恋は導きの先に
その5 誤解の上塗り



コピーの出来るのを待ちながら、次に取り掛かる仕事に必要な資料を確かめているところに弥由の携帯が鳴り出した。

表示された名前に微小に驚き、仕事中の私用の電話にいささか躊躇したが、見咎める者などいないことに楽観して弥由は電話に出た。

「駿、どうしてたの。ちっとも連絡くれなかったわね」

「色々忙しくて」

「いつだってそれなんだから。ほかに言い訳の言葉知らないんでしょう?」

駿輔がくつくつ笑った。

背後でドアの開く気配がした。弥由は早口で言った。

「駿、話はまた今度。いま…仕事中だから」

弥由は後ろめたさを感じながら背後に振り返った。

「それじゃ用件だけ。仕事何時に終わる?」

篠崎の鋭い視線をまっすぐに受け、動揺した弥由はさっと顔を逸らした。

「弥由?」

「え、な、何?」

「どうかしたのか?仕事、何時に終わるって聞いたんだけど」

「五時半だけど」

書類を手にした篠崎は、もう一台のコピー機に近づいてゆく。
彼だけは、けして弥由に仕事を頼まない。

「それじゃ、今日、五時半くらいに迎えに行く」

「えっ、今日? 駿、ちょっと待っ…」

電話は切れていた。
駿輔こそひとの話を聞いて欲しいと不満を抱きながら、小さくため息をつくと、弥由は書類を取りまとめた。

ドアを出ようとした弥由は、背中に強い視線を感じて立ち止まり、そっと背後に振り返った。
篠崎の険しい眼差しに射抜かれ、弥由は言葉に出来ない怖れを感じた。





駿輔は、五時半より少し遅れてやってきた。
双子の片割れが来ると聞いた今津が、駿輔に会ってみたいと言いだし、弥由とともに待っていた。
やってきた駿輔を見て、今津は「双子にはとても見えないわねぇ」と、思ったまま口にして笑った。

駿輔は今津にそっけない挨拶をして、弥由に車に乗るように促した。

「駿ってば、少しは愛想良く出来ないの?」

自分の車に歩いてゆく今津は、駿輔の態度に機嫌を損ねた様子はなかったが、シートベルトを付けつつ弥由は文句を言った。

「この俺に、愛想なんてもの求める方が間違ってるよ」

そう言いながら、弥由の頭にぽんと手のひらを乗せ、そのままポンポンと繰り返し叩いてくる。

「もうぅ、やめてよぉ」

慣れた弟の行動ながら、ここは職場の駐車場だ。
弥由はムキになって弟を睨みつけた。

「からかいがいがあり過ぎるんだよ、弥由は。いちいち反応しなきゃいいのに」

からかっている本人が言う言葉じゃない。

「反応しなかったらするまでやるじゃなの。莉緒にはしないのに、なんでわたしばっかり」

「莉緒は駄目。俺のことわかりすぎてるからつまんない」

この双子達には疲れるばかりだ。弥由はため息をつくと、始めの疑問に触れた。

「それで、突然にどうしたの?」

「あいつ、…誰?」

弥由は、駿輔の表情の変化に眉を上げた。
弟が顎をしゃくった方向を見ると、篠崎が駐車場を歩いているところだった。

「同じ職場のひとだけど…」

「ふぅーん」

「なによ?」

含みのある駿輔の頷きが気になって、弥由はもう一度篠崎を視線で追った。
彼は渋い藍色をした自分の車に乗り込んでいる。
弥由の懸念など気にもとめず、駿輔は車を出した。

「ところで、この車、誰の?」

駿輔は車を持っていなかった。
誰かに借りてきたのかと思ったら、友達から安く買い受けたと言う。

「顔出さない間に、いろいろ暗躍してるのねぇ」

「暗躍ぅ? 大学とバイトに明け暮れてるだけだぞ。俺くらい日向で生きてる人間はいないくらいだ」

弥由は、弟の引き締まった浅黒い顔に視線を当てて同意を示した。

「確かに、駿、日向で生きてるよね」

駿輔がぶっと吹いた。弥由も遅れて笑い出した。

「それで? わたしたちどこに向かってるの?」

「うん。莉緒の元彼のとこ」

「な、なんで?」

「今の現状どうにかしないと、だろ?このまま弥由と莉緒が入れ替わって暮らせるわきゃないんだから」

「やっばり駿も、原因は元彼だと思う?」

「それを確かめに行くのさ」

駿輔は、弥由が莉緒として就職したことを聞いて、自分が動くしかないと考えたらしい。そしてあちこち聞きまわって、元彼の居場所を突き止めたらしいのだ。

「探偵になれるよ、駿」

駿輔が愉快そうに笑った。
弥由は、多忙さに身を置きながら姉妹のことに本気になってくれている駿輔に、ありがたくて胸が熱かった。

駿輔は大きな本屋の駐車場に入っていった。
元彼は、きっとここでバイトをしているのだろう。

駿輔はまずレジを確かめ、左右に目を配りながら目的の人物を探して店内の奥へと進んで行った。一番奥まったところで、駿輔が「あれ」という風に顎をしゃくった。

積み上げられたカートの側に、座り込んで本を整理している若い男がいた。
駿輔はまったく躊躇なく歩いてゆく。弥由もすぐ後を着いて行った。

「長沢さん、ですよね」

突然名前を呼ばれて相手が少し驚いた顔を上げた。

「はい、そうで…莉緒っ!」

弥由を見て、長沢が叫んだ。

「どうして…」

「莉緒じゃないんだ、こいつ。莉緒の姉の弥由。俺は、莉緒の双子の兄」

事態に追いついてゆかないようで、長沢は声を出さずに唇だけ動かして駿輔の言葉を繰り返し、脳の中で反芻して理解に努めようとしているようだ。

「バイトが終わってからでいいから、時間くれない? 聞きたいことがあるんだ」

長沢の顔が迷惑そうにしかめられた。

「いまさらじゃないかな。僕、莉緒…彼女とはすでに別れてるし」

そう言いながらも、長沢は弥由の顔をちらちらと見ている。
本当に莉緒ではないのだろうかと疑ってでもいるようだ。

「別れたのは知ってる。でも、莉緒の中では終わってないみたいなんだ」

長沢がふっと笑った。苦い笑いだった。

「終わってないって…終わらせたのは彼女なのに」

その言葉に弥由はびっくりした。莉緒が、とは思えなかった。
弥由が長沢に会った事は一度もなかったが、莉緒が彼に恋をしていることは過ぎるほど伝わってきていた。弥由には、莉緒が彼に一方的に振られたのだとしか思えなかった。

「ま、いいよ。莉緒が悪いってんならそれでも。とにかくこっちもとことん困った事態になってるんだ」

むっとして不機嫌そうに駿輔を見据えている長沢に、駿輔は偉そうな態度でこう続けた。

「聞かせてくれる気になるまで、ここから動かないぞ」

自分の方が分が悪いことに、長沢が渋い顔をした。

「俺だって、仕事の邪魔はしたくないんだ。話を聞くだけなんだいいだろ。それともお前、女みたいに女々しいやつなのかよ」

明らかに挑発している駿輔に、弥由はひやひやした。

「わかった。でもバイト十時までなんだ」

「それからでもいいよ。俺達、飯でも食って時間潰してくるから」

むっとした顔のまま長沢は頷き、仕事に戻った。




   
inserted by FC2 system