《シンデレラになれなくて》 番外編
百代視点


第2話 魔女の特別



パーティー会場の料理は、期待以上に美味しかった。

それに、ひっきりなしに、男連中がやってきて、百代や愛美の気を引こうとしてくるのも面白かった。

なんだかこの会場の男達は、女をひっかけることに命を燃やしてるようだ。

それも、本気の恋なんかは軽んじている連中ばかり。

彼らは一夜のアバンチュールとかいうのを求めてるんだろう。

金持ちのぼんぼんばっかりだからか、精神がやたら軽い。

もちろん、中にはそんな男じゃないのもいるが…

料理を食べていた百代は、身体に発生した反応に戸惑い、眉をしかめた。

な、なんだ?

なんか、知らないが、身体の芯が落ち着かない。

トイレに行きたいからのような気もするのだが…そんなことじゃないような…?

だが、身体の芯のもじもじした感じはどんどん強くなってくる。

なんだか、やっぱりトイレに行きたいだけのような気もしてきた。

「愛美、わたし、おトイレに行って来るから、これ持ってて」

百代は、ケーキを頬張っている愛美に皿を差し出した。

「わたしも一緒に行くわ」

うんと頷くはずだったのに、彼女は「駄目だよ」と言っていた。

ピンと来たのだ。

百代が感覚で受け取っていた、始まるべきことが始まろうとしてる。

そのせいだ。このもじもじ感!

それは悪いことじゃない。

「食べかけのお皿、持ってけないもん。すぐ戻るって」

百代はそう愛美に言い、ひどく戸惑っている彼女を置いて走り出した。


愛美を置き去りにすることに、まったく不安は感じなかった。

愛美に、悪いことはけして起こらない。

それはつまり、百代がいなくなることで、愛美に何かが始まるってことなのじゃないだろうか?

たとえば、愛美が運命の王子様と出会うとか…

百代はふっと笑みを浮かべた。

なんだか当たりを掴んだようだ。

百代は弾む胸に正直に、スキップを踏みつつ、化粧室に入った。

用を足した百代は、手を洗いながら豪華な縁取りの鏡に映った自分を見つめた。

黒のドレスが良かったのに、こんなピンクのドレスなんか着せられて…

まったく蘭子は…本人の好む色の服を着せてくれればいいのにさ。

黒を着てたら、もっと勘が冴えて、愛美に起こることも、もっとはっきりと感知できたかもしれないのに…

百代は、バッグから取り出したハンカチで手を拭き、バッグの中に入れている愛美の眼鏡ケースを見つめた。

愛美の眼鏡か…

彼女は眼鏡ケースを開けて眼鏡を手に取り、自分の顔に掛けてみた。

「うおおおおっ!な、なんとも、世界がびっくり逆転ってか?なんも見えねぇ」

これって、逆に考えると、愛美は普段こんな感じの世界に住んでるってことなのか?

いや、愛美の場合、見えない目を見えるようにしてるわけで、百代の場合は、よく見える目をもっとよく見えるようにしてるってことで…

だが…これはこれで案外楽しい♪

百代はにはっと笑うと、眼鏡を掛けたままヨロヨロしつつ化粧室から出た。

廊下のあちこちに影法師のようにひとがいるのが分かるが、男か女かも分からない。

歩くほどに頭はくらくらしてきて、吐き気までしてきた。

おら、負けねぇぞー。

そんな無駄な頑張りを出し、必死に歩いていた百代は、何かにつまずいた。

「おおっと」と叫びながら一歩前に足を踏み出したが、その時、後ろに差し上げた反対の足に、ハイヒールは残っていなかった。

「痛っ!」

低い男性の驚いた叫びに、百代は後ろに振り向いた。

眼鏡をずらして確認すると、背の高い男性が屈んで何かを拾っている。

…って、ありゃあ、わたしが履いてたハイヒールじゃん。

桃色のハイヒールを手にした男性は上体を起こし、まっすぐ百代に視線を向けてきた。

「ど、どうもぉ〜」

ちょっとばかしバツが悪く、百代は軽く手を上げて挨拶した。

百代のハイヒールを人質にした男性は、何も言わず笑みも浮かべず、百代の方へ近づいてくる。

百代の心臓がドクドクと鼓動を速めた。

な、なんかヤバくね?

この男性と会っちゃいけない。

そう咄嗟に思った百代は、くるりと後ろに向き、もう片方のハイヒールを脱ぎ捨てざま、全速力で逃げ出した。

「おい、君。待てよっ!」

待てと言われて待つ咎人などいない。

だが、男女の力の差、体格の差で、百代は息が上がるほど走り回った末に、彼に掴まった。

「まったく…逃げること…無いだろ!」

息切れしつつ叱るように言われて、百代は荒い息を吐きつつ顔を歪めた。

「だって…逃げなきゃいけない気がしたから…」

「怒る気なんかなかったのに…こいつから脛を直撃されて、かなり痛かったけどね」

「やっぱりでしたか。ごめんなさい」

素直に頭を下げた百代を見て、相手はなぜか小さく笑った。

凛々しい顔のひとだ。それに魂も悪くない。かなり堅物そうだけど…

「逃げ出したりしないで、最初からそういう態度でいればよかったと思わないか?」

「まあ、そりゃあそうなんですけど…。咄嗟の反応って、自分でもどうにも…」

「眼鏡がずれてる」

相手が手を伸ばしてきて、鼻の上にちょこんと載っていた愛美の眼鏡を、きちんと掛けてくれた。

百代ははっとして眼鏡を外して、確認した。

あれほど勢いよく走ってしまって…眼鏡を落としてしまっていたかもしれない。

愛美にとってなくてはならない大事な眼鏡なのに…

「よかったぁ〜 壊さなくて」

「そんなに大事な眼鏡なのかい?」

「はい。友達のなんです。預かってたのを、ちょっと悪戯心で掛けて遊んでて…」

「友達の?」

「はい。あっ…」

百代は彼が手にしている桃色のハイヒールに手を伸ばした。

「こいつも友達からの借り物だったりするんですよ。拾ってくださって、どうもありがとうございました」

百代は床に置いたハイヒールを履き、改めて相手に顔を向けた。

「色々済みませんでした。それでは友達が待ってるのでこれで…」

「ちょっと待った。君、名前は?」

「わたしですか?…わたしは、名もなき桃色仮面です」

真面目な顔で言った百代に、相手はひどく渋い顔をした。

やはり、堅物。冗談は受け付けないタイプか…

「そんな風にふざけられるのは好きじゃないな。…僕は蔵元三次」

「さんじ? ちょっと珍しいお名前ですね。さんじってどんな字を書くんですか? おやつの三時じゃないですよね?」

おやつの三時にたとえられたことに、相手は憮然とした。

「悪いけど、そうじゃない。数字の三に、次元の次だ」

「…三次」

「あんたなんでこんなところにひとりでいるのよ? あの子はどうしたの?」

突然蘭子の声が飛んできた。

君こそ、こんなところでなにをやっておるのかね、と上司口調で返したかったが、確かに愛美を置き去りにしたままの立場上、口に出来なかった。

「それが、色々アクシデントが起こってさ」

そう説明したのに、蘭子は聞いちゃいなかった。

蘭子の目は、百代と一緒にいる三次という男性に向けられている。

「あら、蔵元さん? どうして彼女と?」

「色々アクシデントが起こったので」

その三次の返事に、百代は思わずにっと笑った。

堅物なばっかりのひとかと思っていたら、案外言えるじゃないか。

蘭子は形のいい眉を寄せて、そんなふたりの様子を交互に見ていたが、最後に百代に向き直った。

「帰りの車、八時前には正面玄関に来るように言っておいたから」

「うん。わかった。…そいじゃわたし、愛美んとこに戻るねぇ〜」

百代は返事をしながら駆け出した。

三次にひと言くらい、声を掛けてもよかったが、このときの百代は、彼となんとなく、これ以上のかかわりを持ちたくなかった。

だが…三次とはまた会うことになると、やっかいなほどよく当たる彼女の勘が告げてくる。

彼はたぶん…百代の特別なひとになる。





   
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