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パーティー会場の料理は、期待以上に美味しかった。
それに、ひっきりなしに、男連中がやってきて、百代や愛美の気を引こうとしてくるのも面白かった。
なんだかこの会場の男達は、女をひっかけることに命を燃やしてるようだ。
それも、本気の恋なんかは軽んじている連中ばかり。
彼らは一夜のアバンチュールとかいうのを求めてるんだろう。
金持ちのぼんぼんばっかりだからか、精神がやたら軽い。
もちろん、中にはそんな男じゃないのもいるが…
料理を食べていた百代は、身体に発生した反応に戸惑い、眉をしかめた。
な、なんだ?
なんか、知らないが、身体の芯が落ち着かない。
トイレに行きたいからのような気もするのだが…そんなことじゃないような…?
だが、身体の芯のもじもじした感じはどんどん強くなってくる。
なんだか、やっぱりトイレに行きたいだけのような気もしてきた。
「愛美、わたし、おトイレに行って来るから、これ持ってて」
百代は、ケーキを頬張っている愛美に皿を差し出した。
「わたしも一緒に行くわ」
うんと頷くはずだったのに、彼女は「駄目だよ」と言っていた。
ピンと来たのだ。
百代が感覚で受け取っていた、始まるべきことが始まろうとしてる。
そのせいだ。このもじもじ感!
それは悪いことじゃない。
「食べかけのお皿、持ってけないもん。すぐ戻るって」
百代はそう愛美に言い、ひどく戸惑っている彼女を置いて走り出した。
愛美を置き去りにすることに、まったく不安は感じなかった。
愛美に、悪いことはけして起こらない。
それはつまり、百代がいなくなることで、愛美に何かが始まるってことなのじゃないだろうか?
たとえば、愛美が運命の王子様と出会うとか…
百代はふっと笑みを浮かべた。
なんだか当たりを掴んだようだ。
百代は弾む胸に正直に、スキップを踏みつつ、化粧室に入った。
用を足した百代は、手を洗いながら豪華な縁取りの鏡に映った自分を見つめた。
黒のドレスが良かったのに、こんなピンクのドレスなんか着せられて…
まったく蘭子は…本人の好む色の服を着せてくれればいいのにさ。
黒を着てたら、もっと勘が冴えて、愛美に起こることも、もっとはっきりと感知できたかもしれないのに…
百代は、バッグから取り出したハンカチで手を拭き、バッグの中に入れている愛美の眼鏡ケースを見つめた。
愛美の眼鏡か…
彼女は眼鏡ケースを開けて眼鏡を手に取り、自分の顔に掛けてみた。
「うおおおおっ!な、なんとも、世界がびっくり逆転ってか?なんも見えねぇ」
これって、逆に考えると、愛美は普段こんな感じの世界に住んでるってことなのか?
いや、愛美の場合、見えない目を見えるようにしてるわけで、百代の場合は、よく見える目をもっとよく見えるようにしてるってことで…
だが…これはこれで案外楽しい♪
百代はにはっと笑うと、眼鏡を掛けたままヨロヨロしつつ化粧室から出た。
廊下のあちこちに影法師のようにひとがいるのが分かるが、男か女かも分からない。
歩くほどに頭はくらくらしてきて、吐き気までしてきた。
おら、負けねぇぞー。
そんな無駄な頑張りを出し、必死に歩いていた百代は、何かにつまずいた。
「おおっと」と叫びながら一歩前に足を踏み出したが、その時、後ろに差し上げた反対の足に、ハイヒールは残っていなかった。
「痛っ!」
低い男性の驚いた叫びに、百代は後ろに振り向いた。
眼鏡をずらして確認すると、背の高い男性が屈んで何かを拾っている。
…って、ありゃあ、わたしが履いてたハイヒールじゃん。
桃色のハイヒールを手にした男性は上体を起こし、まっすぐ百代に視線を向けてきた。
「ど、どうもぉ〜」
ちょっとばかしバツが悪く、百代は軽く手を上げて挨拶した。
百代のハイヒールを人質にした男性は、何も言わず笑みも浮かべず、百代の方へ近づいてくる。
百代の心臓がドクドクと鼓動を速めた。
な、なんかヤバくね?
この男性と会っちゃいけない。
そう咄嗟に思った百代は、くるりと後ろに向き、もう片方のハイヒールを脱ぎ捨てざま、全速力で逃げ出した。
「おい、君。待てよっ!」
待てと言われて待つ咎人などいない。
だが、男女の力の差、体格の差で、百代は息が上がるほど走り回った末に、彼に掴まった。
「まったく…逃げること…無いだろ!」
息切れしつつ叱るように言われて、百代は荒い息を吐きつつ顔を歪めた。
「だって…逃げなきゃいけない気がしたから…」
「怒る気なんかなかったのに…こいつから脛を直撃されて、かなり痛かったけどね」
「やっぱりでしたか。ごめんなさい」
素直に頭を下げた百代を見て、相手はなぜか小さく笑った。
凛々しい顔のひとだ。それに魂も悪くない。かなり堅物そうだけど…
「逃げ出したりしないで、最初からそういう態度でいればよかったと思わないか?」
「まあ、そりゃあそうなんですけど…。咄嗟の反応って、自分でもどうにも…」
「眼鏡がずれてる」
相手が手を伸ばしてきて、鼻の上にちょこんと載っていた愛美の眼鏡を、きちんと掛けてくれた。
百代ははっとして眼鏡を外して、確認した。
あれほど勢いよく走ってしまって…眼鏡を落としてしまっていたかもしれない。
愛美にとってなくてはならない大事な眼鏡なのに…
「よかったぁ〜 壊さなくて」
「そんなに大事な眼鏡なのかい?」
「はい。友達のなんです。預かってたのを、ちょっと悪戯心で掛けて遊んでて…」
「友達の?」
「はい。あっ…」
百代は彼が手にしている桃色のハイヒールに手を伸ばした。
「こいつも友達からの借り物だったりするんですよ。拾ってくださって、どうもありがとうございました」
百代は床に置いたハイヒールを履き、改めて相手に顔を向けた。
「色々済みませんでした。それでは友達が待ってるのでこれで…」
「ちょっと待った。君、名前は?」
「わたしですか?…わたしは、名もなき桃色仮面です」
真面目な顔で言った百代に、相手はひどく渋い顔をした。
やはり、堅物。冗談は受け付けないタイプか…
「そんな風にふざけられるのは好きじゃないな。…僕は蔵元三次」
「さんじ? ちょっと珍しいお名前ですね。さんじってどんな字を書くんですか? おやつの三時じゃないですよね?」
おやつの三時にたとえられたことに、相手は憮然とした。
「悪いけど、そうじゃない。数字の三に、次元の次だ」
「…三次」
「あんたなんでこんなところにひとりでいるのよ? あの子はどうしたの?」
突然蘭子の声が飛んできた。
君こそ、こんなところでなにをやっておるのかね、と上司口調で返したかったが、確かに愛美を置き去りにしたままの立場上、口に出来なかった。
「それが、色々アクシデントが起こってさ」
そう説明したのに、蘭子は聞いちゃいなかった。
蘭子の目は、百代と一緒にいる三次という男性に向けられている。
「あら、蔵元さん? どうして彼女と?」
「色々アクシデントが起こったので」
その三次の返事に、百代は思わずにっと笑った。
堅物なばっかりのひとかと思っていたら、案外言えるじゃないか。
蘭子は形のいい眉を寄せて、そんなふたりの様子を交互に見ていたが、最後に百代に向き直った。
「帰りの車、八時前には正面玄関に来るように言っておいたから」
「うん。わかった。…そいじゃわたし、愛美んとこに戻るねぇ〜」
百代は返事をしながら駆け出した。
三次にひと言くらい、声を掛けてもよかったが、このときの百代は、彼となんとなく、これ以上のかかわりを持ちたくなかった。
だが…三次とはまた会うことになると、やっかいなほどよく当たる彼女の勘が告げてくる。
彼はたぶん…百代の特別なひとになる。
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