたから、少しはいいはずよ」

「愛美は? 置いてきてよかったの?」

「ひとりで歩き回るような子じゃないわ。同じところでじっとして待ってるわよ」

まあ、そうかもしれない。かなり緊張していたし…

ちょっとばかし、愛美が心配になり、百代は愛美の姿を探して爪先立ちで前を見たが、背の低い百代には愛美の姿は見つけられなかった。

「そうだわ」

「何?」

パーティー用の小さなバッグを開けた蘭子は、ケースを取り出して百代に差し出してきた。

「これ、預かってて。でも、愛美に返すのは帰りにしてね」

「愛美が足元もつれさせて転んだらどうすんのよ?」

「そんなことにならないように、あんた、しっかり見張っててちょうだい。せっかくあんなに綺麗に変身させたのに、こんなダサい眼鏡掛けたら、全部おじゃんよ」

「…蘭子」

百代は静かに蘭子に呼びかけた。

百代と目を合わせた蘭子は、気まずそうな顔になって頬を染めた。

「わ、わかったわよ…悪かったわ。…必要だと思うときに返してあげて」

「了解」

百代は答えながら歩きだした。





  
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