|
その7 無骨な介抱
「おい」
ジェイは、短さの割りに、強い怒りのこもった声に、ゆっくりと振り返った。
いま彼の歓迎会に参加しているところだ。
この場の独特の雰囲気を、ジェイは場に混ざりながらも客観的に眺めて楽しんでいた。
そろそろ聡が、我慢が過ぎて声を掛けてくる頃合だろうと思っていたのだ。
「なんだ?」
「どうして彼女を助けに行かない」
周りに聞かれるのがイヤなのか、聡はジェイの耳に口を寄せ、ひどく声を落として言った。
「彼女…ああ、星崎さんのことか?ここに女性はひとりしかいないものな。で、彼女が何?」
「なんで黙って見てるんだ。おかしいだろ」
ジェイは聡が苦い顔をして見つめている一角に視線を向けた。
美紅がふたりの男性社員に挟まれて、いささか困窮している。
だがふたりとも、最低ラインの礼儀はわきまえているようだし、飛んでいってまで、どやさなければならないほどではない。
「あ、あの馬鹿、また飲んだぞ。おいジェイ。行け!」
鋭く命令されても、潜めた声ではその効果も薄れる。
ジェイはまったく動じなかった。それどころか笑みさえ浮べて見せた。
聡が苦い薬を飲み込んだような顔で、歯痒そうに口を歪めた。
ジェイを鋭く睨み、聡はすばやく立ち上がると、先ほどの一角に向かって大またで近寄って行った。
「やっと動いたか」
ジェイはそう呟き、にやりと笑うと同時に本当のところほっとしていた。
聡の救難はずいぶんと派手だった。
美紅の腕を取ると、そのまま彼女を引き上げるようにして立たせた。
思った以上に酒が回っていたのか、それとも聡の無頼な行動が過ぎたのか、美紅がふらりとよろめいた。
彼女がよろめいたのに気づかず、聡は腕を取ったまま歩き出だそうとし、ジェイは思わず声を上げて立ち上がった。
美紅の身体が転ぶすんでで、ジェイは目を閉じようとしたが、彼女の身体はふわっと浮き、そのまま聡の腕の中に収まった。
「なんでそう簡単に転ぶ?」聡が美紅に言った。呆れたという口調だ。
怒鳴られたわけではないのに、聡の顔を見て、青くなった美紅が首をすくめる。
「す、すみません」
「わたしはこれで失礼する。ここの支払いは済ませてあるからみんなゆっくりしていってくれ。それと矢木」
「はい」
美紅の隣で酒を勧めていた矢木は慌てて姿勢を正し、返事をした。
「タクシーを呼んでくれ」
「あ、はい」
矢木は急いで立ち上がり、部屋から出て行った。
「ジェイ」
いまの出来事を思い返して楽しんでいたジェイは、聡に呼ばれて顔を向けた。
「お前も来い」
「僕もか?でも僕の…」
歓迎会だろと言おうと思ったが、ジェイは諦めて立ち上がった。
不平を言うには、聡の目つきがすさまじすぎた。
その両腕の中に、まるで荷物のように美紅を抱えたまま、聡は店の外に出た。
美紅は呆然としたままその腕に収まっている。驚きが過ぎているのかもしれない。
すぐにタクシーが来た。
聡が後部座席に美紅を放り込み、自分は前に乗った。
「お前も早く乗れ」
どうやら、美紅と相席するのはジェイらしい。
ジェイは眉を上げると、聡の言うまま後部座席に収まった。
「星崎さん、大丈夫か?」
「お前な、そんな心配な口を聞くなら、もっと早く行動を起こせ」
聡は、ジェイにひどく腹を立てているらしい。
怒鳴られたのは彼の方なのに、美紅がより一層青くなった。
ジェイは目を覆っている美紅の前髪をそっとかきあげてやった。
美紅がサスケと同じ、すがるような瞳でジェイを見上げてくる。
こうなったら、とことん美紅に甘い態度をとってやろうとジェイは決めた。
怯え傷ついた美紅のために、そして聡に思い知らせるために。
「気分は悪くないか?」
ジェイは甘く美紅の耳元に囁いた。
彼女の身体を抱き寄せて横向きに寝かせ、頭を自分の膝に乗せた。
そして、恋人にするように頭を愛しげに撫でた。
このシチュエーションで、普通の女なら勘違いしてしまうだろうが、ジェイを保護者のように思っている美紅は、彼に純にすがってくる。
「少し…気分悪いです」
涙目で美紅が答えた。
顔が蒼白に近い。
聡に乱暴に扱われ、怯えされられたせいで、酔いが急激に回ったのだろう。
彼は眉を潜めた。このままでは嘔吐するかもしれない。
「ビニール袋か何かあるかな?」
彼は運転手に向かって尋ねた。
「ありますけど、車止めますか?」
酔っ払いになれている運転手が、的確な意見を言った。
「吐きそうか?」
聡が見ていたら、かがみこんで彼女の額にキスのひとつでもしてやろうかと思ったのだが、聡はまったくこちらに視線を向けない。
「…が、我慢します」
「そうか。でも、なるべく急いだ方がいいな」
ジェイは美紅の背中をさすってやりながら、前のふたりに向けて言った。
「君、とにかく急いでやってくれ」
前を向いたままの聡が、切羽詰った声で言った。
美紅が吐く前に、車はどうにか彼女の家の前に着いた。
小さな家だが一戸建てだ。
車庫に車がないことに、ジェイはほっとした。
この家の主人はまだ戻っていないらしい。
こんな状態の娘を見たら、父親は逆上するかもしれない。
「ジェイ、これで払っておけ」
聡はジェイに向けて財布を投げると、すばやく車を降り、美紅を引っ張り出した。
「き、気持ち悪い…」
「いいから。こっちに来い」
「聡。乱暴なことをしたら、なおさら気分が…」
「うるさい。黙ってろ。飲んだこいつが悪いんだ!」
ジェイはため息をついた。
料金の支払いを待っている運転手に、聡の財布から5千円札を抜き出し、「釣りはいらない」とそのまま降りた。
タクシーの走り去る音を聞きながら、ふたりの後を追って玄関に向かおうとしたが、ふたりの姿がどこにも無い。
「聡?」
「お前、先に行って彼女が戻ったことを知らせてくれ」
その声の方向の暗がりに目を凝らすと、人の影らしきものがある。
「全部吐かせたら、連れてゆく。それと、水の入ったコップと、お絞りを用意するように言え」
聡の言葉の合間合間に、美紅のくぐもった苦しげな吐く音が重なる。
暗闇にふたり重なるようにしてしゃがんでいるので、その様子は伺えなかったが、聡は美紅の背中を大きくさすってやっているようだ。
「わかった」
ジェイは返事をし、美紅の家の玄関へと向かった。
|
|