《シンデレラになれなくて》 番外編
百代視点


第3話 いくばくかの不安



もおっ、愛美ってば、いったいどこに雲隠れしちゃったんだろう?

パーティー会場の中を、しらみつぶしに探したというのに、愛美は見つけられなかった。

まさか、愛美、この屋敷にいっぱいある部屋のひとつに引きずり込まれて、狼にムシャムシャ…な〜んてこと…

自分の頭に湧いた妄想のせいで焦りを感じた百代は、その場に立ち止まって目を瞑り、一心に自分の心を鎮めた。

悪いものは感じない。
魂も落ち着いてる。
ってことは、愛美は百パーセント安全ってことのはず。

なんだよねぇ〜

百代がはじめ予感した通り、どっかで、素敵な王子様と愛を育んでる?

あの消極的な愛美の性格を考えると、愛を育むまではゆかないだろうが、まあ、世間話程度に、頬を染めつつ、恥ずかしがりながら、ひと言ふた言、相手の言葉に相槌打ってたりなんか…

で、いま愛美はどこにいるのだ?

う、うーむ。

ふたりを家まで送ってくれる車は、八時には正面玄関にやってくる。

そろそろなんだよねぇ。タイムリミット…

愛美を探して会場内をうろうろしている間、百代は蔵元三次氏を、数回視界に入れていた。

親しい人と立ち話している彼は、静かに相手の言葉に耳を傾けている感じだった。

おしゃべりな男が特別嫌いということはないが、物静かな人のほうが、まあ一緒にいてうるさくないし、好みではある。

彼とは絶対、また会うことになるだろう。その時が楽しみだ。

「あっ、いた」

背を向けている白いドレスの女性。ありゃ、愛美に間違いない。

だが、愛美は百代の予想に反して、ひとりだった。

ひとりでずっといたはずは無いんだけどなぁ?

よしっ、車に乗り込んだら、いったいどこにいて、誰と何をしてたんだか、問い詰めてやるとしよう。

「愛美ってば、いったいどこにいたの?」

愛美の手を掴みながら百代は言い、そのままパーティー会場の外へと引っ張って歩き出した。

「もう帰る約束の時間なのに、愛美が見つからないから、どうしようと思ってたのよ」

「帰る…? いま、何時?」

「もうすぐ八時だよ。ここの玄関前に、蘭子が車を待たせてくれてるの。それに乗って帰ってって」

百代は部屋の中央でピアノを弾いている橙子に視線を向け、それから蘭子の姿を探してみたが、どこにいるのか見つからなかった。

「蘭子は、まだ、ここにいなくちゃならないんだって…」

会場内に視線を這わせてみるものの、やはり蘭子の姿はない。

「なんかこれから…」

いないなー。

蘭子が何を企んでいるのか、知りたいもんだけど…

「良くわかんないけどあるみたいで…」

そう言った時、ピアノの演奏が終わり、拍手が沸き起こった。

百代は知らず足を止めていた。

淡く微笑んだ橙子が立ち上がり、みなに向けて上品にお辞儀した。

まったく、蘭子の姉は、正真正銘、ほんまものの淑女さんだ。

「お姉さん、素敵過ぎだね。やっぱり、蘭子に似てるわね」

もちろん似ているのは容姿だけだ。ふたりの性格は根本的に違う。

蘭子は感情のまま生きているが、姉の橙子は、感情や思いを心の奥底に押し込め、心の表面を波立たせないようにしているように感じる。

もう玄関へと行くべきなのだが、何かが起こる気がして、百代はその場から動けなかった。

まだ、ここにいなきゃいけないような…

その時、橙子とピアノと、この場の進行を任されている司会者を取り囲んでいる輪から、ちょこちょこと背の低いおばあちゃんが出てきて、橙子の元に歩み寄った。

「まあまあ、素晴らしい演奏だったわ。橙子さん」

このおばあちゃんは?

「不破家とのご縁談も、もう、まとまる直前とお聞きしていましてよ」

おばあちゃんの言葉に、場が沸いた。

不破とのご縁談?

百代は、きゅっと眉を寄せた。

橙子の縁談が、まとまる直前?それも相手のひとは、不破の…?

うーむ。

このおばあちゃんに盾つく気はないが、そ〜んなことはないはずだ。

当の本人の橙子は、おばあちゃんの言葉に、はっきりと戸惑いを見せているし。

蘭子の話では、橙子には意中の人がいて、その人は橙子に対して、まだ恋愛感情らしきものを抱いていないということだった。

だから、まとまる直前なんてのは、このおばあちゃんの…勝手な想像。

「やはりあの噂、本当でしたのね」

百代のすぐ近くにいたおばさんが、やたら気を上げて言った。
ずいぶん楽しそうだ。

人の噂が三度の飯より好きという感じ。

「ええ。そのようだわ。不破家のご長男優誠様と、藤堂家のご長女の橙子様がご結婚となれば、ますます藤堂家は安泰ですわね」

「快く思わない者もいるでしょうけど…」

不破家のご長男の優誠様?

ほほお、蘭子の言っていた、橙子の思いびとって、不破優誠だったのか?

彼のことならば、百代も噂に聞いているし、一度だけ遠めだけど、生で見たこともある。

彼はとんでもない大物だ。

それでも、橙子の縁談の相手とすれば、納得してしまうが…

で、その当の本人である、不破優誠氏は…いったいどこにいるのだ?

ここにいないはずはないんだけどなぁ。

辺りを窺いながら、目を細めて考え込んでいた百代は、歩き出した愛美に無意識についていった。

蘭子の企みは、まだこれからなんだろうか?

不破優誠とご対面できなかったのはかなり心残りだったが、百代は玄関先で待ってくれていた運転手に待たせた詫びを言いつつ、車に乗り込んだ。

なんだかんだあったけど、パーティーはまずまず楽しかった。

百代がこのパーティーに参加したのは、あの蔵元三次氏と出会うためだったんだろうと思う。

百代は窓の外の景色を眺めながら、三次との遭遇を、頭から最後まで思い返して、胸の内でくすくす笑った。

堅物さんなのに、冗談もそれなりに言えるひとだった。

次はどこでいつ逢えるんだろう? その時を楽しみにするとしよう。

百代は、隣に静かに座っている愛美の手の動きに気づいて、顔を向けた。

疲れたのか、愛美は無表情でアップにしてあった髪を下ろし、いつものように編み込もうとしているところだった。

そうだった。蘭子の企みと、不破優誠のことと、自分が出逢った三次のことに気を取られ、愛美が誰と何をしてたのか聞き出すのを忘れていた。

あっ、眼鏡も返してあげなきゃ…

百代は自分が持っているバッグの口を開けて眼鏡を取り出し、愛美に差し出した。

「これ、預かってたの。どうしても必要になったら、渡しなさいって、蘭子が…」

眼鏡を受け取り、表情を固くして眼鏡をじっと見つめた愛美の頬に、涙が伝い落ち、百代はぎょっとした。

そして、その瞬間、自分がとんでもなく不味い失態を犯した気分に陥った。

愛美の頬には、どんどん涙が零れ落ちてゆく。

な、なんだ?いったい何が、どうしたのだ?

「どうしたの、愛美? あそこで何かあった?」

さすがの百代も、愛美のこの突然の涙は予感もなく、彼女は急くように尋ねていた。

「どうして?」

涙をボロボロと流し続けていながら、そんな答えを普通に返す愛美に、百代は不安が増した。

愛美の声は、涙を零しているもののそれではない。

いまの愛美は、感情が欠けている。

「だって…涙、零してるから…」

百代の言葉に瞳を揺らした愛美は、薄く唇を開き、そっと手を差し上げて自分の頬に触れた。

今、自分が泣いていることに気づいたといわんばかりだ。

い、いったい?

愛美の感情が、ふいに戻ったのが分かった。

慌てたように、愛美は手にした眼鏡を掛けた。

何があったのかさっぱり分からないが、とんでもなく重大なことが愛美の身に起こったのだ。

いったい何があったの?

そう問いかけようとしたものの、百代は問いを口に出来なかった。

聞くべきではない。そう直接心に囁く声がする。

心がここにはない愛美を見つめていた百代の手は、自然に動き、愛美の額に触れていた。

「どうしたの?」

そう問い掛けてきた愛美に、百代は答えずに笑みを浮かべて見せた。

百代の手のひらが、異常といえる勢いで、ぐんと熱を持った。

もちろんこんな現象は彼女にも初めてのことで、驚きに、百代はビクリと手を震わせた。

だが、熱い手のひらを額に当てられた愛美の方は、意識を無くしたかのように目を閉じてしまった。

パン!と、耳の奥で凄まじい破裂音が聞こえ、百代は思わずぎゃっと叫びそうになった。

い、今の音は?

現実に聞こえたのでは、な、なかったよね?

「あ、あのぉ。いま、なんか音とか、しました?」

百代はこの異常な現象との遭遇に落ち着かず、馴染みの運転手におずおずと問い掛けていた。

「音、でございますか?いいえ、特別これと言って、耳にしておりませんが…」

「そ、そう。そっか、空耳だったみたい」

適当に笑いで誤魔化し、百代はふっと息をついて力を抜き、座席にもたれた。

首を回して愛美を見ると、ぐっすりと眠り込んでいる。

いまになって気づいたが、手のひらの熱はすっかり引いていた。

どうもあの音がした瞬間に、手のひらの異常な熱も引いたような気がする。

害はないよね?

いくばくかの不安に囚われ、百代は愛美の様子を窺った。

ひ、必要なことが起こったんだよ。んだ。んだ。

百代は居心地悪い思いをなだめ、必死に自分を納得させた。





   
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