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「ほら、愛美。着いたよ」
百代は、眠りこけている友の肩を揺すりつつ声を掛けた。
いつもは、百代が先に家に送り届けてもらうのだが、愛美が寝てしまったので、順序を逆にしてもらったのだ。
寝ている友を置いて、先に降りるわけにはゆかない。
それに、愛美が眠り姫になったのは、どうも百代のせいらしい。
正直、百代にはそんなつもりはまったくなかったし、何であんなことが起きちまったのか?
自分が責任を取らねばと感じてしまっているのも、なんかすっきりしないっていうか…
それにもうひとつ気掛かりが…
愛美の口からは、アルコールの匂いがするのだ。
愛美と出逢った王子のやつ、未成年の愛美に酒を勧めたとなると言語道断だが、愛美から歳を聞かされていなければ、この姿の彼女が高校生とは思いもしなかったんだろう。
酒飲ませて…酔った愛美を襲ったりなんか…ま、まさかしてないよね?
ゆらゆら揺すられた愛美は、百代の心配も知らず、薄く目を開き、ゆっくりと身を起こした。
「うん」
おおっ!
どうやらまともに起きてくれたらしいじゃないか。
後遺症など出ちゃったりしないだろうか? と、多少の不安にかられていたから、心からほっとした。
「愛美、玄関まで送って行こうか?」
「大丈夫。あれっ、百ちゃん?」
愛美は百代がいる事実に、いまになって驚いたらしい。
「愛美が寝ちゃったからさ」
「あ、ご、ごめん」
謝りを口にするものの、愛美はなにか腑に落ちないような顔をしている。
「どした?」
「あ…、ううん。なんでも。ごめんね遠回りさせちゃって。すみませんでした」
愛美は百代に謝り、運転手に謝った。
「とんでもございません」
生真面目でやさしい人柄の運転手は、なんでもないというようににこやかな笑みを浮かべてくれ、愛美もほっとしたようだった。
「そいじゃ、荷物、持っていける?」
「うん」
愛美は着替えの入った紙袋を持ち、車から降りた。
「もらったクレンジング、忘れずに使うんだよ。あれでその化粧落とさないと、肌荒れちゃうからね」
「うん。分かった」
「それと…あ、あのさ。頭とか痛くない? 他のとこも、…な、なんらかの違和感とか…」
「頭? 違和感とか、ないけど、どうして?」
「い、いんや。そ、その…愛美、なんかアルコール飲んだみたいだからさ…」
「えっ? ほ、ほんと?」
「ジュースみたいなお酒もあったからね。間違えて飲んじゃったのかもね」
「そ…そうなのかな?」
「まあいいや、なんでもないなら、良かったよ」
愛美は首を傾げて百代を見つめ返し、「それじゃあね」とドアを閉めた。
運転手にもうひと言礼を言い、手を振ってアパートへと歩いてゆく愛美を、走り出した車の後部座席で百代は見送った。
大丈夫。と思っていいんだよね?
なんともなさそうだったもんね。
しかし、あの不思議な衝撃はどうしたって気になる。
あれは必要あってのことだったのか?
首を後ろに回して、過ぎ去ってゆく景色に目を向けていた百代は、顔を前に戻して後部座席にもたれた。そして、腕を組んで眉をしかめた。
愛美、泣いてたよね。
あれは、せっかく出逢った王子様と、別れ別れになっちゃったからだろうか?
愛美、王子様と出逢ったんだよね?
百代の勘が外れたなんてことはないと思うのだが…
じゃなきゃ、あんな風に泣くはずがない。
それにしても、なんであんとき、手のひらなんか当てちゃったかな?
あのバシンは、今思えば静電気のような気もする。
額に静電気を食らうと、人はどうなるのだろう?
う、うーーーーむ。
百代は眉間に皺を寄せ、苦い薬を飲んだように顔を歪めた。
「ほんじゃ、おやぷみぃ〜」
お風呂から上がった百代は、まだ居間にいた両親に声を掛けた。
「ああ、おやすみ、モモ」
「モモちゃん、おやすみ」
ふたりとも、一応返事はしてくれたものの、どちらの目も娘の百代に向いていない。
まったく、このふたり、結婚して何年経つのだと言いたいよ。
しかし、まあ、仲良きことは、いいことだ。
百代は心の中で歌うように言いながら、スキップしつつ階段に向かった。
今日は楽しい日だった。
たとえ蘭子の野望ゆえのものだったとしても。
階段を上りきった百代は、部屋に入り、彼女の気に入りのクッションを取り上げて床に直接座り込んだ。
百代の好みの物でいっぱいの部屋。
ここにいると落ち着く。
愛美は、あんまりこの部屋が好きではないようだが…
あの子は、微妙に感じすぎるんだよね。本人気づいてないみたいだけど…
その点、蘭子はそういうの、まったく感じないようだ。
まったく違う友ふたりのことを考えて、百代は微笑んだ。
最高の友達。
もちろん、蘭子は百代に手を焼かせるし、我が侭で高慢ちきで…
でも、それでも百代とは波動が合う。
家柄がいいことをまるで自分の徳のように勘違いしていることは、いただけないが、そのうち蘭子は自分の勘違いに気づくだろうし、人生を学ぶときがいずれくるだろう。
そして愛美。彼女は…
うーん?
愛美のことはなぜだか、よく分からない。
消極的で、純粋で、自分の徳の高さに気づいていない子。
百代はくすくす笑い出した。
蘭子と愛美、ふたりはほんとに両極端だ。
百代は、立ち上がり、自分の机の上に置いている器に入れてあるいくつかの石からひとつを選び、手に取って元の位置にまた座り込んだ。
手の上で転がし、ぎゅっと掴んで静かに石の振動を感じる。
愛美は大丈夫だよね?
百代の心の問い掛けに、百代はまるで不安を感じなかった。
うん、大丈夫そうだ。
不安どころか、なんだかワクワクを感じる。
これは百代が蔵元三次と出逢ったことから生ずるワクワクだろうか?
それとも、愛美の?
百代は、三次との出逢いを頭から思い返し、声を潜めて笑った。
ハイヒールは脱げちゃうわ、思わず逃げ出したために、追いかけっこまでしちゃって…
律儀にハイヒールを拾って追いかけてきてくれた三次。
百代は名前も告げなかったけど、彼とは必ず会えるはずだ。
ふたりの星は、いずれ繋がりあうんだろうと思える。
愛美も…
眠気に襲われ、百代はあくびをしつつベッドに潜り込んだ。
布団にすっぽり包まれた百代の脳裏に、涙を流していた愛美が浮かんだ。
愛美の恋は、すんなりゆかないのかもしれない。
「力になるよ、愛美。大丈夫だから…」
意識の半分を夢の世界に漂わせながら、呟いた百代は半開きだった目を閉じた。
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