《シンデレラになれなくて》 番外編
 魔女っ子百ちゃん編


Magical momo


第40話 泣きたいほどの安堵



ほほお。かなりの頑張りの賜物じゃん。

心の中でそんな呟きをもらし、百代は愛美のためというか、クリスティーのために設えられた舞台に上がった。

思っていたより広くなかったが、この上でお芝居をするわけでもないし、踊りを踊るわけでもない。写真撮影用だ。こんなもんだろう。

それに、広くない方が安心でもある。

嫌な予感のことがあるから、舞台の隅々まで容易に目が届くのは、ありがたい。

舞台横には、モデルが休憩出来る専用コーナーも作られている。

疲れたら、撮影の合間に好きに休憩を取っていいことになっているのだ。

まあ、お客さんである男子生徒たちの文句が出ない程度にってことなんだろうが。

今日一日で壊すには、もったいないと思うほどの舞台を感心して眺めまわしていた百代は、奥まった右側にでんと据えてある女神像に目が引きつけられた。

ちょうどその時、愛美が「あの像はなんなの?」と聞いてくる。

たぶん百代が目を向けたのを見て、愛美も目を向けたのだろう。

「クリスティーの住む世界の女神。クリスティーはこの女神の生まれ変わりって設定なんだよ」

「へぇ」

答えながら女神像を見つめていた百代は、嫌な感覚を覚え、無意識に像に歩み寄っていった。

なんだろ?

なんか……この像、大丈夫なんかな?

百代は、両手を差し出し、女神像に触れてみた。

櫻井に見つかったら、装飾品にむやみに触るなと叱られそうだが……気になる。

女神像自体に嫌な感じはなかった。

試しに、少し強めに押してみたが、びくともしない。

よしよし、かなり頑丈そうだ。

「この女神像、よく出来てるね」

「うん」

愛美の言葉に、百代は頷いた。

「中身空洞の張りぼてかと思ったら、こりゃ、何か固くて重いもの芯にしてるようだよ」

「そうなんだ」

女神像の土台部分を確認してみると、接着してあるわけではなく、据えてあるだけのようだ。

それでも、バランスはぜんぜん悪くないし、愛美が足を滑らせて、この像に当たったとしても倒れるようなことはなさそうだ。

「ぽんと置いてあるだけだけど……まあ、安定感ありそうだし、大丈夫かな」

確認のうえ、納得してそう口にしているのに、どうしてか気になってしまう。

なぜか気持ちが収まらない。

「百ちゃん、この像のこと、なにか気になるの?」

「うーん」

気になるっちゃ、気になるんだけど……だからなんなんだと言われても困るわけで……

慶介はどんな感じを受けただろうかと、慶介の姿を探したが、近くにはいないようだ。

もおっ、いてくれるって言ったのに……いったいどこに?

「そろそろ開始します。モデルさんは位置についてください。舞台に上がっている付き添いの方は、舞台から降りてください」

「おっ、ついに始まるか」

開始のアナウンスが入り、百代は気を取り直して愛美に向いた。慶介は、必要なときにはいてくれるやつだ。心配せずに頼っておこう。

嫌な予兆を感じて不安が残っているが、百代としても、充分に用心して監視しておくしか、いま取れる道はない。

「ほんじゃ愛美、頑張るんだよ。わたしゃ、ずっとついてるからねぇ」

舞台の上に取り残すことになる愛美を心配しつつ、百代は急いで舞台から下りた。

おおっ、いいじゃんいいじゃん。

愛美ってば、よくやってるよ。

百代は、両腕を大きく動かしながら、したり顔をした。

彼女のこのオーバーリアクションは、眼鏡をかけていない愛美にも合図が見えるようにするため。

おかげで、モデルをしている愛美より疲れる気がする。

ふたりして何度もレッスンしたモデルのポーズを、百代の合図で愛美は変えてゆく。

どこまでも不安そうな表情で、百代にすがるような眼差しを向け、おずおずと頷いては次のポーズを取る。

その様は、なんとも純真可憐な乙女っぷりで……いや、実際、愛美は、純真可憐な乙女なのだが……カメラを向けている連中の中には、シャッターを押すのも忘れて、視線を愛美に釘付けにしている者もかなりの数いるようだった。

むっふっふっふ。

いい気分でにやついた百代は、頭に思い出したくない名前が浮かび上がり、顔を歪めた。

このことが、あの不破優誠の耳に入った日にゃ……わたしゃ、命はないかもね……

ナイスなボディラインやボインな胸を大衆に披露している愛美を見つめる百代は、背後から不破優誠に睨まれているような気がして、背筋に悪寒が走り、身を震わせた。

な、なんか……物凄い嫌な予感が……

い、いや、予感どころでない、激しく悔いたくなるような未来が、一瞬垣間見えた気が……

ゾクゾクが収まらず、百代は瞬間的に首にぶら下げている笛を鳴らしていた。

「ええーっ」

「なんだ、もう休憩かよぉ」

様々な不満の声など無視して、百代は愛美を促して休憩室に引っ込んだ。

無事休憩室に入り、百代は肩の力を抜いた。

不破優誠もだが、撮影の間中、何かあるんじゃないかと、気を張り詰めどおしだったのだ、疲れもする。

慶介もカメラマンたちに紛れて舞台近くにいてくれたから、心強かったが。

無理やりにやらせたコスプレのモデルの最中に、愛美に危険な目に遭わせるわけにはゆかない。
不破優誠にだって、顔向けできなくなる。

というか……あんな大物相手じゃ、マジで怖いし……

「はあっ」

愛美は大きなため息をつきつつ、椅子に座った。

相当疲れているようだ。百代はストックしてあるジュースをグラスに注ぎ、愛美に差し出した。

「愛美、飲まない?」

愛美はぼーっとしていて、返事をしない。

「なんか上の空みたいだね」

顔を近づけて声をかけると、ようやく視線を向けてくれた。

「もうちょびっとだよ。もう少し微笑まなきゃ」

ぎこちない表情も悪くはないのだが、満面の笑みってのもできればほしいところだ。

「簡単に言うんだから」

責めるように言われ、百代は申し訳ない気分になりつつも、肩をすくめてみせた。

「あんたにしかできないことなんだもん。わたしの立場としちゃ、そう言って応援するしかないじゃん」

「だって虚しいんだもん。なんでこんなことやってるのかわかんなくて……」

愛美のその言葉に、百代はぐさりと胸を刺された。

「痛いこと言うね」

蘭子と櫻井の関係に刺激を与えるための作戦。失敗とはいえないまでも、成功とも言い難い。

さらに、先ほどの、尋常でない悪寒……

「わたしだって、こんなことやらせちゃって……地球規模で反省してるよ」

反省というよりも、後悔?

「百ちゃん、ごめん」

愛美が申し訳なさそうに謝ってくる。謝ることなんかないのに……

百代は首を振り、気を取り直して、にぱっと笑ってみせた。

「あんたの人気が、今年一番なんだからさ、自信持って。わたしも鼻が高いよ」

元気づけようと思っての言葉だったのだが、逆効果だったようだ。

愛美の頬が、静かな怒りにぴくぴくと痙攣している。

ひぃ~っ! こ、怖い……

だが、まあ、いいか。
残り時間も三十分ほどだ。時間さえ過ぎれば終わるのだ。

「桂崎?」

遠慮がちに呼びかけられ、百代は休憩所の入り口に振り返った。

声で櫻井だとわかったが、櫻井らしくないしおらしさだ。

「どうぞ。入っていいよ」

百代の言葉に、櫻井がそっと入ってきた。クリスティーの愛美をちらりと窺ったものの、すぐに目を逸らして百代に向く。

その初々しいともいえる櫻井の態度に、百代はぶふっと笑いそうになるのを、ぐっと堪えた。

櫻井ときたら、実物クリスティーに、らしくもない緊張をしている。

「どうした? 何かあったのか?」

どうやら休憩室に引っ込んで思ったよりも時間が過ぎていたようだ。
ちっともでてこないから、心配して声をかけに来たのだろうが……櫻井の真の目的は、クリスティーをもっと間近で見るために違いない。

「愛美の意気をあげてやってたの。慣れないことだし……フラッシュ酔いしちゃったんだよ」

「お前が一番人気だぞ。このキャラを桂崎が選んだのも頷けるよ。クリスティーそのものだもんな」

そう口にした櫻井は、入り口のほうに人の気配がないかを確認し、百代に顔を寄せてきた。

「俺、このキャラ、そこそこ好きなんだ。俺とツーショットの写真撮らせてくれよ」

こそこそと頼み込んでくる。百代はにやつくのを止められない。

言うにことかいて、そこそこねぇ……笑っちゃうよ。

「まさか、わたしに撮れってんじゃないわよね、櫻井」

彼女の言葉に、櫻井は顔をしかめた。

頼みたくはないが、背に腹は代えられないというところか?

「お前しか頼めるやついないだろ。ほかのやつに知られでもしたら、大変なことになる」

もちろんだ。ツーショットなど許可されない。だが、櫻井に大きな貸しを作っておくというのは、悪くない。

「まあ、いいけど。その代わり、ひとつ貸しになるけど、いい?」

櫻井は、嫌そうに顔を歪める。

「貸し? お前に、借りなんか作りたくねぇな」

もちろんそうだろう。さて、欲望と理性、こいつの中で、どちらが勝るのか?

「なら、諦めるんだね。クリスティーとのツーショット」

「あ……いや。その……。まあいいや、借りひとつで……」

さんざん悩んだあげく、櫻井はついに欲望を選択。

こいつは俺様なやつだが、憎めないところもあるようだ。

「よし、決まった。カメラは?」

櫻井からインスタントカメラを受け取った百代は、クリスティーと櫻井を急いで並ばせ、シャッターを押した。

本望を果たしたはずなのに、櫻井は不安そうにカメラを受け取り、休憩室を後にした。

「やつってば、クリスティーがよほど好きなのねぇ。このキャラにして大正解だったわ」

「百ちゃん、櫻井君に何かするつもり?」

「まだ考えてないよ。これが終わって、それからゆっくり考えるよ。はい、それじゃ休憩終わり。残り三十分だから、頑張って微笑むんだよ」

愛美に檄を飛ばし、ふたりして休憩室から出た。

大きな歓声と拍手が愛美を出迎える。

見ると、先ほどまでよりも大勢集まっているようだ。

愛美が完全に気圧されているのがわかり、心配でならなかったが、百代がこれまでよりも大きい身振りで合図を送ると、愛美は観念したのか、どうにかポーズを取り始めた。

取り囲んでいる男子生徒の中に櫻井もいる。

真剣な目でカメラを構えている櫻井を見て笑いを零した百代は、すっと視線を右側に向け、そこに慶介の姿を確認して、ほっとした。

慶介……

百代はハッとした。慶介の険しい表情、その目は何かを探すようにゆっくりと周囲を窺っている。

な、何? 何かくるの? 何が?

動揺したために、勘が鈍る。そうわかるのに、咄嗟に動揺を抑えられない。

ま、まずい……

ダメ、ダメ、冷静になるんだよ、百代!

自分に向けて激しく叱咤した瞬間、「わあっ!」「ああーっ!」という、たくさんの大きな叫びが上がった。

百代はすぐに叫んでいる者達の視線を追ったが、その直前、人波を掻き分けて走り出した慶介を捕らえていた。

舞台に目を戻したときには、女神像が愛美に倒れ掛かっていた。百代を見つめている愛美と目が合う。その瞬間、百代はたとえようもない恐怖に囚われた。

「愛美!」

絶叫して飛んで行ったが、もちろん間に合うはずもない。

百代が愛美のもとに駆け付けた時には、愛美は像の下敷きになっていた。

舞台に駆けあがってきた者達が、すぐさま愛美の上から像をどけ、救護班もすぐに呼びにいってくれた。

百代は、気を失っている愛美の頭を膝に乗せ、生きた心地がしないまま、担架の到着をイライラしつつ待った。

まだ、まだなの?

「いたた……」

その声に、百代ははっとして愛美に向いた。

薄目を開け、痛そうに顔を歪めている。

い、意識が戻ったのだ!

百代は泣きたいほど安堵した。





   
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