恋にまっしぐら
その11 楽しくお買い物



美紅は、ベッドの中で丸くなり、頭を抱えていた。

仕事で、鉄筋コンクリートの基礎工事をしている現場に行ったことがあるのだが、あれと似た、すさまじい騒音が、いま彼女の頭の中で再演されている。

おまけに、棍棒で頭の中を、直接殴られ続けているようだ。

こんな事態を招いた自分に、極大な情けなさを美紅は感じていた。
できるわけがないが、このやっかいものの頭をもぎとりたい。

階段をものすごい勢いで下りて来る音がした。
亜衣莉に違いない。

妹らしくない所業に驚く気持ちも湧いたが、自分の頭に食らった影響の方が強烈で、美紅は頭をさらに抱え込み、今度は下向きに、布団の中にうずくまった。

そのまましばらく寝ていたらしい。
気がつくと、変な格好で寝てしまったのがあだとなり、両足が完全に痺れていた。

徐々に弛んでくる痺れとともに、我慢できない感覚に襲われ始めた。

「いやー、亜衣莉、亜衣莉ー、助けてー」

さんざん叫びながら七転八倒していると、窓をダンダンと叩く音がした。

痺れが遠のいてきた美紅は、ベッドに転がったままぎょっとして窓に向いた。

窓にへばりついている人影。
美紅は恐ろしさに「きゃーっ」と叫んだ。

「僕だ。ジェイだ」

大きな声でそう叫び返され、美紅は改めて窓を見た。たしかにジェイの声だった。

「苦しそうに叫んでたから…いったいどうしたんだ?苦しいのか?」

美紅は自分がベッドに転がったままだったことにやっと気づき、ぴょこんと起き上がった。
嬉しいことに、美紅を死にたくなるほど苦しめた痺れは、完全に消え去っていた。


「痺れ?」

「そうなんです。頭があんまり痛くって、うつ伏せで寝てたら…痺れちゃってて…」

ジェイが派手に吹き出し、美紅もおかしくなって吹き出した。

窓を開けてジェイを中に入れ、ふたりしてベッドに座って話していた。

「それで頭の痛みは?」

「あ…そう言えば消えてます。あんなに痛かったのに…」

「それが二日酔いってやつだよ。でも痛みが無くなってよかった」

「はい。もう絶対にお酒は飲みません」

「量さえ控えれば大丈夫だ。今度は僕と飲みに行こう。たまには夕食にも付き合ってくれたら嬉しいしね。一人きりの外食は当たり前だが旨くない」

「エバンスさん、ご家族と一緒に暮らしていないんですか?」

「ああ。ひとり暮らしだ」

「ご家族はイギリスに…?」

「そう。実は一週間前に日本に来たばかりなんだ」

「そうだったんですか?でも…日本語おじょうずですね」

「高校の時に一年間、日本の高校に通った。聡の家に住まわせてもらってね」

「それで室長と仲が良いんですね」

「彼は家族とイギリスに十年近く住んでいてね。その頃からの知り合いなんだ」

美紅はこくこくと頷いた。あの室長ならば、どんな国でもうまく生きてゆけるだろう。

「それじゃあ、エバンスさんは、いずれイギリスに帰ってしまうんですか?」

「いや、もう一生帰らないつもりだ」

ジェイの固い表情に美紅は首を傾げた。

「でも、たまには帰るんでしょう?家族のひとが…」

ジェイは返す言葉に困り、苦笑で誤魔化して美紅に振り向いた。

「星崎さんを置いて帰れないからね。君を聡から守らなきゃならない」

ジェイは滑稽なほど大袈裟に言った。だが美紅は笑わなかった。その代わり、真剣な顔でため息をついた。

「わたし、伊坂室長に嫌われてるんですよね。失敗しないようにしなきゃって思えば思うほど失敗しちゃって」

「君は聡を怖がりすぎてる。彼はいいやつなんだが。失敗することを恐れて、パニックに陥ってるから失敗してしまうんだよ」

「そうなんでしょうね。でも、なんだか…」

「うん?」

「あの会社に自分が存在していること自体が間違いのように感じて…ほんとの自分でいられないっていうか」

美紅の頭のてっぺんにジェイの手のひらがそっと置かれた。そのまま頭の後ろをやさしく撫でてくれる。

ジェイのやさしさが、涙が出るほど嬉しかった。

「そんなことはないさ。僕もついてるし、それに…聡は君を嫌ってはいないよ」

「そうでしょうか?」

「ああ。あいつは筋金入りの女嫌いだ。そんな男が女性の君を職場に置いているんだからな。嫌いだったら一緒に仕事することすら嫌がるはずだ」

美紅はぽかんと口を開けた。

「女嫌い?室長が?」

「ああ」

「で、でも…伊坂室長には恋人がいるって…聞いてますけど」

今度はジェイがぽかんと口を開けた。

「は?聡に恋人?」





「いませんでした。亜衣莉ったら、どこに行っちゃったのかしら?」

美紅とジェイは、亜衣莉がバイトしているスーパーにやってきていた。

昼食を食べに行こうとジェイに誘われ、美紅は亜衣莉を探しに居間に行って、彼女の書き置きを見つけたのだ。

ちょっと出かけてきますとだけ書いてあった。
きっと買い物に出たんだろうと思い、こうして亜衣莉の行きそうな店に探しに来たのだが…

「ふたりで行くわけには行かないか?」

「それはいいと思いますけど…せっかく亜衣莉に美味しいもの食べさせてあげられると思ったのに…」

「外食はあまりしないんだろうな」

「はい。一度もしたことがありません。亜衣莉がもったいないって…」

それを聞いて、ジェイが笑いを堪えている。

「あの。どうかしました?」

「ううん。それでどうする?」

ふたりは家に戻り、亜衣莉の書き置きの下に、ジェイと出かけるという内容の書き込みをし、出掛けることにした。

美紅の食べたいものをと言ってもらい、ジェイの選んだ鮨屋でお鮨を食べた。

「これから買い物に付き合ってもらえないかな?」

「もちろん、いいですよ。何を買うんですか?」

「いろいろだな。こちらに来て、買い物をする暇がまったく無くて」

ジェイの買い物は凄かった。
買い込んだ五着ほどのスーツは、裾上げやサイズ直しなどで再度受け取りに行くことになったが、それでも車の中は満杯状態だった。

電気屋でコーヒーメーカーや冷蔵庫を買い、ふかふかのラグは大きなものだったが、配達を断ってジェイは車に詰め込んだ。それに大小のクッション。

コーヒー豆に紅茶、カップにいくつかのお皿なども買い、それらみんな美紅が選んだ。

「こんなに買い物しちゃって、エバンスさん大丈夫ですか?」

「たしかに、運ぶのは大変だったな?僕も考えが無かったな。星崎さんすまない、大丈夫か?」

車と部屋の間を何度も往復し、大きな荷物をふたりで抱えているところだった。

「いえ。そういうことではなくて、お金は大丈夫なんですか?まだ仕事に就いたばかりなのに」

「蓄えがあるよ。心配いらない」

「ならいいんですけど」

そうだ。ジェイは美紅のようではないだろう。考え無しに、お金を無駄遣いしたりしないに違いない。

部屋に運び込んで荷物を下ろし、美紅は腰を伸ばした。
これで全部運び込んだ。部屋の中は荷物でいっぱいだ。

「まずラグとクッションを開けよう。星崎さんがくろつげるように」

そう言ってジェイは一番大きな包みを開け始めた。

「星崎さんは…あの、美紅って呼んでもいいかな?」

「はい。呼びやすい名で好きに呼んでください」

「君もエバンスさんじゃなくて、ジェイでいいよ」

「はい。わかりました」

「それじゃ、美紅はこいつを開けてくれるか」

美紅はクッションの包みを開けた。
アイボリーのやさしい色合い。
やわらかなクッションを抱き締め、美紅は顔を埋めた。

「これ、やっぱり気持ちいいー。はぁ」

「ラグ、そっちを引っ張ってくれるかい、美紅」

「はーい」

ふたりはグレーのふかふかのラグを広げ、部屋の中央に敷いた。
それだけで、何もなかった空っぽの部屋に温かなものが満ちた気がする。

「いいもんだな」

「これ部屋に良くあってます。なんか部屋がやさしい感じがします」

ジェイの返事がないことに、美紅は彼に振り返ろうとした。

ぽすっという感じで、後ろからジェイが美紅を抱き締めてきた。
そこには、ただ、ぬくもりとやさしさがあって、美紅は不思議に驚かなかった。

「サスケって名前の犬を飼っててね。聡の弟の翔が名前を付けてくれて…」

「もう天国に行っちゃったんですね」

「どうして?」

「だって、ジェイ、サスケ君をとっても愛してるみたいなのに、置いて来ないもの」

「…君はサスケと同じだな…angel」

最後の方は口の中で呟かれ、美紅の耳には聞こえてこなかった。

「サスケ君に似てるんですか?光栄です」

ジェイの腕にじんわりと力がこもった。




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恋愛遊牧民G様
   
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